第57話「睡眠不足の翌日」
翌朝。
目覚ましより先に目が覚めた。
窓から朝の光が差し込んでいた。
昨夜のことを思い返した。
颯の深夜電話。アルコール入りのチョコ。澪に言ったこと。大富豪で里中に負けかけたこと。革命で逆転したこと。
全部、順番に思い返して——俺は少し止まった。
澪に言ったことが、一つだけ頭に残っていた。
綺麗だと言った。好きだと言った。
酔っていたのは本当だ。
だが本当のことしか言わない主義だ。
それも本当だ。
俺は天井を見たまま、しばらくそのことを考えた。
考えた結果——まあ、言ってしまったものは仕方がない、という結論になった。
俺はベッドから起き上がった。
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学園に着き、1番に目に入ったのは楓だった。
颯が下駄箱の前で壁にもたれていた。目が細い。
「眠そうだな」
「眠い」颯が言った。「でも後悔はしていない」
「そうか」
「煉は」
「少し眠い」
「少しって言えるようになったんだな」颯が薄く笑った。「前は眠いとか疲れたとか、あまり言わなかったよな」
「そうだったか」
「そうだった。人間の体に慣れてきたんじゃないか」颯が言った。「いいことだと思う」
「そうかもしれない」
颯が靴を履き替えながら言った。
「昨日の煉、面白かった」
「何が」
「澪ちゃんに言ってたやつ」颯がにやりとした。「酔って本音が出た感じがして、見ていて楽しかった。あんな告白まがいのことやるとは思わなかったなー」
「楽しまれていたのか」
「楽しんだ」颯があっけらかんと言った。「でも煉の言葉、澪ちゃんは嬉しかったと思う。顔が真っ赤だったし」
「そうか」
「そうだ」颯が俺を見た。「素面でも言えるか」
「言えないことは言っていない」
「それは言えるってことか」
「そうだ」
颯がしばらく俺を見た。
「煉って、たまにすごくまっすぐだよな」颯が言った。「飄々としてるのに、肝心なところで全然ぶれない」
「そうか」
「そうだ」颯が歩き出した。「俺、煉の友達でよかったと思う。時々本気で」
「俺もだ」
颯が止まった。
「今、なんて言った」
「俺もだと言った」
颯がしばらく固まっていた。
それから、前を向いて歩き出した。
「……今日は調子が狂う」颯が小声で言った。
「なぜだ」
「煉にそういうことを言われると、どう反応すればいいかわからなくなる」
「普通に聞いていればいい」
「普通に聞ける内容じゃなかった」
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教室に入ると、澪がすでに席にいた。
ノートを広げていた。
俺が入ってきたのに気づいた。
一瞬、目が合った。
澪が目を逸らした。
耳が少し赤かった。
「おはようございます」
「おはよう」
俺は自分の席に座った。
しばらく沈黙があった。
澪がノートのページを捲った。特に理由もなさそうだった。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「昨日のこと」澪がノートを見たまま言った。「覚えていると言っていましたね」
「覚えている」
「素面でも、同じことを言いますか」
俺は少し考えた。
「言う」
澪がノートのページを止めた。
しばらく黙っていた。
「……そうですか」澪が静かに言った。
「そうだ」
「……わかりました」
「何がわかったんだ」
「なんでもないです」澪がノートに視線を落とした。「授業が始まります」
「まだ十分ある」
「予習をします」
「そうか」
颯が後ろから「二人の空気が昨日から変わってる」と小声で言い笑っていた。たまたま一年生の階まで降りてきていた城島が「神崎くん」と言った。颯が「はい」と言った。
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一時限目から三時限目まで、颯は普通に授業を受けていた。
四時限目に差し掛かったあたりで、急に眠気が来たらしく、頭が揺れ始めた。
澪が「神崎くん」と言った。
颯が「起きてる」と言った。
「起きていません」
「夢を見ていた」
「寝ているということです」
「……はい」
上の教室では城島が静かにノートを取り続けていた。
俺も眠かったが、寝なかった。
ただ、板書を写す手が、いつもより少し遅かった。
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昼休み。
屋上に行くと、澪がいた。
今日は弁当と一緒に、小皿があった。
澪が俺を見た。
「来ましたね」
「来た」
「隣に座っていいですよ」
「いつも座っている」
「今日は改めて言いたかっただけです」
俺は澪の隣に座った。
弁当を開いた。
澪が小皿を差し出した。
玉子焼きだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
「お礼を言われることじゃないです」
俺は玉子焼きを一口食べた。
甘かった。
いつも通りの味だった。
「澪」
「なんですか」
「玉子焼き、毎回うまいな」
「そうですか」澪が弁当を開いた。「砂糖の量をいつも同じにしているので」
「几帳面だ」
「几帳面ではありません。均一にしたいだけです」
「同じことだ」
「違います」
いつもの返しだった。
だが今日は——澪の口元が、少し緩んでいた。
「澪」
「なんですか」
「一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「昨日のことで、怒っているか」
澪がしばらく弁当を見ていた。
「怒っていません」澪が静かに言った。
「そうか」
「怒る理由がないので」澪が続けた。「ただ——少し、困りました」
「困らせるつもりはなかった」
「わかっています」澪が風に揺れる髪を押さえた。「でも——さらっと言われると、少し困ります。そういうことを」
「さらっとではなく、本当のことを言ったつもりだ」
「それが困るんです」澪が俺を見た。「本当のことしか言わない主義の人に言われると——軽く流せないので」
俺は澪を見た。
「流さなくていい」
「流せないと言っています」澪が視線を逸らした。「意味が違います」
「そうか」
「そうです」
「まあ嫌がられてないならよかった」
煉がニコッと微笑んだ。
その時の煉の笑顔に、澪はなぜかとてつもなく惹かれた。それが、煉があまり普段から笑う顔を見せないからなのか、恋心なのかは誰にもわからない、、、
風が吹いた。
屋上に二人分の沈黙が落ちた。
澪が小さく言った。
「……嫌いじゃないです。そういうところ」
「昨日も同じことを言っていた」
「また言いました」澪が前を向いた。「二度言ったということは、本当のことです」
「俺も本当のことしか言わない主義だが」
「知っています」澪が玉子焼きを一口食べた。「だから——困っています」
「なぜ困る」
「それ以上は聞かないでください」澪が言った。耳が赤かった。
「わかった」
「……本当にわかりましたか」
「わかった」
「珍しいですね、すんなり引くのは」
「お前が困っているからだ、お前の困るようなことはあまりしたくない」
澪がしばらく黙っていた。
「……本当に、あなたは」澪が静かに言った。
「なんだ」
「なんでもないです」澪が空を見上げた。「食べましょう。冷めます」
「そうだな」
そう言って俺も空を見上げた。その時に見えた空は、魔王時代にどれだけ願ったとしても見ることができず、待ち望んでいた、、、
ーーーー透き通るような綺麗な青空だった。




