第10話「親友の本気とそこの話」
月末のランク戦まで、あと十日だった。
現在の俺のランクはDだ。桐島との戦いでEからDに上がった。だがDでは話にならない。月末までにどこまで上げられるか——それが今の課題だ。
朝のホームルームが終わった後、俺は倉石に申請書を出した。
「ランク戦の指名申請です」
倉石が書類に目を通した。眉が少し動いた。
「……三人分出すつもりか」
「はい」
「同時にではなく、順番にだな」
「一日一人ずつ、三日間で」
倉石がしばらく俺を見た。
「相手はBランクが二人、Aランクが一人だ。現在Dランクのお前が連戦を申請するのは、前例がない」
「ルール上は問題ないですよね」
「問題はない」倉石が書類を机に置いた。「ただし体のことも考えろ。この体を酷使すれば——」
「大丈夫です」
「根拠は」
「新しく肉体を得た時から鍛えて——」
俺は口を閉じた。
倉石が目を細めた。
「今、何と言った」
「鍛え続けているので、と言いました」
倉石がしばらく俺を見ていた。信じていない目だ。だが追及はしなかった。
「……わかった。申請を通す。ただし、無理だと思ったら即座に降参しろ」
「善処します」
「善処じゃなくて必ずだ」
「……わかりました」
倉石が書類にハンコを押した。
俺は礼を言って職員室を出た。
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教室に戻ると、颯が待っていた。
「倉石先生のとこ行ってたのか。何の用だ」
「ランク戦の申請」
「へえ、誰に挑戦するんだ」
「三人」
「三人!?」颯が目を丸くした。「誰と誰と誰だ」
「二年のBランク、藤堂。三年のBランク、梶原。それからAランクの——」
「ちょっと待て」颯が手を上げた。「Aランクって誰だ」
「三年の副会長、水無瀬だ」
颯が固まった。
三秒ほど固まってから、弾けるように立ち上がった。
「水無瀬先輩!? Aランクトップの!? あの人、城島先輩の次に強いって言われてるぞ!?」
「知ってる」
「知ってて挑戦するのか!?」
「だから挑戦する」
颯が頭を抱えた。
澪が颯の騒ぎを聞きつけて、俺を見た。
「……三人連続ですか」
「一日一人ずつだ」
「連続であることには変わりありません」澪が眉を寄せた。「Aランクが最後というのは?」
「体が慣れるまで順番に上げていく」
「合理的ですが」澪が少し間を置いた。「無謀でもあります」
「無謀と合理的は矛盾しない」
「どういう意味ですか」
「勝算があれば無謀でも合理的だ」
澪がため息をついた。
「……勝算はあるんですか」
「ある」
「根拠は」
「戦ってみればわかる」
「それは根拠じゃありません」
「俺にとっては根拠だ」
澪が俺を見た。何か言いたそうだったが、口を閉じた。
代わりに颯が言った。
「煉、一つだけ聞かせてくれ」
「なんだ」
「お前の本気って、どこまであるんだ」
昨日も同じことを聞いていた。俺はもう一度考えた。
「まだわからない」
「今日もそれか」
「今日もだ。でも」俺は颯を見た。「三日間の連戦が終わったら、少しわかるかもしれない」
颯がしばらく俺を見ていた。
それからにやりとした。
「じゃあ俺、全部見に行く」
「好きにしろ」
「澪ちゃんも来るよな」
「……行きます」と澪が小さく言った。「怪我した時のために」
「怪我しない」
「したらどうするんですか」
「その時はお前に頼む」
澪が一瞬だけ目を瞬いた。それから視線を逸らした。
「……準備しておきます」
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一日目。
二年のBランク、藤堂との戦いは十二秒で終わった。
藤堂の異能は水流操作だ。水を自在に操り、刃にも盾にも変える器用な使い手だった。だが水は黒剣の前では無力だ。剣が水を断ち切り、俺はそのまま懐に入った。
観客席で颯が「よし!」と言った。澪が小さく息を吐くのが聞こえた。
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二日目。
三年のBランク、梶原との戦いは二十八秒かかった。
梶原の異能は重力操作だ。対象の重力を自在に変える。俺の体に数倍の重力をかけてきた瞬間、俺は動けなくなった。
三秒間だけ。
梶原が驚いて重力の出力を上げようとした瞬間、俺は黒剣を床に突き立てて体を支え、そのまま剣を軸に体を回転させて梶原の足元に滑り込んだ。
重力操作は、術者に近すぎると効かない。梶原が自分に重力をかけるわけにはいかないからだ。俺はその死角に入り込んだ。
「そこまで」
審判の声が響いた。
観客席が沸いた。颯が「すごい!」と叫んだ。澪が「……よかった」と呟くのが聞こえた。
