第87話「信頼すること」
完全詠唱ではなかった。銃ではなく、解放の力だけを直接込めた言葉だった。
掌から放たれた黒い光が、鎖に触れた。
鎖が光った。術式が抵抗した。だが——封印を解く力と、封印を維持する力の、真正面からの衝突だ。一瞬の拮抗の後、鎖が軋んだ。
バキン、という音がした。
一本目の鎖が、砕けた。
バキバキバキバキッッッ
続けて二本目。三本目。掌の黒い光が、鎖を一本ずつ断ち切っていった。術式が悲鳴のように光を放ちながら、解除されていった。
五本目の鎖が砕けた瞬間、台座の術式が全て消えた。
黒剣が、解放された。視覚だけでなく、五感全てがそれを感じ取っていた。
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俺は黒剣の柄を掴んだ。
その瞬間。
何かが、全身に流れ込んできた。
久しぶりだった。長い間感じていなかったこの感覚が、一気に戻ってきた。黒剣が俺を認識した。俺が黒剣を認識した。数百年間共にあったものの記憶が、柄を通じて掌に、腕に、全身に伝わってきた。
光を吸収する黒い刀身が、部屋の薄明かりを飲み込んだ。
黒剣が、俺の手の中にあった。
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気配の五体が、一斉に動いたが遅かった。
俺は黒剣を抜いた。
黒い刀身が、部屋の空気を切った。光を吸収する性質が、気配の実体に干渉した。見えない気配が、黒剣の前では形を保てなかった。一体、二体と、気配が霧散していった。
残り三体が方向を変えた。今度はヴィオラに向かった。
「ヴィオラ」
「見えてる」
床から解放されたヴィオラが立ち上がった。気配の一体が拘束を仕掛けようとした瞬間、ヴィオラが正面から受け止めた。不死身の体で、拘束を力で引き千切った。
俺は残り二体に向かった。
黒剣を横に薙いだ。黒い刀身が気配を両断した。両断された気配が、音もなく消えた。最後の一体がヴィオラから離れて俺に向かってきた。
俺は黒剣を逆手に持ち替えた。
来た瞬間に、背後に踏み込んだ。気配が俺を追い越した。振り返りながら、黒剣の刀身を気配の中心に突き込んだ。気配が膨張して、砕けた。
部屋が静かになった。
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五体全部が消えた。
俺は黒剣を手にしたまま、しばらく動かなかった。
重さが戻っていた。黒剣の重さが、掌に、腕に、全身に伝わってきた。この重さを忘れていた。忘れていたことに、今更気づいた。
「取り戻したわね」ヴィオラが静かに言った。
「ああ」
「どんな感じ?」
俺は少し考えた。
「戻ってきた、という感じだ。欠けていたものが、元に戻った」
「そう、そのまますぎて面白みが無いわね」ヴィオラが微かに笑った。「でも、、、その感覚、大事にして」
俺は黒剣を鞘に収めた。
腰が重くなった。
この重さが、正しかった。ずっとこの重さがあるべきだった。軽かった腰が、今日から元に戻る。
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部屋を出た。
階段を上がりながら、俺は終環の指輪を見た。銃ではなく、解放の力として使った。一発を撃った後の残火で、鎖を断ち切った。これが“とっておき“、もう一つの使い道だ。銃だけが終環ではない。封印を解く力として使えば、また別の可能性がある。
「上の様子が心配ね」
「颯と里中は大丈夫だ」俺は言った。「城島も」
「根拠は?」
「全員を信頼しているからだ」
ヴィオラが少し間を置いた。
「……そういうことが言えるようになったのね、あなたは」
「そうかもしれない」
階段を上がると、上の階の気配が戻ってきた。颯の嵐操作の残響がまだあった。里中の花粉の気配もあった。城島の光理支配の痕跡もあった。全員が、それぞれの場所で戦い続けていた。
黒剣が腰にあった。
これで——揃った。
「まあ」俺は静かに言った。「なんとかなるだろ」
ヴィオラが小さく笑った。
「なりそうね、今日は特に」




