第93話「時を超えて、惚れられる」
煉の一閃で崩れ落ちた敵の身体が、遅れて地面に転がる。
その音で――残っていた連中の空気が、はっきりと変わった。
「……っ、なんだよコイツら……!」
恐怖。
さっきまでの余裕は消え、代わりに滲むのは“理解できないもの”への怯え。
だが、煉は一切構わない。
黒剣を軽く振るい、付着した血を払う。
「まだ立ってるなら、続けろ」
低く、冷たい声。
「その程度で終わりなら――最初から絡んでくるな」
挑発。
それに、三人が同時に吠えた。
「舐めんなァ!!」
炎、雷、強化――三方向からの同時攻撃。
だが。
「ルナ」
「任せて」
その一言で、時間が“ズレる”。
三人の攻撃が、ほんの一瞬だけ“遅れる”。
そのズレに、煉は滑り込んだ。
「遅い」
一人目の懐へ。
拳が鳩尾を抉り、呼吸を奪う。
「浅い」
二人目の雷撃を、黒剣で斬る。
雷が弾けるのではなく、吸い込まれる。
「脆い」
三人目の身体強化を、真正面から叩き潰す。
剣と拳が同時に叩き込まれ、骨ごと沈む。
三人が、ほぼ同時に崩れた。
残りは、二人。
完全に腰が引けている。
「……ば、化け物……」
「違うな」
煉は一歩、踏み出す。
その足音だけで、二人は後ずさる。
「“取り戻した側”だ」
――瞬間、間合いが消える。
一人の首元に黒剣が添えられ、
「終わりだ」
音もなく斬り抜けた。
最後の一人が、腰を抜かして倒れ込む。
「やめ……やめてくれ……!」
武器を捨て、地面に額を擦り付ける。
「もう手ぇ出さねぇ!命だけは――」
懇願。
情けない声。
だが。
煉は止まらない。
ゆっくりと、その前に立つ。
「なあ」
静かに問いかける。
「さっき、何て言ってた?」
男は震えながら顔を上げる。
「女は後回し、だったか」
ルナの方を一瞬だけ見る。
その視線に、男の顔がさらに青ざめた。
「強い奴を囲んで、数で潰して、弱い方を後回しにする」
黒剣が、わずかに唸る。
「……随分、都合のいいやり方だな」
一歩。
「だったら――」
剣先が、男の喉元に触れる。
「今度は“弱い側”になった気分、味わえよ」
男が悲鳴を上げる間もなく、
一閃。
衝撃だけが走り、男はそのまま気を失った。
――静寂。
全員、地に伏した。
動く者は、もういない。
夜風だけが、ゆっくりと通り抜けていく。
煉は黒剣を肩に担ぎ、軽く息を吐いた。
「……終わりだな」
ルナは、その光景を少しだけ呆然と見ていた。
(強い……)
さっき助けられた時の感覚が、まだ胸に残っている。
それ以上に――
「ねえ、煉」
「ん?」
「さっきの、ちょっと言い過ぎじゃない?」
ルナが少しだけ笑いながら言う。
すると煉は、ほんのわずかだけ肩をすくめた。
「事実だろ」
「まあね」
クスッと、小さく笑う。
その視線は、自然と煉に向いていた。
(……やっぱり)
さっきから、ずっと思っていること。
(なんか、かっこいいんだよな……)
理由は分からない。
でも確かに、何かが変わった。
煉はそんなことに気づく様子もなく、歩き出す。
「行くぞ」
「うん」
並んで歩き出す二人。
背後には、完全に叩きのめされた敵たち。
そして前には――
まだ続く、戦いの気配。
夜は終わらない。
だがその中で、確かに一つ――
小さな変化が、生まれていた。
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「黒瀬くん」
「なんだ」
「三百年以上生きてきて」ルナが静かに言った。「私、誰かに庇ってもらったのは、初めてよ」
帰り道は、静かだった。
ルナが隣を歩いていたが、いつもより少し距離が近かった。さりげなく、だが確実に近かった。俺は特に何も言わなかった。
颯たちが集まっている場所に着いた。
颯のアパートだ。颯、澪、城島、里中、ヴィオラが揃っていた。
ドアを開けた瞬間、颯が「遅かったな」と言った。
それに俺が「少し寄り道があった」と答えようとした時だった。
ルナが、全員の前で、真っ直ぐに俺を見て言った。
「黒瀬くん、、、、、
私はあなたのことが好きです」
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時間が止まった。
