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白毛馬ウェディングリリー~純白女王の軌跡~  作者: 田原武馬
第二章 三歳クラシック編 前半
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閑話 砂塵の戦旗 ジャンヌフラッグ

田原武馬

――五月二十日 早朝


 霞がかった大護厩舎の馬房棟。

 コンクリート張りの通路にコツコツと足音が響く。

 厩務員、宮本和香は栗色のポニーテールを揺らしながら、一つの馬房に近づいている。

 

 手には青色の巨大バケツ、もとい飼い葉桶が握られている。

 中には干し草や燕麦(えんばく)、ビタミン、ミネラルが配合された飼料がぎっしり詰まっている。


 宮本が馬房の目の前で歩みを止める。

 中を覗くと、宮本の担当馬『ジャンヌフラッグ』が藁に灰色の顔を埋め、すやすやと眠っていた。

 

 四方、三メートルほどの木目張りの部屋。たっぷりと藁が敷かれた空間がジャンヌフラッグの寝床だ。

 馬房の入り口上部には中央に一メートルほどの隙間が空いた鉄の柵が設けられている。


「ジャンヌー」


 ジャンヌは宮本の呼びかけに「フガ」と妙な音を鳴らしただけでぴくりとも動かない。


「ジャンヌーご飯だぞー!」


 その瞬間、ジャンヌは前脚を使い、のそっと立ち上がった。

 すぐに宮本に近づき、鉄柵の隙間からダークグレーの顔を覗かせている。

 その目は期待でキラキラと輝いている。


「ご飯って言ったのわかったのか?現金なやつめー」


 宮本は飼い葉桶を馬房の中にいれ、素早くフックに吊るしてやる。

 すると、ジャンヌは草をムシャムシャと食べ始めた。


「来週レースだからな。頑張れよー」


 ジャンヌフラッグの馬体は相変わらず小柄だが、四ヶ月前に比べ、筋肉が伴ってきている。

 

「ダートに転向してもう二ヶ月かー」

 先ほどから一度も頭を上げず飼葉に食らいついている担当馬に目を細め、宮本は過去に思いを馳せた。


――二ヶ月前


 新馬戦勝利以降、ジャンヌフラッグは勝利から遠のいていた。

 二戦、三戦と重ねるが着順は上がらない。

 打開策として、主戦場を芝からダートに変える案が出された。

 ダートとは英語で土。

 脚を踏み抜く際のパワーが要求されるため、芝よりタフなコースだ。

 当然大柄な馬が有利なコースだが、ジャンヌフラッグが調教でダートコースを走る際のタイムは悪くなかった。


 そして迎えたジャンヌフラッグのダート初戦。

 三月十日阪神競馬場のダート1600m。


 手綱を取ったのは久我シュンヤ。

 ジャンヌフラッグは初舞台もなんのその。後方に待機し、並いるダート馬を押し除け……はせずに合間をスイスイと縫い、勝利してのけた。


 レース後、鞍上のシュンヤ曰く、軽量故にダートコースで足を取られず、走りやすいのだろうとの事だった――


――現在、五月二十日


 毎朝定例となっている厩舎ミーティング。

 大護調教師がホワイトボードをバン!と叩き、

宮本を見た。


「和香、ジャンヌフラッグ次の一戦が決まったぞ。

来週、東京のダート1800m、三歳以上二勝クラスだ!」


「やっと決まったんですか!ジャンヌも私もウズウズしてました!」


 大護は口の端をグイっと歪めて笑った。

「ここからが本題だ。田端貴美子(たばたきみこ)オーナーの希望なんだがな、このレースで賞金を加算して、交流重賞、関東オークスに向かうぞ」


 宮本は目を見開いた。ジャンヌフラッグは自分の初めての担当馬。

 まさか重賞挑戦まで見据えることができるとは思っていなかった。

 

