第5話「入学式と無能者の席」
覇凰学園は、山の中腹にあった。
市街地から続く長い坂道を上りきると、石造りの正門が現れる。両脇に立つ石柱には学園の紋章が刻まれていた。異能の炎を象った意匠だ。門をくぐった先には広大な敷地が広がり、中央に堂々たる本校舎がそびえている。
俺は正門の前で立ち止まり、学園を見上げた。
でかい。魔王時代の城に比べれば小さいが、人間の建築物としては相当なものだ。
「煉! こっちこっち!」
正門脇で颯が手を振っていた。入学式用の制服姿だ。紺のブレザーに、胸元の金ボタンが朝日に光っている。
俺も同じ制服を着ていた。袖を通した瞬間に思ったが、人間というのはよくこんな窮屈なものを毎日着るものだ。
「遅いぞ。式まであと三十分しかない」
「時間通りだ」
「俺はもう一時間前から来てた」
「暇なやつだ」
「緊張してたんだよ! 総代スピーチがあるから!」と颯は言った後、すぐに「あ、でも昨日煉が緊張しないって言ってくれたから大丈夫になった」と続けた。
俺は何も言っていない。だがそれを指摘しても無駄だと学んだ。
二人で正門をくぐった。
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入学式は大講堂で行われた。
広い。収容人数は優に千人を超えるだろう。新入生だけで二百人近くいる。全員が制服を着て、各々のエンブレムを光らせていた。
俺は自分の席を探した。名前順で並んでいるらしく、黒瀬という名前は前列の端にあった。隣を見ると、すでに席についている生徒が数人いる。俺が座ると、隣の生徒が気づいた。
「……エンブレムがない」
小声だったが、聞こえた。
その声が隣から隣へと伝播していく。気づいた生徒が俺を見る。俺の腰の黒剣を見る。
「無能者だ」「なんで入学できたんだ」「特別枠って聞いたぞ」
ひそひそ声が波のように広がっていった。
俺は気にせず正面を向いた。
ステージの上には教員が並んでいる。その端に、見覚えのある顔があった。
倉石だ。
試験官として俺と戦った男が、教員として壇上に立っていた。目が合った。倉石は無表情のまま、小さく頷いた。
俺も無言で頷き返した。
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式が始まった。
学園長の挨拶、教員紹介、学園規則の説明。俺は黙って聞いていた。この世界の常識を把握するためだ。魔王時代の俺は常識など関係なかったが、人間として生きるなら最低限は知っておく必要がある。
やがて新入生総代の挨拶になった。
颯が壇上に上がった。
会場がざわめいた。颯の名前は、どうやら新入生の間でも知られているらしい。上級異能者の中でも別格の出力値。しかも名門の出身ではない、叩き上げの異能者。そういう評判が広まっているようだ。
颯はマイクの前に立ち、会場を見渡した。
一瞬だけ、俺と目が合った。颯がにやりとした。
「新入生を代表して、一言申し上げます」
よく通る声だった。先ほどまで緊張すると言っていた面影はどこにもない。
「覇凰学園に入学できたことを、光栄に思います。俺たちは今日から、この学園で力を磨く。異能を磨く。そして——頂点を目指す」
短い。実に颯らしい、無駄のない挨拶だった。
会場から拍手が起きた。
颯が壇上から降りながら、俺の方をちらりと見た。自慢げな顔をしていた。俺は小さく頷いた。それで颯は満足したらしく、自分の席に戻っていった。
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式が終わり、クラス発表になった。
掲示板に名簿が貼り出される。新入生が群がって自分の名前を探している。
俺は人の波が引くのを待ってから掲示板を見た。
黒瀬煉——一年A組。
隣を見ると、神崎颯も一年A組だった。
「同じクラスだ!」
後ろから颯が飛びついてきた。肩に腕を回す例のやつだ。
「近い」
「うるさい! 同じクラスだぞ! やったじゃないか!」
「お前が喜ぶことだ」
「お前も嬉しいだろ!」
「……まあ」
颯が「よし!」と小さく叫んだ。
俺はもう一度名簿を見た。
そこに、見覚えのある名前があった。
朝霧澪——一年A組。
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一年A組の教室は、本校舎の三階にあった。
教室に入ると、すでに半分ほどの生徒が席についていた。颯はすぐに何人かに話しかけられていた。人気者らしい。
俺は窓際の席を選んで座った。
するとドアの方が騒がしくなった。
「朝霧さんだ」「さすが首席入学」「中級の中でもトップの成績らしい」
声のする方を見ると、栗色の髪を一つに束めた少女が教室に入ってきたところだった。
朝霧澪だ。
あの日、路地で絡まれていた少女。俺が助けて、それっきりになっていた。
澪は教室を見渡した。そして俺の顔を見た瞬間、ぴたりと止まった。
目が合う。
澪の表情が、驚きから困惑に変わった。それからなぜか頬がわずかに赤くなって、すぐに無表情に戻った。
澪はまっすぐ歩いてきた。俺の隣の席に荷物を置いた。
「……また会いましたね」
「ああ」
「同じクラスとは思いませんでした」
「俺もだ」
澪はしばらく俺を見ていた。何か言いたそうな顔だ。
「あの日のこと、まだお礼を言えていなかったので」
「気にしなくていい」
「気にします」澪が真剣な顔で言った。「助けてもらったのに何もしないのは、私の性に合いません」
「そうか」
「そうです」
澪は一度頷き、それから荷物を整理し始めた。話は終わりということらしい。真面目な性格だ。
颯が俺の後ろの席に滑り込んできて、澪を見て目を輝かせた。
「お、知り合いか煉!」
「少しな」
「神崎颯です! よろしく!」
「……朝霧澪です」澪が颯を一瞥した。「総代スピーチ、お上手でした」
「ありがとう! 実は緊張してたんだけど、煉が大丈夫だって言ってくれたから——」
「俺は何も言っていない」
「細かいことは気にするな!」
澪が俺を見た。何を言っているんですかこの人、という目だった。
俺は窓の外を見た。
澪が小声で言った。
「……賑やかな人ですね」
「慣れろ」
「慣れるんですか」
「慣れる」
澪がため息をついた。だがその口元が、わずかに緩んでいた。
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ホームルームが始まった。
担任教員が教室に入ってきた。
倉石だった。
俺は少し目を細めた。倉石も俺を見た。教室がざわめいた。倉石が無能者の入学を反対していたという話は、どうやら生徒にも広まっているらしい。
倉石は教壇に立ち、出席簿を開いた。
「担任の倉石だ。一年間よろしく頼む」
短い自己紹介だった。
出席確認が始まった。名前が呼ばれるたびに生徒が返事をしていく。
「黒瀬煉」
「はい」
倉石が一瞬、俺を見た。それから何事もなく次の名前を呼んだ。
颯が後ろから俺の背中をつついた。
「担任が倉石先生か。お前と戦った人じゃないか」
「そうだ」
「気まずくないか」
「別に」
「すごいな……」
颯が感心したように言った。
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ホームルームが終わり、解散になった。
廊下に出たところで、倉石に呼び止められた。
「黒瀬、少しいいか」
颯と澪が俺を見た。俺は二人に先に行くよう目で示した。颯は「あとで話聞かせろよ」と言いながら歩いていった。澪は一度振り返ったが、何も言わずに歩いていった。
倉石と二人になった。
「入学通知に書いたメモを見たか」
「ああ」
「改めて聞く」倉石が俺を真っ直ぐ見た。「お前は何者だ。試験の時の答えでは納得していない」
「黒瀬煉です。無能者の」
「それは聞いた」倉石の目が細くなった。「あの動きは、普通の人間が習得できるものじゃない。どこかの機関で訓練を受けたか」
「独学です」
「独学で上級最上位を下せるか」
「下せました」
倉石が低く唸った。
俺は正面から倉石を見た。この男は敵ではない。ただ、理解できないものを放置できない性格なのだろう。教員として当然の態度とも言える。
「一つだけ言えることがあります」
「何だ」
「俺は覇凰学園の生徒として、真っ当にここにいる。邪な目的はない。それだけです」
倉石はしばらく黙っていた。
やがて、重い息を吐いた。
「……わかった。今は信じる」
「ありがとうございます」
「ただし」倉石の目が鋭くなった。「この学園には、お前を快く思わない人間が大勢いる。無能者の特別入学を認めるべきじゃないという意見は、上にも根強くある。下手を打てば、即退学になりかねない」
「心得ています」
「本当にわかっているか」
「わかっています。だから真っ当にやる」
倉石がまた俺を見た。今度は試すような目ではなく、確かめるような目だった。
やがて倉石は踵を返した。
「ならいい。授業には遅れるな」
「はい」
倉石の背中が廊下の奥に消えた。
俺は窓の外を見た。学園の敷地が広がり、その向こうに市街地が見える。さらに遠くに、山脈の稜線があった。
邪な目的はないと言った。それは本当だ。
ただ——目的がないわけでもない。
俺はこの人間の体で、頂点まで行く。覇級を超えて、この世界の天井を確かめる。
それが魔王だった俺に残された、唯一の問いへの答えだ。
「まあ、なんとかなるだろ」
廊下に俺の声が小さく響いた。