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二日間の連戦を終えた夜、アパートの部屋で俺は体の状態を確認した。
疲労がある。魔王時代には感じなかった類の疲れだ。筋肉が悲鳴を上げている。関節が重い。
人間の体は正直だ。無理をすれば、きちんと反応する。
俺は黒剣を手に取った。
「明日が本番だ」
剣は答えない。ただ黒く光るだけだ。
Aランクの水無瀬。城島の次に強いと言われる三年生。どんな異能を持っているか、まだ詳しくは知らない。
だが今の俺には、それで十分だ。
戦ってみれば、わかる。
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三日目の朝、訓練場に向かう廊下で颯に呼び止められた。
「煉、ちょっといいか」
颯の顔が、いつもと違った。笑っていない。真剣な顔だ。
「なんだ」
「水無瀬先輩のこと、俺なりに調べた」颯が声を落とした。「異能は『模倣』だ」
「模倣?」
「戦った相手の異能を一時的にコピーできる。しかも複数同時に使える」颯が俺を見た。「つまり——お前が戦えば戦うほど、水無瀬先輩は強くなる」
なるほど。
厄介な異能だ。藤堂の水流操作も、梶原の重力操作も、全部水無瀬に渡っている可能性がある。俺が今まで見せた動きも、全部分析されているだろう。
「知らせてくれて助かった」
「気をつけろよ」颯が珍しく真剣な顔のまま言った。「無理だと思ったら降参しろ。俺はお前に退学してほしくない」
「降参はしない」
「煉——」
「勝つから、降参しない」
颯がしばらく俺を見ていた。
それからため息をついた。
「……わかった。全部見てる。頑張れ」
「ああ」
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第二訓練場。
水無瀬は三年生で、長身の女性だった。切れ長の目に、静かな笑みを浮かべている。Aランクトップに相応しい、落ち着いた雰囲気だ。
「黒瀬くんね」水無瀬が俺を見た。「噂は聞いてるわ。二日間でBランクを二人連続で倒したって」
「おかげさまで」
「謙虚じゃないのね」
「事実を言っただけです」
水無瀬が少し笑った。
「あなたが戦った二人から、異能はもらったわ。藤堂の水流と、梶原の重力。それからあなたの動き方も、映像で研究した」水無瀬が構えた。「準備はいい?」
「いつでも」
「始めましょう」
水無瀬が動いた。
最初に来たのは重力だ。梶原と同じ——いや、違う。梶原より精度が高い。梶原は全体に重力をかけてきたが、水無瀬は局所的に重力を変えてくる。俺の右腕だけが重くなる。左足だけが浮く。バランスが崩れる。
俺は崩れた体勢のまま動いた。
バランスが崩れているなら、崩れた状態を基準に動けばいい。魔王時代、戦場は常に不安定だった。平らな地面で戦えることの方が少なかった。
水無瀬が目を細めた。
「崩れながら動ける?」
「慣れています」
次に水流が来た。水の刃が三方向から俺を挟む。
俺は黒剣を抜いた。一方向の水刃を断ち切り、残り二方向は体を丸めて躱した。水が俺の横をすり抜けて壁に激突した。
水無瀬が距離を取った。
「黒剣が水を断ち切るのは本当なのね。それなら——」
水無瀬の異能が変わった。
光だ。
城島の光操作が、水無瀬の手から放たれた。
俺は黒剣を翳した。だが城島の時と違い、光の量が多い。黒剣が光を吸収しきれない。余剰の光が俺の周囲に散乱した。
「光を吸収する限界がある」水無瀬が言った。「わかったわ」
水無瀬が三つの異能を同時に発動した。
重力で俺の動きを封じ、水流で俺の剣をはじき、光で視界を塞ぐ。
三重の拘束だ。
俺は一瞬だけ止まった。
観客席が息を呑んだ。
颯が「煉!」と叫んだ。
澪の声は聞こえなかった。
俺は目を閉じた。
視界を塞がれた。重力で動きを制限された。剣を封じられた。
ならば——全部捨てればいい。
俺は黒剣を手放した。
水無瀬が一瞬、動きを止めた。想定外だったのだろう。
その一瞬が全てだった。
剣を手放した瞬間、重力の焦点が剣に向いた。水無瀬が剣を封じようとしたからだ。俺の体への重力が薄くなる。視界は光でまだ塞がれているが——俺には見えなくても、相手の気配は読める。
魔王時代、それだけで戦い続けた夜が何百とあった。
俺は光の中を走った。
気配だけを頼りに、最短距離で水無瀬に向かう。
水無瀬が水流を向けてきた。だが俺の位置を光で隠しているのは水無瀬自身だ。完全には把握できていない。水流が俺の左肩を掠めた。
俺はそのまま水無瀬の懐に飛び込んだ。
首筋に手刀を当てた。
静止。
光が散った。
