第9話 レースの後に
こんにちはこんばんは
田原武馬です。
ウェディングリリー9話です。
それではどうぞ
阪神ジュベナイルフィリーズから一日が経った。
シュンヤは家にいても落ち着かず、大護厩舎に顔を出していた。
リリーの様子を見ようと馬房棟に入ったシュンヤの背中に、厩務員の宮本が声をかけてきた。
「シュンくん、何してんの?」
「宮本さん、なんだか落ち着かなくて。リリーの様子を見にきました」
「リリーならいつも通り。って鳥飼くんが言ってたよ。しかもさっき見たら昼寝してた」
「そうですか……レースのダメージも無さそうで安心しました」
「そんな事よりシュンくん、ウェディングリリーのオーナー、今来てるらしいよ。事務棟にいるって」
「え?佐伯さんが?本当ですか?」
「鳥飼くんが様子見に行ってたから、シュンくんも行ってきたら?」
馬房棟から少し離れた事務棟に向かうと、調教師室の扉に張り付く鳥飼の姿が見えた。鳥飼はシュンヤを見ると、無言で手招きをしてきた。
「申し訳ございませんでした!!」
その時部屋の中から大きな声が聞こえてきた。
シュンヤは目を見開き、鳥飼と顔を見合わせた。鳥飼も驚いた表情で固まっている。
「そんな、大護さん頭を上げてください。勝負なんて時の運なんですから……」
なだめるような佐伯氏の声が聞こえてくる。
「ウェディングリリーの騎手を変えようというなら少し待ってあげてください。今回のレース、敗因があるとするなら調教師である私の責任です。だからどうか……」
大護に佐伯氏の声は聞こえていないようで、必死に謝罪を繰り返していた。
シュンヤはそんな大護の言葉に胸が痛くなった。
居ても立っても居られず、調教師室の扉を開けた。
「あ、シュンヤお前!ばか!」
シュンヤは鳥飼の制止も聞かず、部屋に入り頭を下げた。
「佐伯オーナー!初めまして。久我シュンヤです!今回の阪神JF、責任があるとすれば僕の前半の判断ミスによるものです!大護厩舎の方々はウェディングリリーを過去最高のに仕上げてくれていました。本当に申し訳ございませんでした」
「二人とも、顔を上げてください。それに久我君、私たちははじめましてでは無いですよ。」
穏やかな声がシュンヤの後頭部に落ちてきた。
そこで初めて佐伯氏の方を見る。
細身で高級そうなベストを羽織り、中折れ棒を被った老人がそこに立っていた。目元にはシワが目立つが穏やかそうな顔をしている。
確かに見覚えがあるような気がするが、記憶がそれ以上出てこない。
「えっと……」
「覚えてなくても仕方がないですね。あれは確か君が競馬学校に入学する前の事でしたから」
「五年前の夏でしたかね。県営バスに私が乗った時です。一人で立っている私を見た久我君、あなたはすぐに私に席を譲ってくれたんです。『いいんです。僕はバランス感覚を養わなければいけませんから』って」
シュンヤもそこで少しづつ記憶が蘇ってきた。
その時よりは少しシワが増えただろうか、目を細めながら佐伯氏は続ける。
「理由を尋ねると、競馬学校に入学して騎手を目指していると。それで私も長く馬主業をやっているとあなたに伝えました」
「そんな事もあった気がします」
「それではその時の約束を覚えていますか?」
笑顔で佐伯氏は聞いてくる。
「ええと……」
「君がもし本当に騎手になったら、その時は私の一番の馬を君に任せるよ。って」
そういえばそんな事も言われた気がする。朧げだった記憶が徐々に蘇ってくる。
「だからウェディングリリーをうちに預けてくれたんですか?」
大護が口を挟む。
「ええ。ですがその選択は間違えていなかったと確信しました。今時、弟子のために頭を下げられる師匠はなかなかいませんからね。久我君にはこの先もウェディングリリーに乗ってもらいたいと思っております。どうですか?」
