第52話「たまには協力プレイといこうか」
木々は揺れ、風がお互いの間を通り抜けていった。
互いに動かない。だが、読んでいる。
間合いも、空気も、実力も、、、
有馬の踏み込む音と共に激しい肉弾戦が始まった。まだ能力を使っていない。
「まずは様子見と行きましょう、」
足音が一歩、床を鳴らした瞬間、間合いが消えた。
振りかぶるでもなく、ただ肩がわずかに揺れる。その動きに合わせて、拳が最短距離を走った。有馬の狙いは正確だったが、煉はそれを紙一重でかわす。頬をかすめた風だけが遅れて届く。
すぐに体勢を崩さない。踏み込みの勢いを殺し、半歩引く。次の瞬間には逆に踏み込み返す。軽い衝突音。腕と腕がぶつかり、互いに力の流れを探るように押し合う。
押し切る気はない。ただ、隙を作る。
肘が滑るように内側へ入り、相手の重心がわずかに浮いた。その一瞬に、足払いが低く走る。だが完全には崩れない。咄嗟に体をひねり、均衡を取り戻す。
呼吸が近い。距離はもうほとんどない。
短い打撃が連続する。重くはないが、速い。肩、腕、脇腹へと散らされる衝撃。どれも決定打にはならないが、確実に集中を削っていく。
一歩、引いた。
その「引き」に誘われるように、追う足が出る。そこを狙っていた。軸足をずらし、体を半回転させる。すれ違いざまに、軽く押す。
ぐらり、と体勢が揺れる。
倒すほどではない。ただ、バランスを奪うだけの力。
距離が再び開いた。
静かな間が落ちる。どちらも無理に踏み込まない。さっきまでの応酬が、互いの癖を少しずつ暴いているのがわかる。
次は、もう少し深く踏み込めば――
そんな予感だけが、張り詰めた空気の中に残っていた。
「一つ気になっていることがあるんだ。聞いていいか」有馬が言った。
「なんだ」
「黒剣を持っていないと聞いた。本当か」
「本当だ」
「なぜ持っていない」
「奪われた」
「奪われた」有馬が繰り返した。「それでも、四人をあの速さで制した。黒剣がなくても、あれだけできる」
「そうだ」
「ならば——黒剣があれば、どのくらいになる」
「想像に任せる」
有馬が静かに笑った。
「……なるほど。では——全力でいく」
「セカンドステージの始まりだ」
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有馬が動いた。
速くはなかった。
だが——空間が変わった。
有馬の周囲の空気が、硬くなった感覚があった。
俺は踏み込み、有馬に向かって走った。
同時に、有馬が右手を向けた。
俺の足が——止まった。
正確には、足を動かそうとした瞬間に、空間が固定された。
俺の体が、その場に縫い付けられた。
「止まった」有馬が言った。「速度は関係ない。空間を固定すれば、動けない」
俺は力を込めた。
動かなかった。
物理的な拘束ではない。空間そのものが固定されている。筋力では抗えない。
「どうする」有馬が静かに言った。「この状態から脱出できるか」
俺は考えた。
空間が固定されている。
体が動かない。
だが——手の指は動いた。
有馬の空間固定は、全身を一度に固定しているわけではない。
部分的に固定している。
そして——固定には、有馬の集中が必要なはずだ。
「たまには協力プレイといこうか。颯」
「え? 煉、動けないのか!?」
「嵐を、有馬に直接当ててくれ」
「わかった!」
颯が出力を上げた。
嵐操作の風が、有馬に直接向かった。
有馬が体勢を崩した。
集中が、一瞬だけ途切れた。
空間固定が、わずかに緩んだ。
その瞬間に、俺は動いた。
一歩だけ。
有馬の集中が戻る前に、一歩だけ前に出た。
有馬との距離が縮まった。
有馬が再び右手を向けた。
固定が来た。
今度は右腕だけが止まった。
俺は左手で有馬の手首を掴んだ。
有馬が驚いた。
「……掴まれた」
「集中が途切れた瞬間を待っていた」俺は言った。
「颯くんの嵐操作で——わざと崩させた?」
「そうだ」
「なるほど」有馬が静かに言った。「私の弱点を、一度捕まえた後に分析した」
「一度止まってみないとわからなかった」