「えー!本当ですか?先生大好き!」

 宮本は両手を上げて喜んだ。


「喜ぶのはまだ早いぞ。どっちにしろ来週の結果次第だ。二着が最低条件だな。戦うクラスも一個上がる。前走のように簡単にはいかんぞ?」

 大護のかけた丸渕のサングラス、その奥で切れ長の目がキラッと光った。


「まっかせてくださいよ!あとの問題はジャンヌの騎手ですよね。シュンくん、骨折でいないし」


「ああ。今回は黒川の息子に依頼しておいた」


「息子……?ああ!黒川総史(くろかわそうし)騎手ですね!確か……シュンくんと競馬学校で同期だった」


「そうだ。シュンヤもG1騎手になってかなり箔がついたが、騎乗技術でいえばあの期では黒川総史が一番上手かったって評判だからな。

ジャンヌフラッグの重賞挑戦を継続依頼出来そうってんで、試してみる事にしたんだ」


「総史くん、そういえば先月重賞勝ってましたものね。ジャンヌとも手が合えばいいなあ」


 黒川典房の息子、黒川総史は五月現在、若手ながら四十七勝。内、重賞一勝を上げており、シュンヤに並び若手のホープと目されている。


「でも確か、総史くんって性格がちょっとキツイ子ですよね。私、彼がレースで負けた後に自分の鞭を折っているの見ましたよ。ベキって!」

 宮本はその場で鞭破壊のジェスチャーをしてみせた。


「まあまだ若いからな、色々あるんだろう。仕事はキチンとこなすし、馬に当たったりする奴じゃあない。うちのシュンヤが素直すぎるぐらいなんだよ」


 大護はあっけらかんとした様子でそう語っている。

「じゃあ、各自今日も一日よろしく!」


「「「はい!」」」


 宮本の不安をよそに、ミーティングは終了してしまった。


◇◇◇


 昼休憩、休憩室で宮本は同僚の鳥飼創太と話していた。

二人は部屋の中央にあるパイプ椅子に座り、机の上のスナック菓子をつまんでいる。


「なんか引っかかるんだよね。総史くん、馬に乱暴するような人じゃないって事だけど、道具に当たるのも違うよね。創太はどう思う?」


 宮本は食べかけのポテトチップスをひらひらと振りながら鳥飼を見る。


「和香、お前の考えすぎだろ。オレ、何回か総史の騎乗見たことあるけど馬に対しての当たりもキツくなかったし道具もしっかり手入れされてたぞ。そんな悪いヤツには見えなかったけどな」


「まあ、私もね、彼を直接見たその一回が鞭破壊シーンだったから、悪いように考えちゃうのかも」


「そうそう。まあ騎手なんてのはどっかで性格が少しは荒くないと務まらんって聞いたぞ。

まあジャンヌに乗るってんで心配になるのはわかるけどな」


 その時、休憩室の扉がガラッと空いた。


「あの、すんません。大護先生、いますか?」


 そこに立っていたのは噂の渦中の人物、黒川総史だった。

 ツンツン逆立った黒髪につり気味の目、細い線ながら筋肉が目立つ体のライン。

 体系以外は父、黒川典芳と真逆な印象を受ける青年だった。


「お、おぅ今は、いないぞ」

 鳥飼の声が上擦った。

「い、いつ戻るかわかんないから、用事あるならこっちで伝えとこ―イッタ!」

 宮本はパイプ椅子から立ち上がる際、机に腰をぶつけてしまった。


「あー……今度乗せてもらえることになったジャンヌフラッグっていう馬、見せてもらいに来ました」

 ワタワタと慌ただしい二人を見て、総史は怪訝な顔を浮かべている。


「あー!ジャンヌフラッグね!それなら私の担当馬だから、案内するよ!」

「じゃあ、アナタが宮本さんか。お願いします」

「そうだけど……私のこと、知ってるの?」


「乗せてもらう馬のことは一通り調べるようにしてます。一応、ジャンヌフラッグの過去のレース全部見たんですけど、直接会ってどんな馬か見たくて。あ、でもお邪魔だったら大丈夫スよ」


「そんなことないよ!私のかわいいジャンヌをぜひ見ていってよ!」

(なーんだ。普通に礼儀正しくていい子じゃん)

