第90話「打ち上げ」
翌日の夕方だった。
澪が予約を取った店は、学園から少し歩いた場所にある個室の居酒屋だった。未成年なのでアルコールはなしだが、料理の種類が多くて、個室が広かった。颯が前日に「打ち上げをしよう」と全員に連絡を入れた時、一時間も経たないうちに澪から「予約しました」というメッセージが来た。颯が「いつの間に」と返したら「帰宅してすぐです」と返ってきた。颯がそれを俺に見せて「澪ちゃん、準備がよすぎる」と言っていた。
全員が揃った。
颯、城島、里中、ヴィオラ、ルナ、澪、そして俺。七人が個室に入って、広い座卓を囲んだ。里中の右腕には包帯が巻かれていた。昨日の切り傷を病院で縫ったらしい。颯が「先輩、包帯似合ってますね」と言ったら、里中が「似合うとか似合わないとかじゃない」と言いながらも、どこか満更でもない顔をしていた。
---
料理を頼んだ。
「全部頼もう!」
「全部は多いです」
「じゃあほぼ全部」
「ほぼ全部も多いです」
「じゃあ半分以上」と楓が言うと、澪がため息をついた。
「では私が選びます」と城島が静かに割り込んで、手際よくメニューを選んだ。
「城島先輩、頼りになるなー」
「私にも選ばせろ」と言って、肉料理を三種類追加した。
ヴィオラとルナは、メニューをじっくりと眺めていた。
「どれにしようかしら」ヴィオラが静かに言った。
「全部、昔とは違う料理ね」ルナが穏やかに言った。赤い目がメニューの写真を見て、少し輝いていた。「時代が変わると、食べるものも変わる」
「何百年も生きていたら、食文化の変化も全部見てきたんですか」
「見てきた、というより生きてきた、ね」ルナが笑った。「昔は今より食べるものが少なかった。でも今の時代の方が、圧倒的に美味しいものが多い」
「じゃあ現代に生まれてよかったですね」
「そうね」ルナが静かに、しかし確かな温度を持って言った。「今の時代に、あなたたちと出会えた。それが一番よかったことかもしれない」
「ルナさん、いいこと言う」
「私もそう思う」
「うわ、先輩が素直だ」
「うるさい」
---
料理が来た。
「よし!食おう!」
しばらく、食べることに集中した。箸と皿の音だけが個室に響いた。誰かが「うまい」と言った。誰かが「これ、何の肉だ」と聞いた。誰かが「豚です」と答えた。会話がなくても、その沈黙が心地よかった。昨日の夜から今日の夕方まで、全員が張り詰めていたものが、料理と一緒に解けていく感じがした。
しばらくして、颯が言った。
「なあ、みんなに一個だけ聞いていいか」
全員が颯を見た。
「昨日、一番印象に残ったことって何だ」
---
里中が一番最初に答えた。包帯を巻いた腕を見ながら、少し間を置いてから静かに言った。
「三十一人目に切られた時だ。こいつがなかなか強くて、一瞬ヒヤッとした。でも——颯が嵐操作で吹き飛ばしてくれたからよかった」
「俺が助けたのか、先輩を」颯が目を丸くした。
「そうだ。礼は言わないが」
「礼を言わないのか」
「颯に礼を言うのは癪だ」
「正直すぎる」
「事実だから仕方ない」里中が言って、肉を一口食べた。「でも——助かった。それだけは本当だ」
颯がしばらく里中を見ていた。それから、照れたように頭を掻いた。「先輩が本当のこと言うの、たまにびっくりする」と颯は言った。里中が「うるさい」と返したが、その声は少し柔らかかった。
---
城島が次に言った。
唐揚げを箸でつまみながら、静かに話し始めた。
「私は——英語での軽いトークの後、相手が一瞬だけ動きを止めた瞬間が印象に残っています。実は、あれは賭けでした。動揺してくれなければ、ただ恥ずかしいだけだったので」
全員が笑った。「城島先輩が賭けをするとは」
「黒瀬くんと一緒にいると、賭けに出ることを学んだ気がします」城島がそう言って、少し微笑んだ。「あの人は、不可能に見えることに対して躊躇わずに拳を振る人なので」
俺は何も言わなかった。だが城島の言葉が、昨日の確率操作の男との戦いと重なった。
---
ヴィオラが言った。
お茶を両手で持ちながら、少し遠い目をして、静かに話した。
「ルナの顔を見た瞬間、かしら」
個室が、少し静かになった。
「三百四十二年ぶりに名前を呼んだ」ヴィオラが続けた。「呼ぶまで、もっと時間がかかると思っていた。でも——声が出た。自然に出た。長い時間が経っていても、呼び方は変わらないのね」
ルナがヴィオラを見た。赤い目が、穏やかに細くなった。
「私は」ルナが静かに言った。「ヴィオラが入ってきた瞬間よ。扉が開いて、あなたが立っていた。その瞬間、三百四十二年分の時間が一気に縮んだような気がした」
颯が「三百四十二年って、本当にすごい時間だな」と静かに言った。普段の颯らしくない、落ち着いた声だった。「俺、十七年しか生きてないのに、もう色々あって大変だと思ってた。でも——三百四十二年はその二十倍以上だ」
「そうね」ルナが穏やかに笑った。「でも、長ければいいというわけじゃない。短くても、あなたたちのような時間の方が——ずっと濃いと思う」
颯がその言葉を受けて、しばらく何も言わなかった。それから「ありがとうございます」と静かに言った。澪が「そうですね」と小さく頷いた。
その顔は本当に嬉しそうな、幸福感に満たされているような、そんな顔をしていた。




