第10話 生命のリズム
こんにちはこんばんは田原武馬です。
ウェディングリリー10話目です!
それではどうぞ!
一月になった。
競走馬は誕生日換算ではなく、毎年一月一日に年齢が増える。
ウェディングリリーも三歳になり、現在外厩施設に放牧に出されている。
「う〜寒っ」
一月二日、乾っ風を頬で受けながら、シュンヤは大護厩舎までの道のりを歩いている。
舗装されたコンクリートの道だが、冷気が染み出している。吐く息は白く、ジャンパーを重ね着しても寒かった。
騎手が休めるのは十二月の最終レースから一月一日の間だけであり、一月二日からはいつも通り調教が始まる。
まだ外は暗いが、他厩舎には明かりが灯っており、シュンヤの歩く道を照らしている。
栗東トレーニングセンターでは正月ムードも無く、調教の準備をする音があちらこちらの厩舎から聞こえてくる。
寒さで凍える中、なんとか大護厩舎についた。
馬房棟の入り口には二つの人影が見えた。何やら話し込んでいるようだ。
「あけましておめでとうございます」
シュンヤはその人影に向かって声を張り上げる。
「おお、おめでとう」
大護が手を上げて返事をする。
「久我君、あけましておめでとう」
大護の横には星勝義が立っていた。
「勝義さん!?何でここにいるんですか?」
戸惑うシュンヤに星は、丁度よかった。と顔を上げた。
「君のところのアルダロス、二週間後の日経新春杯に出るだろう?その騎乗依頼をいただいてね。大護先生とその話をしていたんだよ」
アルダロスは今年六歳になった大護厩舎所属の牡馬だ。今まで三勝をあげている。しかしこの一年半の間は凡走が続き、勝利からは遠のいている。
星はいつもの笑顔を浮かべ、シュンヤに尋ねてきた。
「久我君の初勝利は確か、アルダロスだったよね。君が思う彼の印象を教えてくれないかな?」
星勝義は騎手の中では別格だ。
レース中となると話は別だが、面と向かって会話するとなるとどうしても緊張してしまう。
「アルダロスは、そうですね。瞬発力が一番の武器です。でも最近は直線で先頭に立ってもフラフラ気を抜いて走ってしまって。そこは注意が必要です」
「なるほどね。ありがとう」
「シュンヤ、これからアルダロスの調教をつける。併せでお前乗ってみるか?」
「先生、いいんですか?」
「トップジョッキーの手腕を間近で見て勉強してこい」
「わかりました!すぐに準備してきます」
星勝義と一緒に調教騎乗ができる!大護の提案にシュンヤは先ほどの寒さなどすぐに忘れてしまった。
シュンヤの騎乗馬は、ジャンヌフラッグ、三週間後の三歳新馬戦に出走を予定している。
乗っているとジャンヌの成長を感じる。体重が増え、佇まいがガッシリしてきた。
頼もしい足取りだ。
芝コース入り口で星とアルダロスが待っていた。
「それじゃあやろうか。久我君」
「はい!」
シュンヤとジャンヌフラッグは大護の事前の指示で先行する事になっていた。
足でジャンヌの脇腹を軽く蹴る。小気味良いストライドがシュンヤの下半身に伝わってくる。いい加速だ。
すぐ後ろにアルダロスの芝を割く音が聞こえてきた。
しばらくそのままで走っていたが、400mを過ぎたあたりでアルダロスが加速し、迫ってくる。
シュンヤはジャンヌフラッグの手綱を一杯に追い、なんとか食らいつく。
そのまま200mほど二頭の並走が続く。
アルダロスはいつでもジャンヌフラッグをかわせる手ごたえに見えるが、依然として横を並び走っている。
シュンヤはそこである事に気が付いた。このところ、調教でさえフラフラとしていたアルダロスが気を抜くことなく、真っすぐ走っているのだ。
その目には静かな闘志さえ感じられる。
ゴールの標識が見えたその瞬間、星は一度だけ手綱を動かした。その合図でアルダロスはあっという間にジャンヌフラッグを置き去りにしていった。
調教が終わり、シュンヤは興奮気味に星に近寄った。
「勝義さん!アルダロスの動き完璧でしたね!先生も満足してました」
「ああ、僕の思った通りの動きをしてくれた」
「どういう事ですか?」
「君はアルダロスの事を『直線に立った時フラフラ気を抜いて走ってしまう』と評価していたね。だけどそれは違うとおもうんだ」
「彼は常に馬が横にいないと心細くて集中出来ないんだよ。だから道中は他の馬に併せてもらって最後の最後に抜け出す必要があったのさ」
下のクラスなら素質だけで何とかなったんだろうけどね。と星は付け足した。
「そんな事、初めて乗っただけでなんで分かったんですか?」
星は少し困ったような顔をして考え込んでいたが、真剣な面持ちで口を開いた。
「アルダロスの声を聞いたんだよ」
「といっても本当に話したわけじゃないよ。馬が走る時、それぞれのリズムがある。呼吸、筋肉の僅かな動き。馬は常にそれら全てで人に語りかけている。と僕は思っている。生命のリズムを感じている。と言ってもいいかもしれない」
「生命のリズム……」
「それを手綱、そして足、太もも、とにかく馬と人が触れている箇所でそれを感じてあげるんだ。アルダロスは最初一頭で走っている時、頸が上がって少し辛そうだった。だけど久我君の馬に並んだ時、肩、頸の力みが抜けてスイッチが入ったのを感じたんだ。安心したんだろうね」
シュンヤはその時、阪神ジュベナイルフィリーズでのリリーの走りを思い出した。
