第46話「最初の一本」
辻堂が動いた。
速かった。
三浦より速かった。
地面を蹴る音が消えた。
次の瞬間、辻堂の拳が俺の顔面に向かっていた。
「なんて速さだ!あんなの無能者に避けられるわけがない。流石の黒瀬でも、、、」
そう宮田が言った時誰もその言葉に返答はしなかった、だがその場にいる宮田以外の全員が避けられると確信していた。
身を翻し、躱した。
右に半歩。
風圧が顔を掠めた。
そのまま俺は反撃した。
右の肘を辻堂の脇腹に向けた。
辻堂が肘で受けた。
骨が鳴った。互いの骨が、同時に。
俺は後退した。辻堂も一歩下がった。
「……速い」辻堂が静かに言った。「昼間より速い。夜になって感覚が研ぎ澄まされたか」
「そうかもしれない」
「私も同じだ」辻堂が言った。「感覚強化は、暗い方が機能する。目への情報が減る分、他の感覚が鋭くなる」
「お互い夜向きということか」
「そうなるな」辻堂が静かに笑った。「面白い」
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二撃目が来た。
今度は連打だった。
右、左、右、左。
肉体強化された拳が、連続して俺に向かってきた。
俺は全部捌いた。
右を外に弾く。左を内に流す。右を頭を下げて躱す。左を半歩下がって外す。
だが——捌くたびに腕に衝撃が来た。
三浦と同じだ。受けるたびに消耗する。
俺は攻撃に転じた。
辻堂の連打の隙間に入り込んだ。
左の拳が来る瞬間、俺は体を内側に回転させた。
辻堂の拳の軌道の内側に入った。
そのまま右の掌底を辻堂の顎に向けて打った。
辻堂が頭を後ろに逸らした。
完全には当たらなかった。だが顎を掠めた。
「っ——」辻堂が後退した。
「感覚強化があるなら」俺は言った。「気配を読まれる前に動く必要がある」
「読んでいた」辻堂が言った。「それでも速かった。どういう動き方だ」
「考えていない」
「考えていない?」
「体が動いている」俺は言った。「考えてから動いていたら、遅い。体が動きたいように動かす」
辻堂がしばらく俺を見た。
「……なるほど、わかっていたことだが、無能者どころか、ゆうに人間の域は超えているというわけか」辻堂が静かに言った。「数百年分の反射、というわけだな」
俺は止まった。
「知っているのか」
「噂では」辻堂が言った。「魔王の転生体、という話を聞いたことがある。信じてはいなかったが——今夜、少し信じる気になった」
「そうか」
「だとしたら——お前と戦えることは、望外の幸運だな」辻堂が言った。「数百年の戦闘経験を持つ相手と、真剣に戦える機会など、一生に一度もないだろう」
「買いかぶりだ」
「買いかぶりではない」辻堂が構えた。「本気でいく」
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三撃目から、辻堂が変わった。
速度が上がった。
肉体強化の出力が、明らかに増していた。
辻堂の拳が来た。
俺は躱した。
だが辻堂はすでに次の動きに入っていた。
右拳をフェイントにして、左の蹴りが来た。
俺の右脇腹に直撃した。
吹き飛ばなかった。
だが——体が軋んだ。
「っ——」
「もらったな」辻堂が言った。
「そうだな」
「まだ立てるか」
「まだだ」
俺は体勢を立て直した。
脇腹が痛かった。
だが動ける。
「辻堂」
「なんだ」
「一つだけ聞く」俺は言った。
「どうぞ」
「お前はなぜ夜を待った」
「昼間の俺では、お前に勝てないと判断したからだ」辻堂が静かに答えた。「昼間の九連戦の後のお前を狙えば楽だっただろう。だがそれでは意味がない」
「意味がない?」
「疲弊した相手に勝っても、何も証明できない」辻堂が言った。「万全のお前に勝ちたかった。だから待った」
俺は辻堂を見た。
「……お前は、強さにまっすぐな男だな」
「そうだと思う」辻堂が静かに言った。「それ以外のことに、あまり興味がない」
「悪くない生き方だ」
「お前も同じだろう」辻堂が言った。「だからこそ——お前と戦いたかった」
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四撃目。
辻堂が全力で踏み込んだ。
地面が沈んだ。
肉体強化をフルに使った踏み込みだ。三浦の時と似ている。
だが辻堂は三浦より速い。
俺は動いた。
躱すのではなく——前に出た。
辻堂の踏み込みに向かって、俺も踏み込んだ。
互いが激突する軌道。
辻堂が驚いた。
その驚きの一瞬が、俺には全てだった。
辻堂の踏み込みの勢いと、俺の踏み込みの勢いが交差した瞬間、俺は辻堂の右腕の外側に体を寄せた。
辻堂の拳が俺の左肩を掠めた。
俺の右の掌底が、辻堂の胸骨に入った。
鈍い音がした。
辻堂がよろめいた。
俺はそのまま辻堂の右腕を掴んで引いた。前傾みになった辻堂の首筋に、左手を当てた。
静止。
二人が止まった。
夜の森に、荒い呼吸だけが響いた。
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長い沈黙があった。
辻堂が動かなかった。
俺も動かなかった。
やがて辻堂が静かに言った。
「……一本、取られた」
「ああ」
「続けるか?」辻堂が聞いた。
俺は少し考えた。
「お前次第だ」
「私が降参しなければ、続けるのか」
「そうだ」
「では——もう一本」辻堂が言った。「今の一本で、お前の動き方はわかった。ならば次は——私が取る」
「来い」




