第92話「時を超えて、共闘」
夏休みも終わりに差し掛かった、八月の下旬だった。
夕方の商店街を、俺とルナが並んで歩いていた。
ヴィオラが倉石と打ち合わせをしている間、ルナが「少し街を見たい」と言い出した。三百年以上前に来たきりだという街を、改めて歩きたいらしかった。ヴィオラが「煉、ルナと一緒にいてくれる?」と言った。颯たちは別の用事があった。だから二人になった。
ルナが歩きながら、街の景色を静かに眺めていた。赤い目が、看板や店の前に並ぶ商品を、一つひとつ丁寧に見ていた。子どもが初めて街に出た時のような、新鮮な目だった。三百年以上生きてきた人間の目とは思えなかった。
「現代の街は、音が多いわね」ルナが静かに言った。「昔は、こんなに色々な音がしなかった」
「慣れるか」
「慣れるというより——好きよ、この賑やかさ。一人でいた時間が長かったから、音があることが嬉しい」
その言葉の重さを、俺はよく知っていた。一人でいた時間が長かった人間の言葉だ。魔王時代の自分と、封印されていた時の自分と、どこか重なった。
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商店街を抜けた、少し人通りの少ない路地に差し掛かった時だった。
気配がした。
複数だ。しかも——覚えがある気配だった。
路地の先から、人影が現れた。六人おり、以前より多い。だが顔は見覚えがあった。入学してすぐの頃、街でからんできた連中だ。あの時は三人だったが、今日は倍以上連れてきていた。
「久しぶりじゃないか、黒瀬煉」先頭の男が言った。以前と同じ顔だ。だが目に、前より昏い光が宿っていた。「前は一対一みたいな形になったが、今日は違う。仲間を連れてきた」
「そうか」
「あの時の借りを返しに来た。隣の女は関係ないだろ。大人しくしていれば手は出さない」
「俺たちが今日ここにきた目的はもちろんわかっているよな」
「さてな。さっぱりだ」
「惚けるんじゃないぞ。俺たちはあの時、大勢の前で恥をかかされた。それを忘れたとは言わせないぞ」
ルナが俺の隣で、静かに立っていた。赤い目が六人を見渡していた。動揺している様子はなかった。むしろ——少し興味深そうに、“観察”していた。
「ルナ、後ろに下がっていてくれ、お前の情報では、お前の異能には戦闘能力はないと言っていた」
「そうね」ルナが素直に一歩下がった。
俺は六人に向き直った。
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一歩、踏み込む。
「“死ぬ覚悟”をしておけ」
――瞬間。
空気が裂けた。
最初の一人の懐に、既に煉は入り込んでいる。
拳が鳩尾にめり込み、呼吸を奪う。
そのまま黒剣が閃き、能力ごと切り裂き、吸収する。
「一人」
振り返りざま、背後から振るわれた斧を“素手で受け止める”。
「な、なに!?素手で俺の特注の斧を止めた!?」
骨が軋む音と同時に、膝蹴りが顎を砕く。
「二人」
炎の異能が迫る。だが、煉は避けない。
黒剣を振るうだけで、それは霧のように消え、剣へと吸い込まれた。
「三人」
加速する。
肉弾と剣技の境界が曖昧になり、敵は反応すらできない。
四人、五人――
最後の一人が恐怖に顔を歪める頃には、すでに勝敗は決していた。
「終わりだ」
一閃。
六人目が崩れ落ち、路地に静寂が戻る。
――その、刹那。
「……っ、煉!!」
ルナの叫び。
背後から、何も“なかった場所”に刃が現れた。
隠密――七人目。
完全な不意打ち。
(まずい――)
煉の意識は、まだ倒した敵に向いていた。
反応が、わずかに遅れる。
だが。
「遅いのは、そっち」
乾いた声が、空気を断ち切る。
次の瞬間、隠密の男の身体が“くの字”に折れた。
肘打ち。喉を潰し、膝で腹を抉り、最後に首へ鋭い手刀。
一切の無駄がない、完成された肉体術。
男は声すら上げられず、崩れ落ちた。
「……私の異能は戦闘向きじゃないって言っただけで、弱いなんて一言も言ってないからね」
ルナが軽く息を吐く。
「実は私ヴィオラより強いんだよ。戦闘の基本は“観察”その次に“想像”、そして“試み”、最後に“勝利”だからね。」
煉は一瞬だけ目を細め――
「それは的をえているな。ありがとう……助かった」
短く、それだけ言った。
だが、その一言で十分だった。
ルナはわずかに笑う。
「どういたしまして。じゃあ――」
視線を上げる。
新たに現れる敵影。
「ここからは、“二人で”ね」
「ああ」
黒剣が低く唸る。
「まとめて来い。全部、奪ってやる。お前らの何もかもをな」
――共闘が始まった。
ルナは時間を“ずらす”。
敵の攻撃が届く寸前、ほんの一瞬だけ未来へ踏み出す。これがルナの異能ーーー時間操作の本当の使い方
その隙を、煉が叩く。
拳が沈み、剣が裂き、異能が奪われる。
「右、来るよ!」
「見えてる」
言葉は最小限。だが、連携は完璧だった。
煉が前線を制圧し、
ルナが流れを歪める。
まるで、最初からそういう“形”だったかのように。
だが――
「っ……!」
ルナの動きが、ほんの一瞬遅れた。
敵の一人が、その隙を見逃さない。
振り下ろされる一撃。
回避は、間に合わない。
(やば――)
時間操作すら間に合わない速度。
(もう、ダメ――)
そう思った、その瞬間。
――ギィンッ!!
鋭い音が、世界を引き戻した。
目の前で、黒い刃が攻撃を受け止めている。
「……え?」
「何ぼーっとしてる」
振り向いた煉が、軽く息を吐いた。
「さっきのお返しだ」
そのまま、流れるように敵の懐へ潜り込み、
「俺の前で、仲間に手ぇ出すな」
一閃。
敵が崩れ落ちる。
静寂。
ルナの時間が、ほんの少しだけ止まった気がした。
(……今の)
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
理由は分からない。
ただ――
視線が、離れない。
黒剣を肩に担ぎ、何事もなかったかのように立つその背中。
(なんで……)
鼓動が、少しだけ速くなる。
「行くぞ」
煉は振り返らないまま言う。
「まだ終わってない」
「……うん」
ルナは小さく頷いた。
その目には、ほんのわずかに――
今までとは違う色が、宿り始めていた。




