表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

100/112

第100話「最弱と、過去の話」

 東雲が話し始めたのは、踊り場に沈黙が落ちてから五分ほど経った頃だった。


 最初は短かった。


「……あいつらとは、入学してすぐから、です」


 それだけ言って、また黙った。俺は何も言わなかった。急かさなかった。東雲が話す準備をしているのがわかったから、無理に引き出す必要はない。そう考えた。


 しばらくして、また声が出た。


「最初は、ちょっとからかわれる程度でした。でも——だんだん、エスカレートして」


「今はどのくらいの頻度だ」


「毎日、じゃないですけど。週に、三日か四日は」東雲が弁当を持つ手に力を込めた。「昨日みたいなことが、ずっと続いています」


「どのくらい続いているんだ」


「一学期が始まってから、ずっとです」


 一学期が始まってから。約四ヶ月間だ。毎週三日から四日。それだけの時間、あの廊下の角みたいな状況が繰り返されていた。


「教師たちには言っていないのか」


「言えないです」東雲が首を振った。「言ったら、もっとひどくなると思って」


「他の生徒には」


「友達が、いないので」東雲が静かに言った。事実を述べるような、感情を抑えた声だった。「一年生になってから、誰とも仲良くなれなくて。それも——多分、これのせいで」


「これ、というのは」


---


 東雲が少し間を置いた。


 弁当を踊り場の手すりに置いて、両手を見た。その手を、しばらく見ていた。


「俺の異能のことです」東雲が言った。「知ってますか、最弱って言葉」


「ああ、もちろんだ」


「俺の異能、本当に最弱なんです。名前は体弱化たいじゃくか。自分の体を弱くする異能です」


 俺は少し止まった。


「自分の体を、弱くする」


「そうです」東雲が自嘲するように笑った。笑いに、力がなかった。「強化系でも操作系でも変換系でもなくて、自分の体を弱らせる異能なんです。常時発動していて、止めることもできない。だから一般の人間より体力が低くて、持久力もなくて、普通の運動も人より下です」


「制御はできないのか」


「できないです。生まれた時からずっとこれで、弱くなる一方で」東雲が手すりを掴んだ。「覇凰学園に入れたのは、テストの筆記で点数が良かったからです。実技はほぼ最下位でした。入学してからも、訓練で毎回一番最後まで残っていて——それをあいつらに笑われて、始まりました」


 俺はその話を、黙って聞いていた。


 体弱化。自分の体を弱くする異能。制御できない。常時発動。一般人より弱い。


 異能者の学園に、そういう生徒がいる。笑いの種にされる。廊下の角に追い詰められる。助けを求めることすら諦めた目になる。


 全部が、繋がった。


「だから——誰も近づいてこないんです」東雲が続けた。「弱い異能を持っている人間は、迷惑だって思われる。足を引っ張るって。最初は気を遣ってくれる人もいたけど、だんだん離れていって——今は、誰もいないです」


---


 東雲が手すりから手を離した。


 また俯いた。


「黒瀬くんが言ってくれた通り、話せました」東雲が言った。「でも——話しても、どうにもならないと思っていて。どうせ変わらないから」


「なぜそう思う」


「だって——」東雲が顔を上げた。「俺の異能は、変わらないんです。弱くなる一方で、強くなる方向がない。努力の方向がない。どれだけ頑張っても、体弱化が全部打ち消す。そういう異能なんです」


「それを、誰かに言われたのか。努力の方向がないと」


「自分でわかります。黒瀬くんは無能者でもSランクになった。だから努力が報われると思う人もいる。でも——俺は違うんです。無能者は異能がないだけだけど、俺は異能のせいで普通より弱い。同じじゃないんです」


 俺は東雲の言葉を、頭の中で整理した。


「そうかもしれない。同じではないかもしれない」


「でしょ」東雲が少し投げやりな声になった。「だから黒瀬くんが俺の気持ちわかるって言っても——わからないと思います。強いし、かっこいいし、無能者でもSランクになった人が、俺の何がわかるんですか」


---


 東雲の声に、熱が混じっていた。


 それまでの抑えた声とは違う。感情が、表面に出てきていた。


「みんなそうなんです」東雲が続けた。「頑張れって言う。前を向けって言う。でも俺の異能は弱くなる一方で、頑張る方向がわからなくて、前を向いた先に何があるかもわからない。それでも頑張れって言う人の気持ちがわからない」


「そうだな」


「黒瀬くんも、そう言うんですよね」東雲が言った。「頑張れとか、大丈夫だとか。でも——本当に大丈夫かどうか、わかるんですか。俺の何がわかるんですか。Sランクで強くてかっこよくて、何でもできる人に、俺の気持ちがわかるわけない」


 東雲の目が赤くなっていた。


 半ば逆ギレのような言葉だった。だが俺には、それが逆ギレに見えなかった。ずっと言えなかったことが、初めて出てきた言葉だ。誰にも言えなくて、言っても無駄だと思っていて、それでも今日初めて口から出てきた言葉だ。


 俺はその言葉を、静かに受け取った。


「そうかもしれない。俺が強いのは事実かもしれない。Sランクなのも本当だ。お前の気持ちが全部わかると言えば、嘘になる」


「でしょ」


「だが——」


「だが、何ですか」東雲が俺を見た。その目に、怒りと悲しみが混在していた。「どうせ、それでも頑張れとか言うんでしょ。みんなそう言う」


「言わない」


 東雲が止まった。


「言わない」俺はもう一度言った。「頑張れとは言わない。今は言える状態じゃないとわかるから」


「じゃあ、何と言うんですか」


---


 俺は少し間を置いた。


 東雲が俺を見ていた。怒りと悲しみの混じった目で、俺を見ていた。


「俺の気持ちはわからないと言いましたよね。それは認めてくれた。でも——それだけですか。結局、何も言えないんですか」


「何の面白みもない昔話をしようか」俺は静かに言った。


「どういうことですか」


「俺の過去の話を、しよう」


 東雲が少し止まった。


「黒瀬くんの、過去?」


「お前はこの学校で流れている、俺が魔王の転生体であるという噂を聞いたことはあるか?」


「小耳に挟む程度には」


「なら話が早いな。あれは噂なんかでもなく、紛れもない事実だ。」


「にわかには信じられないですが、、、」


「信じてもらわなくてもいい、ただ聞いてくれさえすれば」


俺は踊り場の手すりに背中を預けた。「お前の気持ちが全部わかるとは言えない。だが——異能がないことを笑われた経験は、俺にもある。誰にも理解されないと思っていた時間も、俺にはある」


「でも黒瀬くんは——」


俺は遮らずに、ただ静かに言った。「長い話になるかもしれない。それでも、聞いてくれるなら話す」


 東雲がしばらく俺を見ていた。


 怒りが、少しずつ引いていく様子があった。代わりに、何かを測るような目になった。この人間は信用できるのか、という目だ。子どもが初めて大人を試す時の目に似ていた。


「……聞きます」東雲が静かに言った。


「そうか」


 俺は踊り場の端に座った。東雲も、少し迷ってから隣に座った。


 二人分の沈黙が、非常階段の踊り場に落ちた。


 風が通った。


 俺は話し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