 宮本は心の中で胸をなでおろした。


 宮本は総史をジャンヌの馬房の前に案内した。

 総史は慣れた手つきでジャンヌの鼻先を撫でている。

 ジャンヌも気持ちいいのか、されるがままだ。


「ジャンヌフラッグ、かわいいっスね。肩も丈夫そうだ。確かこの子、川崎の関東オークス目指してるんでしたよね」


「そうだよ。次のレース次第だけどね。賞金的には二着を拾えれば大丈夫って先生言ってた」


「そうっスか。それでも、勝てるように……頑張ります。負けていいレースなんか無いし」

 ぶっきらぼうに答える総史だったが、その目には爛々と炎が宿っていた。 


――五月三十日 東京競馬場 ダート1800m


 東京競馬場のダートコースの質感はさらさらとしていて砂に近い。


 この日、ジャンヌフラッグは後方二番手に位置し、レースを進めている。

 ダートのレースにおいて後方に待機するということはその分、前の馬が巻き上げた砂が顔や体に大量にかかる事になる。


 ハロン棒が見えた!あと残り600mだ。

「ジャンヌ、我慢してくれ!もう少しの辛抱だぞ!」

 前の馬達が巻き上げた砂をもろに受け、総史とジャンヌ身体は砂まみれだ。白と紫を基調とした勝負服が茶色に染まっている。

 総史は歯を食いしばり、ジャンヌフラッグを鼓舞する。


「それにしても……」

 総史は後ろをチラと見る。

 そこには自身の父親、黒川典芳がいた。

 この砂煙の中でも、にやけ面を湛え飄々(ひょうひょう)としている。

(気に食わねえ……!)


 一団はそのまま最終コーナーを曲がり、直線へ殺到する。

「行くぞ!シッ!」

 総史はジャンヌフラッグを密集する馬群の外に出し、追い出しを開始した。

「俺は久我のようにはやらん!行け!ジャンヌフラッグ!」

 ブフフフン!(まかせて!)

 ジャンヌフラッグは鼻息荒く、その身を弾ませている。

 総史は鞭を振るい、ジャンヌはそれに応え、さらに加速する。加速。加速。加速。砂がジャンヌの後ろに大量に巻き上がる。

 内でもがく十数頭を外からかわし、先頭に踊り出……


「総史!親父の背中よう見とけや!」

 完全にトップスピードに乗ったジャンヌフラッグの内からさらに抜け出した黒い影があった。

 馬群を縫い、先頭に踊り出た黒川典芳とその騎乗馬ジルユーフォだった。

 漆黒のその馬は、息もつかせぬような末脚で総史とジャンヌフラッグをぶち抜いていった。

「親父!」

 レース後、総史の絶叫が東京競馬場にこだました。


◇◇◇


「クッソ!」

 検量を終えた総史は苛立ちのまま、そばに置いてあった黄色いバケツを蹴飛ばした。

 中に入っていた水がぶちまけられ、バケツが転がっていく。それは一人の足元で止まった。

「総史くん、こういうのは感心しないよ」

 宮本がバケツを拾い上げ、立っていた。


「宮本さんスカ。すいません。わざとじゃないんです」

「嘘!どう見てもわざとやったでしょう!」

「放っておいてください!」

「そんなわけにいくか!モノに当たるような人に私のジャンヌを任せたくないよ!!」

 必死な形相で声を上げた宮本に、総史は目を見開いた。

 しばらく顔を伏せ体を震わせていたが、やがて弾けるように叫んだ。


「……何をやっても、どこへ行っても俺は黒川典芳の息子って言われるんスよ!

自分で名を上げようと頑張っても、いつも親父がそれを邪魔してくる!

さっきだって、親父が俺の気を紛らわさなけりゃ勝てました!」


「総史君、競馬でタ(・)ラ(・)レ(・)バ(・)は禁止だよ。さっきのは君のお父さんが上手(うわて)だっただけ。それでも先生、喜んでたよ。関東オークスにこれで出走出来るって。私も嬉しかった。

それに、総史くんとジャンヌ、手があってると思うんだ。腐らずにこれからもジャンヌと戦ってよ」


「……すんませんでした……次は負けません。あと、もうモノにも当たりません」


 宮本がバケツを差し出すと総史はおずおずとそれを受け取り、水を汲みなおしに戻って行った。

(総史くん、昔の私みたいだな。でも、どうにかなるよね?)


