第36話「零に帰す」
翌朝、訓練場に行くと三人が先に来ていた。
颯が「おはよう! 今日も張り切るぞ!」と言った。澪が「おはようございます」と言った。城島が「黒瀬くん」と言った。
城島が俺の右手を見た。
「その指輪は」
「昨夜、顕現した」俺は言った。
三人が俺を見た。
俺は昨夜のことを、簡単に説明した。
魔王時代に封印していたものが、この体の中にあったこと。それが指輪として顕現したこと。
そしてその効果を。
「無断と同じ効果」颯が言った。「でも距離が離れていても届く?」
「ああ。一発だけだ」
「一発しか撃てないのか」
「そうだ。だから封印していた。一発しか撃てない制約の中に、全ての力が込められている」
「どのくらい強いんだ」
「無断より、効果が色濃く反映される」俺は静かに言った。「無断は接触した瞬間に異能を零にする。だがこれは——零にした上で、より深い層まで影響を与える。回復までに時間がかかる」
颯が「すごいな」と言った。
城島が少し考えてから言った。
「橘将望に使えますか」
「理論上は」俺は言った。「だが問題がある」
「なんですか」
「橘の本当の能力は量子位相の操作だ。確率を操作して、攻撃が当たらない未来を選ぶ。無断が当たっても——橘はその結果を過去に遡って書き換えた」
「同じことが起きるかもしれない」城島が言った。
「ああ」
「だから颯くんの嵐操作が必要なんですね」澪が言った。「嵐操作で橘の観測に干渉し、観測精度を落とす。その状態でこの銃を撃てば——橘が量子操作で書き換えを行う前に、着弾させられるかもしれない」
「それが狙いだ」
四人が少し沈黙した。
颯が「でも一発しか撃てないんだろ」と言った。「外したら終わりじゃないか」
「そうだ」
「プレッシャーがすごいな」
「だから今日も訓練する」俺は言った。「撃つ前に、確実に当たる状況を作る練習が必要だ」
「どんな練習をするんだ」
「颯の嵐操作の精度をさらに上げる」俺は颯を見た。「橘の観測を完全に封じるためには、相当な気象ノイズが必要だ。それを維持しながら、俺が動ける状態を作る。今日はその訓練だ」
「わかった」颯が頷いた。「やる」
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訓練が始まった。
颯の嵐操作と俺の動きを、繰り返し合わせていった。
颯が嵐を発生させる。俺がその中で動く。どのくらいの規模なら俺の動きを妨げずに済むか。その加減を、一つずつ確認していった。
澪が計測を続けた。
城島が周囲を警戒しながら、時折二人にアドバイスをした。
訓練の中で、俺は終環を繰り返し顕現させた。
顕現させるたびに、指輪から銃が生まれる感覚を確かめた。
構える。狙う。
発動する条件を体に覚えさせた。
まだ撃ってはいない。一発しか撃てないからだ。
使うのは——橘将望と対峙した時だけだ。
そう決めていた。
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昼休みに、澪が俺の隣に来た。
「黒瀬くん、一つだけ確認させてください」
「なんだ」
「終環」澪が静かに言った。「一発しか撃てないという制約は——指輪を通して顕現させるたびにリセットされますか。それとも、一生に一発ですか」
俺は少し考えた。
「わからない。昨夜顕現させた時に確かめられなかった」
「重要な部分ですね」澪が言った。「もし一生に一発なら——橘に外した時の対処を考えておく必要があります」
「そうだな」
「もし顕現のたびにリセットされるなら——訓練で一度試し撃ちをすることも考えられます」
「試し撃ちか」
「力の規模を把握しておいた方が、本番で使いやすいと思います」
俺は澪を見た。
「お前は——本当に細かいところまで考えるな」
「あなたが雑すぎるんです」澪が言った。
「そうかもしれない」
「そうです」
俺は少し笑った。
「今日の午後、試し撃ちをする」
「わかりました。記録します」
「頼む」
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午後。
