第13話 桜の後に、勝利の美酒??
田原武馬
――ウェディングリリーと久我シュンヤは桜花賞を勝利した。
ウイニングランで向正面を駆けるウェディングリリー。横目には桜の花吹雪が舞っている。
シュンヤは未だG1ジョッキーになった実感の湧かぬまま、そんな景色をぼうっと眺めていた。
「おめでとう」
「おめでとうございます」
他の騎手仲間が馬上から祝福をくれた。
「ありがとうございます!!」
「久我、負けたで。まさかあのまま逃げ切ってしまうとはな」
その中に田岡遊星の姿もあった。笑顔の彼とフィストバンプを交わした後、根はいい人なんだな。とシュンヤは思った。
シュンヤ達を迎えに来た鳥飼の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「よ、よがったよがった、オレ、まさか担当してる馬がG1を勝つ、なんで夢にもおぼってなくで……」
「まだ三歳になって最初のG1なんですから!リリーはまだまだこんなもんじゃないですよ」
「ああ、ああ、そうだな……そうだ……リリーが勝った事、牧場を畳んだオカンにも伝えなきゃ……もう競馬なんて見てないだろうし……」
「……」
◇◇◇
その後、リリーとシュンヤは鳥飼に引かれ、観客で満員のスタンド前に移動した。
大小様々なカメラのレンズがシュンヤ達に向けられ、絶えず、シャッターを切る音が聞こえてくる。
大勢の観客に向かって何度も拳を振り上げるシュンヤの姿に、観客は万雷の拍手と歓声で応えた。
馬券氏の親父達の野太い声、リリーのファンであろう女性の黄色い声など、その他多くの歓声が渦となってシュンヤ達の耳に届く。
「オレたち、本当にG1を勝ったんだな」
鳥飼の独りごちた言葉は歓声にかき消され、けれどもシュンヤ達の耳にはハッキリと届いていた。
シュンヤもそこでようやく自分がG1を勝ったのだ。という実感が湧いてきた。
ウイニングランを終え、ウイナーズサークルと呼ばれる広い区画を横切った後、装鞍所に向かう。
その道中でシュンヤは、リリーの頸に腕を回し、鬣に顔を埋めた。
「ありがとう、ありがとうリリー」
さらさらとした綺麗な鬣の匂いを嗅ぐと、なんだかどうしようもない愛おしさがシュンヤの胸に満ちてきた。
「ッッッ……!シュンヤ!匂いは嗅がないで!走ってきたばかりで汗かいちゃってるんだから!」
パタパタと耳を動かし慌てるリリーは恥ずかしいのか、頸をぶんぶん振っている。
「いい匂いだったよ。芝の匂いがした。僕、大好きだよ」
「ま、まぁ今日はもう少し嗅がせてあげても……!」
そんな二人を鳥飼はまだうっすら赤い目でにやけながら眺めていた。
「鳥飼さん!その目はなんですか!」
「いいや?別に?」
「シュンヤのバカ……」
そこからリリーはしおらしくなり黙り込んでしまった。
初めて見るリリーの静かな横顔は、とても綺麗で吸い込まれそうだった。
白く長い睫毛が瞬く度に、リリーの宝石のような瞳が星空のように煌めいていた。
そんな様子を見ているせいか、シュンヤは顔に熱が集まっているのを感じた。
(レース後の興奮のせいだよ。きっとそうだ)
その後、検量室(鞍や騎手が身に着けた重りを量る場所)に向かい、シュンヤは下馬した。
リリーは係の人が健康や足元チェックのために連れていった。
シュンヤが検量を終えた後、後ろでは大護が満面の笑みで出迎えてくれた。
「シュンヤ!よくやった!よくやった!見事に作戦がハマったな!」
「はい!先生のおかげです。本当にありがとうございました!」
師匠と固い抱擁を交わす。見ると、大護の目には涙が光っている。
検量室の扉の前で陽気な声が聞こえてきた。
「Hey!シュンヤサン!オメデトウゴザイマス!」
「アルトンさん、ありがとうございます!」
アルトンは手を差し伸べてきた。シュンヤがそれに応じると、アルトンはグイっとシュンヤの腕を引き、抱擁してきた。
「うわ!」
「やっぱりアナタはTruely、私のライバルデス!!今後は私もフンコツサイシンします!」
「粉骨砕身……僕の骨が砕かれそう……」
アルトンの力強い腕力を感じながらシュンヤは苦笑いを浮かべた。
その後、芝コースのスタンド前で表彰式を経て、口取り写真を撮影した。
重賞とは違いシュンヤは馬上に乗ったままの撮影だ。
リリーを中心にして左右に大護や横田、鳥飼、佐伯氏の親族が並ぶ。
リリーを生産した芹澤ファームの社長だという芹澤という男もいた。彼は泣きながらシュンヤに礼を言ってきた。曰く、牧場生産馬からG1勝利馬が出るのは二十年振りだという。
口取り写真の撮影時、皆一様に笑顔だった。
リリーは桜花賞のピンク色の優勝レイを首にかけ、終始得意気にシュンヤの方を見上げていた。手綱からは終始喜びの感情が流れ込んできた。
シュンヤも満開の笑顔を咲かせた。
その後ウィナーズサークルで記者やファンに見守られながら、勝利騎手インタビューを受けた。
若い眼鏡をかけた男性アナウンサーがマイクを構え、笑顔でシュンヤに言葉を投げかける。
「久我騎手は二十歳の誕生日にG1初勝利ということで、ダブルで嬉しい日になりました。今の気持ちを率直にお聞かせください」
おめでとう!という言葉と、大きな拍手が観客席から上がる。
シュンヤのマイクを握る手が緊張で湿る。一呼吸おいて、自分の心から言葉を拾うように慎重に話し始めた。