 宮本は過ぎ去っていく総史の背中を眺めながらそう考えた。


――六月十六日


 川崎競馬場 関東オークス(G2)

 ダートの2100m、左回り

 このレースは川崎競馬組合が開催する、遅い時間のレース、いわゆるナイターレースになっている。

 発走時間は午後八時十分。

 辺りは既に暗い。競馬場が巨大な照明塔に照らされ、白いダートコースが暗闇の中浮かび上がっている。

 コースの中にはその中を駆ける一団が作り出す砂煙があった。


 レースは終盤、一団は最終コーナーを迎えていた。

 総史とジャンヌは中団馬群の真っただ中につけている。

 その斜め後方には黒川典芳。騎乗馬は先日の三歳以上二勝クラスでジャンヌフラッグを下したジルユーフォ。

 漆黒の馬体に500キロに迫る巨大な馬体が特徴だ。


(もう、前みたいな失敗はしない。親父はどうでもいい。ジャンヌにとって一番いい競馬をする事だけを考えろ)


 総史は手綱を通じて騎乗馬とコミュニケーションを図る。

 目の前で巻きあがる無数の砂の柱を物ともしないジャンヌフラッグ。

 総史はその小柄な相棒を頼もしく思った。


 最終コーナーに殺到するライバル達、密集していた馬郡がバラけ、徐々に隙間が出来ていくのを総史は見逃さない。


(結局、久我の策が最適解だったんだな。気に食わんが、今はそんなもん関係ない!)


「そこだ!行くぞ!ジャンヌ」


「行くぞーーーーー!」

 総史の追い出しにジャンヌも吠える。


 ジャンヌは猟犬のように砂の上を跳ね、他馬の間を縫いながら加速していく。

 残り200m。ジャンヌフラッグの前には三頭、二頭、残り一頭。

 最後の一頭をかわした時、総史の視界の端にジルユーフォの巨躯が迫っているのが見えた。


「ジャンヌ、頑張れ!俺を勝たせてくれ!」

「ウン!ガンバル!」


 総史は必死で手綱を押し、鞭を振るう。ジャンヌの後ろに無数の砂の柱が出来る。

 ジャンヌフラッグは砂塵の中でひらめいていた。

 ジルユーフォが半馬身迫る!

 しかし、ジャンヌフラッグの勢いは衰えない。

 そのまま、先頭でゴール板を駆け抜けた。


「しゃああああ!!」


 総史は何度も何度もジャンヌフラッグの灰色の頸を撫でる。

 鬣に絡まった砂が舞い上がる。

「よう頑張ったな!」

 ジャンヌも鼻孔を膨らませて得意気だ。


「総史!やったやないか!」

 後ろを見ると笑顔の父、典芳が馬上から総史に手を差し伸べてきた。

「おう……」

 総史は照れくささを感じながらも、父の手を握り返した。


◇◇◇


 レース後の表彰式が終わり、総史が宮本に駆け寄ってきた。


「宮本さん、ありがとうございました。俺、あのままじゃ腐ってました。たぶん親父のこと気にしすぎやったと思います。今後もあの黒川の息子って言われ続けるんだろうけど、いつか、あのおっちゃんを黒(・)川(・)の(・)父(・)親(・)って言われるようにしてやります」


「うんうん!その意気だよー!ジャンヌ、次のレースは八月の門ブリーダーズゴールドカップになるかもって。先生も田端オーナーも、次も総史くんに任せたいって言ってたよ!」


「もし、乗せてもらえるなら、その時はぜひよろしくお願いします!」

 黒川総史は眩しい笑顔でそう答えた。


 ジャンヌフラッグは関東オークスを勝ち、重賞馬になった。

 

 その日の夜、総史は一人、ふと考える。


(そういや、レース中、ジャンヌの声が聞こえた気がするけど、気のせいか?)


 ジャンヌフラッグの挑戦は続く――

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は本編に戻ります。

お楽しみに!

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