第99話「相談事」
翌朝、颯に昨日のことを話した。
いつもの屋上ではなく、登校してすぐの昇降口だった。颯が靴を履き替えながら聞いていた。途中から手が止まった。片方の靴だけ履いた状態で、俺の話を最後まで聞いた。
「その子、誰かわかるか」
「わからない。一年生だと思う。それだけだ」
「顔は覚えているか」
「覚えている」
「じゃあ探そう」颯が残りの靴を履いた。「一年生の教室は全部で六クラスある。顔がわかれば、一個ずつ確認すればいい」
「授業中に確認するわけにはいかない」
「そうだな」颯が少し考えた。「昼休みと放課後を使えばいい。澪ちゃんと城島先輩にも頼もう。五人で手分けすれば、一日あれば見つかる」
「頼む」
「任せろ」颯が頷いた。「その子が走って行った方向から考えて、どの辺のクラスか絞れないか」
「廊下の角から北に走った。北側の昇降口に近い教室を使っている可能性が高い」
「北側か」颯が考えた。「一年の北側のクラスは、D組とE組だな。そこから当たってみる」
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昼休みに城島と澪に話した。
城島が「私も手伝います」と即座に言った。
澪は俺の話を最後まで黙って聞いていた。話し終えた後、ノートに何かを書き込みながら言った。
「昨日の廊下の角の場所と、走っていった方向と、体格と眼鏡という特徴があれば、ある程度絞れます。私、調べてみます」
「どうやって調べるんだ」颯が言った。
「学園の委員会名簿と、昨日の放課後の目撃情報を集めます。一年生の北側のクラスで、昨日の放課後に廊下で目撃されている眼鏡の男子生徒を探せば、絞り込めるはずです」
「澪ちゃん、探偵みたいだな」
「探偵ではないです。情報を整理しているだけです」
「俺には一生できそうにないや」
「案外やってみるとできるものですよ」澪が言ってノートを閉じた。「明日の朝までに何か掴めると思います」
ルナが「私も探したい」と話に入り込んできた。
「ルナさん、学園に来て二日目で探偵仕事か」
「早めに馴染んだ方がいいと思って」と少し照れながらルナは言葉を溢した。
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翌朝だった。
澪が昇降口で俺を待っていた。颯より早かった。手にメモを一枚持っていた。
「見つかりました」
俺はメモを受け取った。
一年E組、東雲奏汰と書かれており、その下に、顔の特徴と昨日の目撃情報が箇条書きになっていた。
「昨日の放課後、北側の昇降口付近で目撃されていた一年生の中で、眼鏡をかけていた男子はこの子だけでした。E組の出席番号十二番。昨日の昼休みも、一人で北側の廊下付近にいたという目撃情報があります」
「昼休みも一人でいたのか」
「そうみたいです。一人でいることが多い生徒だということは、確かなようです」
俺はメモを見た。東雲奏汰。昨日の、あの諦めた目をしていた男の子の名前だ。
あの目には、俺も少しだが覚えがある、、、
「澪」
「なんですか」
「ありがとう」
「お礼を言われることじゃないです」澪がいつもどおりに言葉を返した。「でも——あの子のことが気になっているんですね」
「そうだ」
「なぜですか」
俺は少し考えた。
「あの目を見た時に、体が動いた。何かしなければならないと思った。理屈ではない」
澪がしばらく俺を見ていた。
「……あなたらしいですね。理屈ではなく体が動く人間は、本物だと思います」
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颯に東雲のことを伝えた。
「E組か、今日の昼休みに話しかけてみるか」
「俺が一人で行く」
「一人で?」颯が首を傾げた。「何人かで行った方が、話しかけやすくないか」
「逆だ。あの子の状況を考えれば、複数人で囲まれることへの警戒心が強いはずだ。一人の方がいい」
颯がしばらく考えた。
「……そうだな。確かに」颯が頷いた。「じゃあ煉一人で行くってことで、俺たちは近くにいるけど、離れてる形にする」
「頼む」
「でも一つだけ言っていいか」
「なんだ」
「煉、一人で行って、話しかけるの得意か?」颯が遠慮がちに言った。「その子、昨日俺たちを見た時に泣きながら走って行ったんだろ。煉が話しかけたとして、うまく話せるか」
俺は少し止まった。
「…………」
「煉?」
「得意ではないかもしれない、正直かなり不安だ」
「だよな」颯が苦笑した。「煉って、強くて気配読みができて、戦闘はあんなに完璧なのに、こういう時の声のかけ方が一番苦手そうだよな」
「そうかもしれない」
「でも——煉が行くのが一番いいと俺は思う」颯が続けた。「技術じゃなくて、想いの話だ。煉が本気で気にしているということは、話しかければ伝わる。言葉が上手くなくても」
俺はその言葉を、少し頭の中で転がした。
「そうかもしれないな」
「そうなんだよ。任せろ、煉。俺たちは見守ってる」
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昼休みになった。
E組の教室の前まで来た。廊下から中を見た。東雲奏汰の席は窓側の後ろから二番目だ。澪のメモに書いてある通り。
教室の中を確認してみると東雲がいた。
昼休みが始まったばかりだというのに、東雲はすでに弁当を持って立ち上がっていた。どこかに移動しようとしていた。
俺は教室のドアの前で待った。
東雲が廊下に出てきた。
そして、俺と目が合った。
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東雲が止まった。
昨日の廊下の角で、壁に背中をつけて膝を抱えていた男の子だ。小柄で、眼鏡をかけていて、制服がやや大きかった。今日は昨日より整っていたが、目の下にうっすらと隈があった。
俺を見た瞬間、東雲の体が僅かに固まった。昨日の記憶があるはずだ。泣きながら走り去ったことも、覚えているだろう。
俺は一歩引いた。正面に立つのではなく、少し横にずれた。圧迫感を与えないように。
「少し話せるか」
東雲が俺を見ていた。逃げるか、それとも留まるか、その選択をしているように見えた。
俺は続けた。
「昨日のことを詮索したいわけじゃない。強要するつもりもない。嫌なら行っていい」
東雲がしばらく俺を見ていた。
逃げなかった。
だが、頷いてもいなかった。ただ、その場に立っていた。
「俺はE組を知らないから、どこか静かな場所があれば教えてくれると助かる。なければ、ここで立ち話でもいい」
東雲が、ゆっくりと口を開いた。
「……北側の、非常階段の踊り場が、人が来ないです」
声が小さかった。だが確かに、声が出た。
「そこでいいか」
東雲が小さく頷いた。
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非常階段の踊り場だった。
人気がなかった。外からの光が差し込んでいて、明るかった。古い建物の匂いがした。東雲が踊り場の端に立って、弁当を両手で持ったまま、俺を見ていた。
俺は反対側の壁に背中をつけた。東雲との距離を、二メートルほど確保した。詰めすぎないように。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
東雲が先に言った。
「……昨日、助けてくれた方ですよね」
「ああ」
「ありがとう、ございました」声が途切れ途切れだった。「逃げちゃって、すみません」
「謝らなくていい。逃げたくなる気持ちはわかる」
「わかるんですか」東雲が少し不思議そうな顔をした。
「わかる」
東雲が俺を見た。Sランクのエンブレムを見た。それから、また俺の顔を見た。わかるはずがない、という感情と、もしかしたらわかるかもしれない、という感情が、その目の中で揺れていた。
「少し聞かせてくれ、嫌なら言わなくていい。だが——話せるなら、聞く」
東雲がしばらく、弁当を持ったまま俯いていた。
踊り場に、風が通った。
東雲が、ゆっくりと口を開こうとした。