「ありがとうございます!」
大護が深々と頭を下げている。
シュンヤはそんな師匠の姿を初めて見た。目に熱いものが込み上げてきそうになる。
「それにしても今日は突然尋ねたりして申し訳ありませんでした。トレセン入場の許可は取ったのですが、大護先生に伝え忘れておりまして。そのせいで皆さんに勘違いをさせてしまいました」
「そうだ、今日はどういったご用件で……?」
「昨日の阪神JF、急用でリリーの晴れ姿を見れなかったもので、様子を見にきたんですよ」
「そうでしたか……」
「うちの家内からレースの様子は聞きましたよ。久我君、きみがウェディングリリーと直線で抜け出した時、キラキラ輝いて本当に綺麗だったって」
リリーを褒められると途端に嬉しい気持ちが湧き上がってきた。
「先ほども言いましたが、勝負なんてほんの時の運です。私は五年前、久我君と出会い、約束を交わしました。その少年が本当に騎手になり、今や私の大切なリリーに乗ってG1の挑戦まで叶いました。大護先生にも巡り会えました。小さな縁が大きな渦を、成功をもたらしてくれる事を私は信じています。これからもチームウェディングリリーを全力で応援させていただきますよ」
そういうと佐伯氏は大護に手を差し出した。
深々と頭を下げた大護は、その手を硬く握った。
シュンヤは大護の横顔に光るものを見たような気がした。
◇◇◇
シュンヤは鳥飼と一緒に佐伯氏を馬房棟に案内していた。
「こちらがウェディングリリーです」
「おぉ、リリーや。久しぶりだなあ」
ウェディングリリーはこの人だあれ?と言いたげな様子で耳を後ろに絞り、足をダン!と踏み鳴らしている。
「リリー、この人は佐伯伊三郎オーナー。この人のおかげで僕たちは会えたんだよ。」
首を傾げ、最初は警戒していたウェディングリリーだが、その目に徐々に光が差していた。
牧場時代から知っている佐伯氏を思い出したのかもしれない。
リリーもおとなしく鼻を突き出し、撫でられている。
「芹澤ファームで最初にこの子を見た時の衝撃は忘れませんよ。見た目のインパクトもありましたが、その身のこなし、体のバネが凄かった」
昨日のことのように思い出しますよ。と佐伯氏は続けた。
「リリーは母親のホワイトヴェールと一緒に放牧地をのびのびと駆け回って。天国ってのがあるとしたらあんな景色なんだろうな。そう思いましたよ」
佐伯氏がウェディングリリーを見る目はまるで孫を見るようなそんな愛情に溢れた眼差しだった。
「久我君、そして鳥飼さん。ウェディングリリーをどうかよろしくお願いしますね」
「はい!!」
シュンヤと鳥飼は全く揃って返事を返した。
それに呼応するようにリリーも嘶いた。
その後、ウェディングリリーの来年度の予定が話し合われた。
来年度の最初の目標は四月に行われるG1『桜花賞』に決定した。
牝馬クラシック路線の第一冠目だ。
「足元に問題が無けりゃ来週、リリーを放牧に出す。そっから外厩で鍛えてもらって来年の二月にはウチに帰ってくる予定だ」
「二月?早すぎやしませんか?桜花賞は四月ですよ?」
鳥飼が疑問を口にする。
「今まで通りの調教パターンじゃコルピエアルクオレには勝てねえ」
「そこでだ。このトレセンで二ヶ月間、みっちりトレーニングを積んで、ウェディングリリーの更なる強化を促す。シュンヤには今まで以上に、密にリリーの調教に関わってもらうぞ。鳥飼も、気付きがあれば遠慮せずに進言してくれ」
「はい!」
二人は声を揃えて返事をする。
まだ見ぬ桜の季節に思いを馳せ、シュンヤの胸は再び高鳴っていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに!




