第97話「諦めの表情」
昼休みになった。
屋上に向かうと、いつもより早く澪が来ていた。弁当を膝に置いて、ノートを開いていた。だが今日は書いていなかった。開いているだけだった。
俺が隣に座った。
「ルナさんが一緒に来るかと思いました」澪が前を向いたまま言った。
「なぜだ」
「今日一日、隙あらば話しかけてきていたので」
「そうだったか」
「そうでした」澪がノートを閉じた。「昼休みも、来るかと思って、少し早めに来ました」
「なぜ早めに来た」
澪が少し間を置いた。
「……二人だけで話したかったので」
「そうか」
「いけませんでしたか」
「いけなくはない。いつもそうしているだろ」
「そうですね」澪が弁当を開いた。「では、いただきます」
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食べ始めてしばらくして、屋上の扉が開いた。
ルナだった。
制服姿のルナが、扉から顔を出して俺を見た。それから澪を見た。少し間を置いてから、静かに言った。
「邪魔をするつもりはなかったけれど——場所がわからなくて、颯くんに聞いたら教えてくれた」
「颯め」
「颯くんは優しいね」ルナが屋上に入ってきた。「怒らないであげて」
ルナが俺の反対側、澪とは逆のほうに座った。俺を挟んで、澪とルナが両側にいる形になった。
「朝霧さん、邪魔してごめんなさい」ルナが澪に言った。
「邪魔ではないです」澪が静かに答えた。声は平静だった。だが弁当を持つ手が、わずかに力を入れていた。
「本当に?」
「本当です」
「そう」ルナが穏やかに微笑んだ。「朝霧さんは正直ね。邪魔ではないと言いながら、少し邪魔だと思っているでしょ」
澪が少し固まった。
「……読めるんですか、そういうことが」
「三百年以上人を見てきたからね。ごめんなさい。少し時間をもらったら、行くわ」
「いてください」澪が言った。今度は一瞬の間もなかった。「ここにいてください。私が少し、不必要なことを考えていただけです」
ルナが澪を見た。その赤い目が、穏やかに細くなった。
「あなたは、いい人ね」
「そんなことはないです」
「いい人よ」ルナが断言した。「自分が損をする方向で、正直でいられる人間はいい人だと思う」
澪がしばらく黙っていた。それから「……ルナさんも、いい人ですね」と小声で言った。ルナが「ありがとう」と静かに言った。
俺は二人を交互に見た。
なんとも言えない空気だった。だが——悪い空気ではなかった。
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午後の授業が終わった後のことだった。
ルナの爆モテぶりが、午後になってさらに加速していた。
昼休みの屋上からルナが去った後、廊下を歩くルナの周りに男子が集まっていた。三人、五人、七人。ルナが静かに話すたびに、周囲の男子が前のめりになっていた。ルナは迷惑そうにするでもなく、かといって積極的に歓迎するわけでもなく、ただ穏やかにそこにいた。三百年以上生きてきた人間の余裕というのは、こういう形で出るのかもしれない。
颯が俺に「あの状況のルナさんを見て、何も感じないのか」と聞いた。
「感じない」
「本当に?」
「本当だ」
「煉は鈍いのか、それとも強いのか」
「どちらでもない」
「どちらかだとは思うんだが」
里中が放課後に「後輩、あの時からルナがお前のことを見る時だけ目が違う、だいじょぶか?」と言った。
「わかっている。大丈夫だ」
「わかっててあの態度か」
「今は他にやることがある」
「まあそうだな」と言い、それ以上は何も言わなかった。
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放課後、廊下を歩いていた時のことだった。
ルナが隣を歩いていた。颯たちより先に出て、二人で廊下を歩いていた。
ルナが俺の左腕に、さりげなく手を添えた。
完全にさりげなかった。気づかないかもしれないくらい自然な動作だった。だが確かに、ルナの手が俺の腕に触れていた。
「ルナ」
「なにかしら」
「腕」
「気づいた?」
「気づく」
「そう」ルナが手を離した。「残念」
「残念、と言うな」
「思ったことを言っただけよ」ルナが穏やかに笑った。「三百年以上正直に生きてきたから、嘘をつく習慣がないの」
「それはわかっているが」
「でも——嫌だった?」
俺は少し考えた。
「嫌ではなかった」
「なら問題ないね」
「問題はある」
「どんな?」
「言わない」
「なぜ?」
「今は言わない」
ルナが俺を見た。その赤い目が、静かに笑っていた。
「いいわ。待ってるから」
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その時だった。
廊下の端が見えた。
校舎の端の、あまり人が通らない廊下の角だ。夕方になると日が差し込まなくなって、薄暗くなる場所だ。
そこに、一人の男子生徒がいた。
小柄だった。一年生だろうか。制服が少し乱れており、眼鏡をかけていた。壁に背中をつけて、膝を抱えて座っていた。
その周りに、三人の上級生がいた。
二年生か三年生だ。体格がいい。その三人が、小柄な生徒を取り囲むようにして立っていた。言葉は聞こえなかったが、上級生の一人が小柄な生徒の眼鏡を取り上げて、弄んでいるのが見えた。
小柄な生徒が、何も言えずに壁に背中をつけていた。
俺は足を止めた。
ルナも止まった。
「煉」ルナが静かに言った。
「見えている」
三人の上級生はまだ、こちらに気づいていなかった。小柄な生徒だけが、廊下の端から俺たちの方を見た。助けを求めているような目ではなかった。諦めているような、それが当然だと思っているような、そういう目だった。
その目を見た瞬間、俺の中で何かが静かに動いた。




