第20話 芹澤ファーム
田原武馬
六月二日
北海道、新千歳空港にシュンヤの姿はあった。
「確か、この辺りで迎えに来てくれるって……」
弓のように湾曲した空港の到着フロア、その中心部を待ち合わせ場所に指定されていた。
巨大なキャリーケースを押していると後ろから声をかけられた。
「ひょっとして、久我シュンヤさんですか?」
シュンヤが振り返ると若い女性が立っていた。
「えっと、芹澤ファームの方……ですか?」
「はい!迎えに上がりました。渡会百合って言いますー!」
百合と名乗ったその女性は、身長はシュンヤと同程度。黒い髪を短く切り揃え、肌は透き通るように白い。
青色の作業着の上からでも、彼女のたくましい筋肉が見て取れた。
「久我シュンヤです。わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます」
「なんもなんも!リリーの主戦の久我騎手のためならば、なんもですよ!」
彼女は人好きそうな笑顔で手を差し出してきた。
その手を握ると、見た目よりゴツゴツとして硬かった。
「ずっと牧場で働いてきたもんで、都会の子と違って可愛くない手っしょ?」
百合は口の端をニッと上げる。
「いえ、そんな、素敵な手ですよ」
「本当に?嘘でも嬉しいですー」
「は、はい。って嘘じゃないですよ」
「おっとそうだ、芹澤さん、待ってるから早く行きましょう!」
シュンヤは百合を追いかけた。
◇◇◇
シュンヤは百合の運転する白い軽トラックの助手席に座っている。
横目には平坦でのどかな景色が広がっており、車の窓を開けると涼しい風が頬を撫でた。
シュンヤは目の前で次々と変わる景色を見るでもなく眺めていた。
その時、ハンドルを握る百合が口を開いた。
「久我騎手、私聞きたい事があります!」
「なんですか?」
「リリーとなにかあったんですか?」
「え、なんで急に……」
「いやね、あの子帰ってきてから上の空で元気ないんですよーしかも、寝言で久我騎手の事呼んでたから。それでちょっと気になって」
「そうですか。リリーが……」
「その様子だと何か訳アリ?したっけ、私でよければ話聞きますよー」
「実は……リリーとオークスの前に喧嘩しちゃって」
シュンヤは事の成り行きを百合に説明した。
「なるほどねー。だども、オーナーは乗り替わりさす気は無いって聞きましたよ。したっけ、久我騎手とリリーが喧嘩する理由はもう無いですよね?」
「そうなんですけど、何だか気まずくって」
シュンヤの言葉を聞いて百合はケラケラと笑った。
「久我騎手、面白いなー!
どうせウチにしばらくいるっしょ?その間に仲直りすれば大丈夫大丈夫」
「そう……ですね」
◇◇◇
百合の車が芹澤ファームに着いた時、時刻は十五時過ぎ。
シュンヤは車から降り、百合にお礼を言った。
長時間車に揺られていたせいか、両腕を上に伸ばすとポキポキと音が鳴った。
「ついてきてくださいー。芹澤さんに紹介するよ」
百合に連れられ、シュンヤは牧場の脇にある立派な家屋に足を踏み入れた。
「芹澤さーん久我騎手来ましたよー!」
一人の男がデスクに座っている。
彼は百合の声で、ノートパソコンから顔をあげた。
「おお!よう来てくれたな!」
「芹澤さん、久我シュンヤです。お世話になります」
「芹澤篤史です。桜花賞の時は本当に世話になって」
芹澤は白髪混じりの頭を撫でながら言った。
「長旅で疲れただろう。久我君のために一室空けているから使うといいべ」
「ありがとうございます」
「百合ちゃん案内してあげて」
「はーい」
百合に連れられて家の縁側を通り奥の部屋に案内された。
「ここだよー」
六畳ほどの畳張りの部屋だ。
入り口の正面には大きな窓が一つある。
部屋の窓越しに、青々とした芝生が風に揺られているのが見えた。
シュンヤは窓を開けると、芝と馬の芳しい香りが混ざった風が吹き抜けた。
「気持ちいい」
「都会の空気とはまた一味違うっしょ?まあ私北海道から出たことないんだけど」
シュンヤの独り言に百合が後ろで反応する。
「そうなんですか?」
「うん。うちの牧場は大手と違って人手不足だからね。リリーの新馬戦、本当は見に行きたかったんだけど」
「そうですか……そうだ、僕も牧場作業、手伝いますよ!」
そういうと百合は腕を組み考え込む仕草をした。
「本当に?ありがとうー!一応芹澤さんに確認とっておきますねー!」
「わかりました」
「では夕飯の時間にまた呼びますね。ではごゆっくりー」
百合が部屋の扉を閉めて去っていった。
「はぁー……」
シュンヤは深くため息をつき畳に寝転がる。長旅やリリーの事を思い出したりで疲労が溜まっていた。そして、そのまま眠りについてしまった。
「久我騎手!起きてくださいー!」
シュンヤは百合の声で目が覚めた。
窓の外を見ると既に辺りは暗い。
「夕飯の時間ですよ!」
シュンヤは返事をし、目を擦りながらドアを開ける。
「早く!これに着替えてください!」
百合は青色の作業着をシュンヤの前に掲げた。
「??」
シュンヤが訳がわからないという顔をしていると百合が肩をすくめながら言った。
「久我騎手、手伝ってくれるんでしょ?牧場作業」
懐中電灯を照らしている百合についていくと、目の前に明かりが見えた。よく目を凝らすと大きな屋根の建物が見える。中には馬房が並び、鉄柵から顔を出した馬達が見える。
「ウチの厩舎、大きいっしょ。今ここにいるのは来年デビューする当歳馬達。久我騎手には飼い葉桶を運ぶのを手伝ってもらいますね」
「夕飯って、馬の夕飯の事だったんですね」
「あら、言ってなかったっけ?でも、これが終われば人間の夕飯だから、頼みますねー!そこにある桶に貼ってある馬の名前の所に持っていけばいいから。馬房の横に名前は書いてあるけ」
百合は早口でそう言うと緑色の飼い葉桶を抱えて奥に歩いていった
「えーっと、これから行くか」
シュンヤは飼い葉桶を一つ掴み、顔を上げた。
◇◇◇
無事に全頭に飼い葉桶を配り終えた。
体を伸ばすと気持ちがいい。久々に動き回ったこともあってシュンヤの額には汗が滲んでいる。
「ありがとうございました。久我騎手のおかげでいつもより早く終わりましたー!」
百合は笑顔を浮かべていたが、やがて何かに気がついたように手を鳴らした。
「そうだ。あともう一個あったんだった!少し遠い所なんだけど、行ってくれますか?」
「大丈夫です」
百合は手早く桶に牧草や飼料を入れるとシュンヤに手渡してきた。
「あの厩舎の一番奥の馬房だから、気をつけてくださいー」
百合は少し離れた明かりの灯った厩舎を指差した。
「わかりました。行ってきます」
「気をつけてー!」
離れた厩舎までは所々に外灯が設置されており、シュンヤの進む先を点々と照らし出している。
しばらく歩いたシュンヤは手に持った桶をチラッと見る。
深緑色のその桶には『ウェディングリリー』と書かれていた。
「やられた……」
シュンヤが目的の厩舎にたどり着くと、奥に真っ白な美しい馬の頭が見えた。
シュンヤは息を飲み、コンクリートの床に足を踏み入れた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに!