颯が持っていたお茶のコップが、宙で止まった。
城島が目を見開いた。
里中が「は?」と言った。
澪が——固まった。
表情が変わらなかった。変わらなかったことが、むしろすごかった。完璧に静止していた。ノートを持っていた手が、静かにテーブルに下りた。
ヴィオラが「ルナ」と静かに呟いた。
「ヴィオラには後で話すわ。でも——言わないでいる理由が、見つからなかったから。三百年以上生きてきて、こういう気持ちになったことがなかったから、驚いてもいるけれど」
「ルナさん」颯が慎重な声で言った。「それは今、ここで言うことだったのか」
「言うべき時に言う方がいいと学んだわ。三百年かけて」ルナが穏やかに言った。
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全員が俺を見た。
俺はルナを見た。ルナが、静かに俺を見ていた。三百年以上の時間を生きてきた目が、今この瞬間だけ、まっすぐに俺だけを見ていた。
「ルナ」
「なんかしら」
「一つだけ言う」
「どうぞ」
「俺には、今大事にしたい人間が周りにたくさんいる。それが正直なところだ」
ルナが頷いた。表情は変わらなかった。
「わかってる。だから、急かしているわけじゃな。ただ——好きだということは、伝えたかった。それだけよ」
「そうか」
「そう」ルナが微笑んだ。「答えはいつでもいい。私は待てる。三百年待てた人間だから」
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「三百年待つとか言ってるぞ」
「かなわないな」
「状況を整理する必要がありますね」
澪が口を開いた。
声は、いつも通りの澪の声だった。落ち着いていて、静かで、感情を丁寧に押さえた声だった。
「ルナさん」
「なにかしら、朝霧さん」
「あなたが正直に言えることは、素直にすごいと思います」澪が言った。「私には——なかなかできないことなので」
ルナが澪を見た。それから、少し優しい目をした。
「あなたも、伝えたいことがあるなら伝えた方がいいわよ。時間は、有限だと思った方がいい。私みたいに無限に待てる人間ばかりじゃないから」
澪が、ルナを見た。その目が、少し揺れた。
「……それは」澪が静かに言った。「考えます」
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その日を境に、ルナの俺への接し方が変わった。
変わった、というより——隠さなくなった。
翌日から、ルナは俺の半歩後ろを歩くようになった。ヴィオラが「ルナ、距離が近くない?」と言った。ルナが「近い?」と首を傾げた。颯が「近いです、かなり」と言った。ルナが「そう」と言って、半歩下がった。五分後にはまた元の距離に戻っていた。
「後輩、どうするんだ」
「どうもしない。今は」
「モテる男は困るな」
「そういうことじゃないだろ」
「そういうことだろ」
里中がそう言って笑っていた。
「煉、大変だな」
「そうかもしれない」
「でも——悪くないんじゃないか」
「そりゃそうだろ」
そう言った煉の顔は楓から見るといつもよりもほんの少しだけ紅潮しているように見えた。
それが真実なのか、楓の勘違いなのか、誰も知るものはいない。
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その夜、澪からメッセージが来た。
「一つだけ聞いていいですか」
「なんだ」
「ルナさんのこと、どう思っていますか」
俺は少し考えた。
「大事な仲間だと思っている」
「それだけですか」
「今は、それだけだ」
間があった。
「そうですか」
「……わかりました」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
スマホを置いた。
窓の外に夜の街が広がっていた。ルナが「三百年待てる」と言っていた。
俺には、今すぐ答えを出す力がなかった。
魔王時代には、こういう問いに直面したことがなかった。数百年生きてきて、今更人間の感情の複雑さに、静かに追いつけないでいた。
「まあ」
俺は独り言を言った。
「なんとかなるだろ」
夜の部屋に、その言葉が溶けていった。