「今回、ウェディングリリーで初めてG1レースを勝ちました。もちろんウェディングリリーの絶対的な能力があってのことです。ですが、乗せてくださった佐伯オーナー始め、大護先生や厩舎のスタッフの方、牧場の方々の尽力が無ければここまでたどり着けませんでした。本当にありがとうございました!そしてこの一か月間、ウェディングリリーの事にかかりっきりだったので自分の誕生日のことはすっかり忘れていました」
観客からドッと笑いが起こった。
眼鏡のアナウンサーは最後に、と付け加えこう問いかけてきた。
「では今、ウェディングリリーにはどんな言葉をかけてあげたいですか?」
「本当にありがとう、そして、リリーは僕にとって本当に大切な馬です。リリーは本当に頑張り屋さんな馬です。ちょっとわがままなところもあるんですけどそれも可愛くて……ここでは語りきれないほどの物をリリーからはもらっています。今後も応援よろしくお願いします!」
もう一度観客からは大きな拍手が上がった。
◇◇◇
その日全ての競馬開催が終わった後、佐伯氏行きつけの料亭『匠花』でウェディングリリーの桜花賞祝勝会が行われた。
『桜の間』には無垢材の座敷机がずらりと並び、その上には所せましと料理が並べられている。
シュンヤは主役ということもあり、乾杯の音頭を取らされた。
知っている顔も初めて見る顔もあるが、皆グラスを掲げ、笑顔を向けている。
「皆さんのおかげでウェディングリリーは桜花賞を勝利することができました!ありがとうございました!それでは、乾杯!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
一斉にジョッキグラスがぶつかる小気味良い音が室内に響いた。
シュンヤが牛鍋をつついていると、横の席に佐伯氏が座ってきた。
「久我君、今回は本当にありがとう。最初に、君にあの子を、リリーをお願いして本当に良かった」
佐伯氏は目元を緩めてシュンヤの両手を握ってきた。
「こちらこそ本当にありがとうございました。阪神JFの後、佐伯オーナーの激励あってこそチームとして一つにまとまることが出来ました。これからもよろしくお願いします!」
シュンヤは深々と頭を下げ、そう言った。
佐伯氏は目を細めてウンウンと頷いている。
「おっとそうだ、私の孫娘が君のフアンだというんで連れてきたんだよ。璃子!おいで」
佐伯氏に呼ばれた女性が遠くからパタパタと寄って来た。
遠目にみても整った顔立ちをしている事が分かる。
シュンヤと年齢はそう変わらないか。祖父に似た穏やかそうな目を湛えた女性だ。
肌は白く、細い手足はガラス細工のように透き通っている。前髪は眉の上で綺麗に切り添えられ、腰まである黒髪は滑らかな光を放っている。
彼女はニコっと微笑むと、シュンヤの目の前に座ってきた。曲線美の目立つ胸に手を当て、雲雀の鳴くような美しい声で挨拶をした。
「初めまして。佐伯璃子って言います。私、シュンヤさんとウェディングリリーの大ファンなんです。おじいちゃんの馬っていうのもあるけど、シュンヤさんがリリーちゃんに乗ってる時の柔らかな騎乗が好きで、ずっと応援してました」
にこやかな顔のままゆっくりと言葉を紡ぐ璃子、シュンヤは美少女を前にドギマギしてしまった。
「佐伯さん、嬉しいです!ありがとうございます」
「シュンヤさん、私の名前。璃子って、呼んでくれませんか?」
シュンヤの心臓が跳ねる。
「り、璃子さん」
「はい」
璃子は目を細めるとシュンヤの手を取った。
「今度、リリーちゃんを直接見たいので厩舎にお邪魔してもいいですか?」
「リリーを?ええ!もちろん!」
「やった!ありがとうございます。シュンヤさんがいるタイミングを知りたいので、LINEの連絡先を交換してもらえませんか?」
小さくガッツポーズをする璃子を眺め、シュンヤはなんだか流されているのを自覚したが、言われるままに璃子と連絡先を交換した。
その時シュンヤは脳内で、(僕にはリリーがいる。僕にはリリーがいる)と繰り返し呟いていた。
シュンヤ自身もその理由には気が付いていない。
「おじいちゃん!今度リリーちゃんを見にシュンヤさんに会いに行ってもいいよね?」
「ああ、もちろんいいとも。そうだ。璃子、久我君は今日二十歳になったんだ。お前と同い年だね。ビールでもついであげなさい」
「ええ!わかりました」
璃子はシュンヤの小脇にあったグラスにビール瓶を傾ける。金色に輝く液体がシュワシュワと音を立て、白い泡と共にグラスに注がれていく。
「はい、どうぞ。シュンヤさん。今回は本当におめでとうございました」
「ありがとうございます」
シュンヤはグラスに口をつけた。ビールの苦みが喉の渇きに染みていくようだった。
「プハー!おいしいです!」
「フフフ。よかった」
璃子は相変わらずおっとりとした様子で微笑んでいる。
シュンヤはなんだかいい気持ちになり、グラスをもう一度傾けた。
◇◇◇
この後判明したのだが、シュンヤはアルコールにとんでもなく弱かった。
グラスを半分飲んだ時点で顔は真っ赤になり、呂律が回らなくなっていた。
その後、鳥飼、西田がシュンヤを介抱し、宿に送り届けてくれた。
という顛末を翌日になって知るのであった。
今日が月曜日だから助かった。
もう今後アルコールを口にすることは控えようと心に誓うシュンヤなのであった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに!