水無瀬が目を見開いていた。俺の手刀が首筋に触れている。剣なしで、素手で。
長い沈黙があった。
「……降参」
水無瀬の声が、静かに落ちた。
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訓練場が沸いた。
颯が飛び込んできた。
「やったぞ煉! Aランクだぞ! 素手で!!」
「剣を落としたのは計算外だったが」
「計算外でも勝ったんだろ!!」
水無瀬が俺の前に立った。
「一つだけ聞かせて」水無瀬が真剣な目で言った。「最後、視界がない状態で私の位置がわかったのはなぜ?」
「気配で動きました」
「気配……」水無瀬が少し考えた。「それだけで、ここまで精密に動けるの?」
「昔から慣れているので」
水無瀬がしばらく俺を見ていた。
「あなた、本当に何者なの」
「黒瀬煉です。Dランクの——」
「もうDランクじゃないわよ」水無瀬が小さく笑った。「Aランクに勝ったんだから、あなたは今日からAランクよ」
俺は少し考えた。
「そうか」
「そうよ」水無瀬が踵を返した。「また戦いましょう。今度は私も、もっと本気を出す」
「ぜひ」
水無瀬が歩いていった。
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澪が俺の前に立ったのは、観客が引けた後だった。
颯はまだ興奮して周りの生徒と話している。
澪は俺を見た。
「怪我は」
「左肩を少し」
「見せてください」
澪が俺の左肩に触れた。制服の上からだが、的確な場所を押した。
「……打撲ですね。骨は大丈夫そうです」
「そうか」
「今日中に冷やしてください」
「わかった」
澪が手を離した。
少し間があった。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「三日間、全部勝ちましたね」澪が俺を見た。眼鏡の奥の目が、いつもより少し柔らかかった。「約束、守ってくれました」
「立っていると約束した」
「立っていましたね」澪が小さく笑った。「ちゃんと」
「ああ」
颯が戻ってきた。
「煉! これでランクがAになったぞ! 月末のランク戦ではSランクに挑戦できる! 城島先輩と正式に戦えるんだ!」
「そうだな」
「楽しみじゃないのか!」
「楽しみだ」
「もっと嬉しそうにしろ!」
俺は少し考えてから、素直に言った。
「嬉しい」
颯が目を丸くした。
「……珍しい」
「三日間、お前が全部見ていてくれた。それが思ったより、やりやすかった」
颯がしばらく固まった。
それから、少し照れたように頭を掻いた。
「……そういうこと、さらっと言うなよ」
「本当のことだ」
「わかってる。でも、照れるだろ」
澪が小さく笑った。颯が「澪ちゃんも笑うな!」と言った。澪が「すみません」と言いながらも笑い続けた。
俺も、少しだけ笑った。
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帰り道、颯が隣を歩きながら言った。
「なあ煉」
「なんだ」
「お前の底、少しわかった気がする」
「どこにあった」
「まだ見えない」颯が正直に言った。「三日間全部見てたけど、お前はまだ本気じゃなかっただろ」
「……気づいていたか」
「相棒だからな」颯が笑った。「でも一つだけわかったことがある」
「何だ」
「お前の底は、俺が思ってたより、ずっと深いところにある」
俺は何も言わなかった。
颯が続けた。
「だから俺も、もっと強くなる。お前の隣に立てるくらいに」
「お前はもう十分強い」
「足りない。お前の隣に立つには」颯が真剣な顔で言った。「だから教えてくれ。お前と本気でやり合いたい」
俺は颯を見た。
真っ直ぐな目だった。
「……いつでも」
「本当か」
「ああ。お前の本気も、まだ見ていない」
颯がにやりとした。
「じゃあ、月末のランク戦が終わったら」
「それでいい」
「約束だぞ」
「約束だ」
颯が満足そうに頷いた。
澪が後ろから静かに言った。
「二人とも、怪我しないでくださいね」
「しない」と俺が言った。
「努力する」と颯が言った。
「努力じゃなくて絶対にしないでください」
「「わかった」」
二人の声が重なった。
澪が「……本当に似た者同士ですね」と呟いた。颯が「そんなことない!」と言った。俺は黙っていた。
夜道に三人分の足音が響いた。
頭上の空に、星が満ちていた。
月末まで、あと一週間。
Sランク、城島蓮との正式なランク戦まで——あと七日だ。
「まあ、なんとかなるだろ」
「なるよ」と颯が言った。「絶対に」
「なります」と澪が言った。「きっと」
俺は前を向いて歩いた。
三人分の足音が、夜の道に続いていった。




