第11話 桜のつぼみ
こんにちはこんばんは。田原武馬です。
ウェディングリリー11話目です。
それではどうぞ!
――二月中旬。
シュンヤはジャンヌフラッグとの勝利以降、順調に勝ち鞍を増やしていた。二週間で京都のメインレースを含めた十二勝をあげた。
競馬ファンの間でも『乗れる若手騎手』として久我シュンヤの名前は徐々に認知されていった。
早朝、シュンヤは栗東トレセンに続く坂道を、愛用のロードバイクで走っていた。
この道は四月になると桜が満開になる。
上に目をやると、膨らみかけた桜の蕾が街灯に照らされていた。
「桜が咲く頃、僕とリリーはどうしているかな」
呟いた言葉は、誰に届くこともなく、背後に消えていった。
大護厩舎につき、急いで安全防護ベストを着込む。
その上から大護厩舎のカラーである黄色いブルゾンを着る。その他ブーツやグローブ、プロテクターを素早く身につける。ヘルメットは騎手専用の青色のもの。
シュンヤは立ち上がり両手で頬をパン!と叩く。
今日からウェディングリリーの調教だ。
四月の桜花賞に向け、本格的なトレーニングが始まる。
シュンヤはリリーの帰厩後、ファーストコンタクトを任されていた。
シュンヤが外に出ると、厩舎の入口を背にして立つ白馬が見えた。
ウェディングリリーだ。朝日を受け、輪郭を燃えるような橙色に染めている。
鳥飼に足を上げてもらいヒョイ、と跨る。
「リリー!また大きくなったね!」
以前に比べ、リリーの背腰の位置が上がっている。腰や臀部など、後肢の筋肉が成長している証だ。
「ちょっとシュンヤ!レディに向かって最初に言う言葉がそれ?可愛くなったね。とか綺麗になった!とかもっとあるでしょう!」
「ごめんごめん。綺麗だよ。リリー」
「フ、フン!わかればいいのよ!」
怒っている風な態度を取っているが、耳が横にふわっと垂れている。嬉しいのだ。
馬の感情は耳の向きを見ればわかる。
シュンヤそれを言葉には出さず笑いを噛み殺した。
「それじゃ、行こうか」
「シュンヤ、私がいない間、なにか面白い事あった?」
運動場までの道すがら二人はのんびりと話していた。舗装された道にウェディングリリーのカツカツという小気味良い足音が響いている。
「そうだなー……鳥飼さんが干し草の中にずっこけたとか、大護先生の帽子が風で飛ばされて池に落ちたとかはあったけど……」
「なんだかつまらないわね」
「あとは……ジャンヌフラッグと一緒に勝ったよ!」
「ジャンヌちゃんと?それを先に言いなさいよ!」
「ジャンヌ、凄かったよ。狭い馬群の中を縫って末脚爆発!って感じで」
「フフン。そうでしょうね。私が走るコツを教えたんだから」
「彼女は馬群にいると落ち着くらしくてね。ジャンヌの身体の動き、呼吸を感じて導いたんだ。一体感っていうかそういうのを感じたよ」
「そ、そうなのね」
「あの日以来、騎手として成長できた気がするんだ。レース後、宮本さんが泣きながら抱き着いてきて困ったよ。鳥飼さんが引き離してくれたから良かったんだけど。でも宮本さんのあの幸せそうな顔は嬉しかったな」
「……」
感傷に浸りながら話すシュンヤ。しかしリリーの首筋に徐々に浮き出る血管には気が付いていない。
「リリー?」
返事がないためふと視線を下げると、リリーの耳が後ろ向きに絞られている。不満がある時のサインだ!
歩みも心無しかズンズンと乱暴になっている。
「リリー、もしかして怒ってる?」
「……怒ってないわよ。私がいない間にジャンヌちゃんとそんなに仲良くなって、しかも人間の女とも仲良くなってて!」
「そんなつもりじゃ……!」
目の前に運動場が現れ、シュンヤの言葉はそこで途切れた。
「まあいいわ。行きましょう。私たちの目標は桜花賞ですものね」
そんなリリーの言葉にシュンヤは内心胸を撫で下ろす。
「そうだよ。そのために今日はウッドチップコースで単走調教だ。」
しかし、リリーはWCコースに入る否や、後ろ脚を跳ね上げ、ギュン!と駆け出してしまった。
とてつもない加速にシュンヤは一瞬体を置いていかれそうになる。
「まだ合図を出していないよ!リリー!」
「聞こえないわー!」
不機嫌そうな声が風に乗って聞こえてきた。
(リリー、すっごい怒ってる!だけど、それよりも、このスピード……!)
リリーの武器であるスタートの加速力が更に磨きがかかっている。
風が耳の横でビュンビュンと鳴ってうるさいぐらいだ。
「凄いよリリー!!やっぱり君は最高だ!」
200m、400m、リリーの速度は衰えない。
シュンヤは必死でリリーにしがみつく。
油断すれば体を前に投げ出されそうになる。
それほどの凄まじい動きだ。
手綱からジン、と熱い感情が流れ込んできた。
「あなたの一番は私だけなんだから!私だけを見ていなさい!シュンヤ!」
シュンヤはリリーの言葉に一瞬、目を見開いたが口の端をニヤっと吊り上げた。
「もちろん!僕の一番は君だけだ!リリー!」
幸せを噛みしめながらその言葉を放った。
遠くからその様子を双眼鏡でのぞいていた大護はポツリと漏らす。
「リリーのやつ、ありゃまた暴走してねえか?いや……」
鞍上のシュンヤを見ると、表情に焦りは見られないどころか笑みを浮かべている。
「アイツ、何か掴んだな」
大護は、弟子の遠くなっていく背中を見つめ、呟いた。
その後シュンヤは、大護、鳥飼と共に、厩舎の休憩ルームで机を囲み顔を突き合わせていた。
大護が口を開く。トレードマークのサングラスも相まってかなりの迫力だ。
「シュンヤ、今回俺はあえて、タイムなんかの指示をしなかった。あのリリーの加速、あれはどう見ても11秒台は切っていた。しかも馬なりでだ。あれは本当に暴走じゃなかったんだよな?」
「ええ、先生。僕が保証します。あれがリリーの自然な走りなんです。筋肉の鼓動を、生命のリズムを感じました。最初から他の馬を気にして速度を抑える必要なんて無いんです。あれがリリーの一番いい形だってわかりましたから」
「ちょいちょいちょい、シュンヤ、調教ならいいかもしれないけど、レース本番であんな足を最初っから使ってたらバテちまうぞ」
「シュンヤ、俺も鳥飼に賛成だ。最初っから速度を抑えない?大逃げってやつだな。だけどな、リリーは馬群で足を溜める事が出来る馬なんだ。リリーの今後を思うなら、差しか先行馬として育てた方がいいと思う。大逃げなんてのは最終手段みたいなもんだよ」
大逃げとはスタートから飛ばして走り、道中は後続に五から十馬身以上差をつける戦法の事だ。大抵最後にはスタミナが切れてしまうので、直線は道中のリードを活かしての逃げ粘りを図る事になる。諸刃の剣のような戦法である。
しかし、シュンヤは自信たっぷりといった様子で腰に手を当て言い放つ。
「先生が言った足を溜めること、そしてスタートの速さを活かした大逃げ、リリーならどちらも兼ね備えた走りが出来ます!」
「二週間後、それをお見せしますよ。名付けて『真・大逃げ戦法』です!」
「名前なんとかならなかったのか」
ドヤ顔で披露するシュンヤに鳥飼がツッコむ。
―そして二週間後
再びウッドチップコースで走るウェディングリリーは、重賞勝ち馬であるアルダロスを一切寄せ付けず、ゴールの標識を駆け抜けた。
「確かに、あれなら、リリーの良さが活きる。考えたじゃねえか」
「現状コルピエアルクオレを倒すならこれしか無いかもな……!」
大護と鳥飼はリリーの新たな走りに納得したようで、少し興奮気味だ。
「見ましたか?これが『真・大逃げ戦法』です!」
もう一度ドヤ顔で言ってみる。
「走りは納得したけど、やっぱそれダサくないか?」
シュンヤはそっぽを向き、鳥飼の言葉に聞こえないふりをした。
「あと約一ヶ月、大逃げ戦法に磨きをかけます。絶対勝ちましょう!桜花賞!!」
「おうよ!」
「ああ!」
男達の声が、僅かに暖かみを帯びた風の中へ溶けていった。
――桜の季節が、もうすぐやってくる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はいよいよ桜花賞です!!
お楽しみに!