(あの時、リリーは僕の声を信じて、馬群の中で我慢してくれた。だけどウェディングリリーの身体は、生まれ持った生命のリズムは、あの走りを望んでいたわけじゃないのかもしれない)
「勝義さん!ありがとうございました。なんだか少しだけ分かった気がします」
「本当はこんな事、同業者には教えないんだけどね」
星は苦笑いを浮かべながら言葉を返す。
「君とウェディングリリーは僕のレーヌドールに唯一、土をつけた存在だ。ライバル。僕はそう思っている。だから特別さ」
そう言い終わると星はいつもの笑みを浮かべた。
◇◇◇
二週間後、日経新春杯(G2)
アルダロスは当日七番人気に支持されていた。
シュンヤが検量室のモニター越しに見守る中、星は道中アルダロスを後方の馬群につけていた。
直線、アルダロスは加速し、先行していた集団を一気にかわした。そして先頭を走っていた馬と全く並んで走っている。
アナウンサーは『二頭のマッチレースか!』と叫んでいたが、シュンヤには二週間前、星との調教で見た景色が重なった。
その予感通り、ゴールの50m手前で星の合図に答えたアルダロスは見事一着でゴール板を駆け抜けた。
「生命のリズムか……」
歓声の中、シュンヤの言葉は誰の耳にも届くことは無く、タイル張りの床にポツリと落ちた。
一週間後
ジャンヌフラッグのデビュー日がやってきた。
舞台は中山競馬場―芝の1600mである。
ジャンヌフラッグの担当厩務員、宮本和香の献身的な世話のおかげで当初400キロほどしかなかった馬体重は430キロになっていた。
「ジャンヌ、ついにこの時が来たね。シュンくん、頼んだよ」
返し馬のため、芝コースに入るシュンヤ達の背中に宮本の声が響く。
シュンヤはジャンヌフラッグを徐々に速度を上げ、走らせる。
「よし!いい動きだ」
加速時の脚のスライドが滑らかで反応も良い。
しかし、客席スタンド前に差し掛かった時、違和感を覚えた、先ほどに比べジャンヌの動きが明らかに落ちている。
「どうしたの?」
どこかを悪くしたのか心配したが、ゲート裏の待機所に近づくにつれ、ジャンヌの走りは調子を取り戻していた。
「一緒に頑張ろうな」
そう言いながら灰色の鬣を撫でてやると、ぶるるるる!と返事が返ってきた。ジャンヌはやる気だ。
ジャンヌフラッグはゲートも問題なく、現在スタートして400m地点を進んでいる。
先頭から三番手に位置し、最初のコーナーを曲がる。
今のところ順調にきている。反応は相変わらず上々だ。
変化が起こったのは二つ目のコーナーに差し掛かった時だった。
客席スタンドが見えてきた。怒号や歓声が一つの音の波になって聞こえてくる。
客は馬券に必死なのだろう。怒号が大半を占めている。
その時、ジャンヌフラッグの足はどんどん回転を落としていった。
「どうした?ジャンヌ!」
必死で手綱を動かすが、力ないジャンヌの頸は垂れたままだ。四番手、五番手と後退していく。
(どうする!どうする!)
焦るシュンヤだが、星の言葉を思い出した。
「そうだ。生命のリズムだ!」
一瞬目をつぶり、ジャンヌフラッグの呼吸、生命のリズムを感じようと集中する。
頸は右側を向き、左前方に位置する客席スタンドを避けるように身を捩っている。
後ろ脚のスライドはバラバラで、不快な振動がシュンヤの太ももに伝わってくる。
「初めてのレースだもんな。ビックリしたよな」
ジャンヌはスタンドの人間を恐れていたのだ。
その心情を理解したとき、体が勝手に動いていた。
手綱を少しずつ動かし、ジャンヌを馬群の真ん中に入れる。四方が馬に囲まれる形になる。
「よし!いい子だ」
ジャンヌフラッグは落ち着きを取り戻していた。その走りは再び活力に満ちている。
そのまま五番手で最終コーナーを駆け抜ける。
ジャンヌの手綱はピンと張り、いつでも行ける。と頼もしい合図を絶えず送ってきていた。
直線に入った。皆それぞれ追い出しを開始し、密集していた馬群がばらける。
シュンヤもジャンヌの鼻先を内側に向け、追い出しを開始した。
ジャンヌフラッグは内側から他の馬をスルスルとかわし、二番手に立つ。
ここからはスタンド側に馬の壁が無い。どうする!
しかしジャンヌフラッグの勢いは、スタンドから打ち付ける歓声を受けても衰えることはない。
後続に一馬身の差をつけ、見事一着でゴール板を駆け抜けた。
「やったぞジャンヌ!」
そう声をかけるが、ジャンヌの目にはいまだに闘志の炎が燃え、全力で駆けている。
「わあああああ!もうレースは終わったよ!ジャンヌ!ジャンヌ!」
シュンヤは手綱をめいいっぱい後ろに引いた。
荒ぶるジャンヌフラッグはレースが終わったことにやっと気が付いたようで、辺りをキョロキョロ見回している。
「ジャンヌきみ、ひょっとして最後の直線は集中していて歓声が聞こえてなかったの?」
ぷるるるると鼻を鳴らして、ジャンヌはなぜか得意気だ。
シュンヤは笑った。馬の生命のリズムに耳を傾け、理解し、導けた実感があった。
騎手として新しい境地を開けたような、そんな気がした。
その二週間後、ウェディングリリーが大護厩舎に帰厩した。
目指すは牝馬クラシック第一冠目『桜花賞』――チームウェディングリリーの新たな挑戦が始まる。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回もお楽しみに!