「正直だな」有馬が笑った。「では——」
有馬が全身の空間固定を解除した。
代わりに、俺の掴んでいる手首ごと、空間を固定した。
俺の左手が、有馬の手首を掴んだまま動けなくなった。
「今度はお互いに動けない」有馬が言った。「引き分けか」
「引き分けではない」
「なぜだ」
「お前の方が先に疲弊する」俺は言った。「空間固定は精神力を消耗する。俺はただ立っているだけでいい」
有馬がしばらく俺を見た。
静かに、息を吐いた。
「……正しい」有馬が言った。「この状態を維持し続ければ、私が先に限界を迎える」
「わかっているなら、降参しろ」
「一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「お前は——何を目指している」
俺は少し考えた。
「答えを探している」
「答え?」
「昔、自分に問いを立てた」俺は言った。「人間の体で、どこまで行けるか。その答えを出すために、頂点を目指している」
有馬が長い沈黙の後に言った。
「……降参する」有馬が空間固定を解除した。「黒瀬煉、お前は——本物だ」
「買いかぶりだ」
「買いかぶりではない」有馬が俺を見た。「黒剣を取り戻せ。そして——頂点まで行け。見届けたい」
「そうする」
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五人全員が脱落した。
颯が「やったぞ!!!!」と叫んだ。
里中が「私の花粉操作も役に立ったよな!!!!」と叫んだ。
「役に立った」俺は言った。
「本当か!!!!」
「本当だ」
「やった!!! 最強じゃないか私!!!!」
「最強ではない」
「なんで!!!!」
颯が「俺も頑張りましたよ!!」と言った。里中が「颯も頑張ったな!!」と言った。颯が「先輩に認めてもらえた!!」と言った。里中が「でもうるさい!!!」と言った。颯が「結局そこ!!!!」と言った。
城島が静かに言った。
「残りの生徒は、ほぼいないはずです。実質的に、この訓練は終わりに近いと思います」
「そうだな」俺は言った。
澪が俺の隣に来た。
「怪我は」
「ない」
「本当に?」
「空間固定に捕まっていた時間が少しあった。体には何もない」
「よかったです」澪が小さく息を吐いた。
「心配していたか」
「……していました」澪が前を向いた。「左腕を掴まれて動けなくなっているのが見えたので」
「あれは計算の範囲内だった」
「計算の範囲内でも、心配します」澪が静かに言った。「それはもう、仕方ないことなので」
俺は澪を見た。
何か言おうとした。
「二人とも!!!」里中が飛んできた。「次どこ行く!!! まだ誰かいるか!!!」
「……たぶんいない」
「残念!!! もっと戦いたかった!!! 私の花粉操作、まだまだできることがある!!!」
「先輩、落ち着いてください」颯が言った。
「うるさい颯!!!!」
「やっぱり!!!!」
澪がため息をついた。
「……さっきの話の続きは、また今度ですね」
「そうだな」
「今度こそちゃんと聞かせてください」澪が言った。
「ああ」
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島に、サイレンが鳴り響いた。
全員が止まった。
スピーカーから、倉石の声が聞こえた。
「訓練終了。全員、施設に戻れ。脱落者の確認を行う」
颯が「終わった!!!!」と叫んだ。
里中が「終わりか!!! 私の天下が!!!」と叫んだ。
城島が「お疲れ様でした」と静かに言った。
澪がノートを閉じた。
俺は空を見上げた。
夕暮れが始まっていた。
この島で、黒剣なしでどこまで動けるか——少しわかった気がした。
「まあ」
「なんとかなっただろ!!!!」里中が先に言った。
「颯と同じことを言うな」俺は言った。
「えっ颯と同じ言い方なのか!!! 知らなかった!!! 悔しい!!!!」
颯が「なんで悔しいんですか!!!!」と言った。
二人の声が、夕暮れの島に響いた。
澪が「……帰りましょう」と静かに言った。
六人で、施設に向かって歩き出した。




