第9話「城島蓮という男」
三日後、城島が俺に声をかけてきた。
放課後の廊下だった。颯はすでに帰っていて、澪は委員会の仕事があると言って残っていた。俺が一人で帰ろうとした時、背後から声がした。
「黒瀬くん、少しいいですか」
振り返ると城島が立っていた。
いつも通り整った制服、静かな目。生徒会副会長という肩書きに相応しい、隙のない佇まいだ。
「構わない」
「ありがとうございます」城島が俺の隣に並んで歩き始めた。「少し歩きながら話しましょう」
俺は黙って歩いた。
城島が口を開いた。
「桐島のこと、聞きました」
「そうか」
「五秒だったそうですね」城島が前を向いたまま言った。「桐島は強い。Bランクの中でも本物の実力者です。それを五秒で——しかも剣の腹だけで制した」
「長引かせる必要がなかった」
「そう言えるところが、また怖い」城島が少し笑った。「率直に言います。あなたに興味があります」
「知ってる」
「入学初日から?」
「ああ」
城島がしばらく黙って歩いた。
「Eランクのうちに、一度手合わせしませんか」
俺は城島を見た。
「Eランクのうちに、という条件がある理由は」
「Sランク対Eランクの記録を残したい」城島が静かに言った。「あなたがランクを上げていけば、いずれ正式なランク戦で当たることになる。でもその前に——素のあなたと戦ってみたい」
「素の俺」
「肩書きも実績も関係ない、ただの黒瀬煉として」
俺は少し考えた。
城島の言葉に嘘はなさそうだ。策略でも挑発でもなく、純粋に戦いたいと思っている目だ。
「場所と日時は」
「明後日の朝、第三訓練場。朝練の時間帯なら人が少ない」
「わかった」
城島が足を止めた。俺も止まった。
「一つだけ聞いていいですか」城島が俺を見た。「あなたは何のためにここにいるんですか」
「頂点を目指している」
「頂点。覇級のさらに上ですか」
「今はまだ、見えていない。だが確かめたいことがある」
城島がしばらく俺を見ていた。
「……楽しみにしています」
城島は踵を返した。その背中が廊下の角を曲がって消えた。
俺は窓の外を見た。夕暮れが校舎を染めている。
城島蓮という男は、強い。実力だけじゃない。目的を持って動いている。守りたいものがある人間の目をしていた。
あの目は——どこかで見た気がする。
俺はしばらく考えて、思い当たった。
勇者だ。
数百年前、俺を封印した勇者と同じ目をしている。
俺は黒剣の柄に手を触れた。冷たくて、馴染んだ感触がある。
「因縁めいてるな」
誰にも届かない独り言が、夕暮れの廊下に消えた。
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翌日の昼、屋上に行くと澪がいた。
もはや定位置になりつつある。澪が来て、俺が来て、二人で黙って飯を食う。それが三日続いていた。
今日の弁当にはミートボールが入っていた。澪が小皿に二つ乗せて俺に差し出した。もはや説明もなかった。俺も礼だけ言って受け取った。
しばらく食べてから、澪が言った。
「城島くんと話していたんですね、昨日」
「見ていたのか」
「委員会の帰りに見かけました。見ていたわけじゃないです」澪が少し顔を逸らした。「……何の話をしていたんですか」
「手合わせの約束をした」
澪の手が止まった。
「城島くんと、ですか」
「ああ。明後日の朝」
「……止めなくていいんですか、私が」
「止める理由があるか」
「城島くんはSランクです。あなたはまだEランクです」澪が俺を見た。「実力差がどうとかじゃなくて、もし負けたら——記録に残ります。学園内のランク戦は全部記録される。EランクがSランクに負けた記録は、この先ずっと残る」
「勝つ」
「根拠は?」
「戦ってみないとわからないが、負ける気がしない」
澪がため息をついた。
「……あなたと話していると、心配していることが馬鹿みたいに思えてきます」
「馬鹿じゃない。お前が心配するのは真っ当だ」
「でも止められないんですよね」
「止めたいなら止めてみろ」
澪が俺を見た。少しだけ目を細めた。
「……やめておきます。止めても聞かないでしょうから」
「正解だ」
「褒めないでください」
澪が弁当の続きに手をつけた。
風が吹いた。髪が揺れた。澪が片手で髪を押さえた。
その仕草を、俺は何となく眺めた。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「勝ってください」澪が前を向いたまま言った。「勝って、ちゃんと立っていてください」
「ああ」
「約束ですよ」
「約束だ」
澪が小さく頷いた。
それ以上は何も言わなかった。二人でまた黙って食べた。
悪くない昼だった。
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明後日の朝が来た。
第三訓練場は、学園の外れにある小さな施設だ。朝練の時間帯は確かに人が少ない。城島が先に来ていた。運動着姿だ。制服と違い、シンプルな格好だった。
「来ましたね」
「来た」
「見届け人は呼ばなかったのですか」
「呼ばなかった」
「僕もです」城島が少し笑った。「二人だけの方がいい」
俺は黒剣を確認した。腰にある。
城島が構えた。構えというより、ただ自然体で立っているだけだ。だがその佇まいから、尋常でない密度が滲み出ている。
「始めましょうか」
「ああ」
城島が動いた。
光だった。
城島の体が光を纏い、一瞬で間合いを詰めてきた。光速ではないが、それに近い速度だ。初撃は右の掌底——いや、フェイクだ。本命は左の蹴りだ。
俺は右に半歩ずれた。蹴りが空を切る。
「速い」城島が呟いた。
すぐに次が来た。今度は光の奔流だ。城島の両手から光線が放たれる。収束した光は、触れれば皮膚を焼く。
俺は走った。光線の軌道を読んで、真横に駆ける。光線が床を焼きながら俺を追う。城島が光線の角度を変えてくる。
精度が高い。光を自在に屈折させ、死角から撃ち込んでくる。まともに動いていたら、どこかで捕まる。
俺は剣を抜いた。
黒剣ヴァルムの刀身が黒く光る。
次の光線が来た瞬間、俺は剣を翳した。
黒剣が光を吸い込んだ。
光線が消えた。
城島が一瞬、動きを止めた。その隙を俺は見逃さなかった。一気に間合いを詰め、剣の腹を城島の首筋に当てた。
静止。
城島が静かに息を吐いた。
「……光を吸収した」
「この剣の性質だ」
「異能でもなく、武器の特性で?」城島がゆっくりと俺を見た。「なるほど。だから剣を手放さないんですね」
「ああ」
城島が一歩下がった。俺も剣を下げた。
「続けますか」と俺は聞いた。
「いえ」城島が首を振った。「今日はここまでにします」
「もう十分か」
「十分すぎます」城島が俺を真っ直ぐ見た。「一つわかったことがある」
「何だ」
「あなたは——僕が思っていたより、ずっと深いところにいる」
俺は何も言わなかった。
「あの剣、ただの剣じゃない。あなた自身も、ただの無能者じゃない」城島の目が真剣になった。「何か、隠していますね」
「隠してはいない。ただ、話していないだけだ」
「その違いは?」
「聞かれれば答える。聞かれなければ言わない」
城島がしばらく俺を見ていた。
やがて、小さく笑った。
「正直な人だ」
「お世辞は言わない主義なので」
「知っています」城島が踵を返した。「次に会う時は、正式なランク戦で」
「ああ」
「その時までに、もっと強くなっておきます」
「俺もだ」
城島が歩いていった。
その背中が扉の向こうに消えた。
俺は訓練場に一人残った。
黒剣を鞘に収める。
城島は強かった。光操作の精度と速度、どちらも本物だ。今日は俺が制したが、城島が本気を出し切っていたわけでもないだろう。
同時に、俺も本気ではなかった。
この体の限界はまだ見えていない。黒剣の力も、魔王時代の戦闘技術も、まだ半分も引き出せていない。
頂点は遠い。
だが——近づいている感覚は、確かにある。
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その日の昼、屋上に行くと澪が待っていた。
俺の顔を見た瞬間、澪が小さく息を吐いた。
「怪我は?」
「ない」
「勝ちましたか」
「一本取った」
澪がしばらく俺を見ていた。それから弁当を開いた。
「……そうですか」
それだけだった。
だが今日の弁当には、玉子焼きが三切れ入っていた。いつもより一切れ多い。
澪は何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ受け取って、食べた。
甘くて、丁寧な味がした。
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放課後、颯が教室に飛び込んできた。
「煉! 聞いたぞ! 城島と手合わせしたって!」
「誰から聞いた」
「城島本人から! なんか珍しく嬉しそうな顔してた! どうだった!?」
「一本取った」
「一本って……Sランクから!?」颯が目を丸くした。「すごすぎるだろ!」
「城島も強かった」
「でも勝ったんだろ!」
「今日は、な」
颯が俺の肩を掴んだ。
「なあ煉、お前いつになったら本気出すんだ」
「本気?」
「なんか毎回、余裕がある。余裕があるのはいいことだけど——お前の本当の強さって、どこまであるんだ」
俺は少し考えた。
「まだわからない」
「え?」
「自分でも、まだわかっていない」
颯がきょとんとした。
「自分の強さを自分で知らないって、どういうことだ」
「この体で戦い始めてまだ一週間だ。底がどこにあるのか、まだ見えていない」
颯がしばらく黙って俺を見た。
それからゆっくりと言った。
「……お前、やっぱり変なやつだな」
「よく言われる」
「でも」颯が笑った。「そういうとこ、嫌いじゃない」
「知ってる」
「知ってるのかよ!」
澪が「二人とも静かにしてください」と言った。颯が「はい」と答えた。俺は黙って頷いた。
窓の外に夕暮れが広がっていた。
城島との戦いで、一つわかったことがある。
この世界には、本物の強者がいる。城島は本物だ。そして城島の上には、まだ先がある。
学園の外にも、強者がいるはずだ。
頂点への道は、まだ長い。
「まあ、なんとかなるだろ」
颯が「なるよ絶対!」と言った。澪が「なりますよ」と小さく言った。
俺は窓の外を見た。
夕空に星が一つ、灯り始めていた。