訓練場の外れにある、崩れかけた石の壁を標的にした。
三人が少し距離を取って見ていた。
「やるぞ」
颯が「頼む」と言った。澪がノートを構えた。城島が静かに見ていた。
俺は右手に力を込めた。
終環から、銃が顕現した。
黒い銃が、手の中に現れた。
構えた。
石の壁に向けた。
「封印解放——呼応しろ」
引いた。
黒い光が放たれた。
音はなかった。
だが光が石の壁に触れた瞬間——壁が、黒く染まった。
染まった部分が、崩れた。
ただの石が崩れたのではない。
石の中にあった「構造」そのものが、零に帰された感覚があった。
存在しているのに、その存在を成立させていた何かが消えた。
石の壁の崩れた部分は、もとに戻らなかった。
颯が「……すごい」と小声で言った。
澪が記録を取りながら、眉を寄せた。
「黒瀬くん、指輪を確認してください」
俺は右手の薬指を見た。
指輪は、まだそこにあった。
もう一度、銃を顕現させようとした。
出てきた。
「顕現のたびにリセットされる」俺は言った。「一発ずつ、使えるようだ」
「わかりました」澪がノートに書き込んだ。
颯が「じゃあ訓練でも使えるな」と言った。
「使いすぎると体力を消耗する」俺は言った。「一発ごとに深い力を引き出しているから、連続使用は難しい」
「どのくらい連続で使えるんだ」
「今日試した感覚では——三発が限界だ。それ以上は体が持たない」
「三発か」颯が頷いた。「橘に対しては一発で仕留めないといけないな。体力を温存しながら」
「そうだ」
城島が静かに言った。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「一つだけ確認させてください」城島が俺を見た。「橘将望と対峙した時——全員で動きますか。それとも煉くん一人で」
「颯の嵐操作が必要だ。颯には参加してもらう」
「私と澪さんは」
「下がってもらう」
「下がれません」城島が静かに言った。
「城島」
「黒瀬くんが倒れた時、誰かが必要です」城島が真っ直ぐ俺を見た。「私は戦力にならなくても、そこにいる必要があります」
俺は城島を見た。
城島の目は、揺れていなかった。
「……わかった」俺は言った。「だが直接戦うな。必ず距離を置け」
「わかりました」
「澪も同じだ」
「わかっています」澪が静かに言った。
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夕方、訓練を終えた。
四人で帰り道を歩いた。
颯が「今日は疲れた。でも手応えがあった」と言った。城島が「私も同感です」と言った。澪が「記録を整理します」と言った。
俺は少し後ろを歩きながら、右手の薬指を見た。
指輪が、夕暮れの光を吸い込んでいた。
黒い光だ。
黒剣と同じ色だ。
俺は少し考えた。
黒剣を封印した時の記憶はない。黒剣が俺と一緒に転生してきた理由も、完全にはわからない。
だが——この指輪は、俺自身が封印したものだ。
俺が、数百年前に。
必要な時にだけ呼応せよ、と言って封印した。
その時が——来たのかもしれない。
「颯」
「なんだ」
「明後日、動く」
颯が止まった。振り返った。
「明後日って——橘に会いに行くってことか」
「橘の方から来る」俺は言った。「城島が言っていた通りだ。俺が動き始めれば、あいつは来る」
「それが明後日だと思うのか」
「昨日と今日で、俺たちの動きが変わった」俺は言った。「橘はどこかで見ている。気配がない、だが見ている。明後日には来るはずだ」
颯がしばらく俺を見た。
「……わかった」颯が言った。「準備する」
「頼む」
澪が静かに言った。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「明後日」澪が俺を見た。「必ず——立っていてください」
「約束だ」
「絶対ですよ」
「絶対だ」
四人の足音が、夕暮れの道に続いた。
右手の薬指に、指輪が光っていた。
終環。
数百年前に封印した、最後の切り札。
使う時が——来る。




