第31話「封印の鍵と能力について」
翌朝。
屋上に行くと、澪がいた。
いつもの定位置だ。だが今日は弁当ではなく、ノートを持っていた。
何かが書き込まれている。
澪が俺を見た。
「おはようございます」
「ああ」
「体の具合は」
「動ける」
「固定具は」
「つけている」
「ちゃんとつけているんですね」澪が少し安堵した顔をした。「確認しに来ようかと思いましたが、来すぎると迷惑かと思って」
「来ても構わない」
澪が少し目を丸くした。
「……そうですか」
「そうだ」
澪がノートを開いた。
「調べたことを話します」
「聞く」
「橘将望の能力についてです」澪が静かに言った。「昨日黒瀬くんから話を聞いて、一つだけ気になることがありました」
「なんだ」
「橘将望の本当の能力は、量子位相の操作だと言っていましたね。確率を操作して、攻撃が当たらない未来を選ぶ」
「ああ」
「その能力には、制約があると思います」澪がノートを指でなぞった。「量子操作には必ず観測が必要です。観測できないものは操作できない」
俺は澪を見た。
「観測が必要」
「はい」澪が続けた。「橘将望は戦いの中で、全てを観測しながら確率を操作しています。だから全ての攻撃が当たらない。でも——観測できないものがあれば、どうなるか」
「それは」
「わかりません」澪が俺を見た。「でも、可能性はあると思います。観測を超えるものがあれば——橘将望の能力に、穴が開くかもしれない」
俺は澪を見た。
澪が一晩で、ここまで考えていた。
「澪」
「なんですか」
「お前は——本当に、頭がいいな」
澪が少し視線を逸らした。
「……褒めても何も出ません」
「褒めていない。事実を言っている」
「同じです」
「違う」
澪がため息をついた。だが口元が、少し緩んでいた。
「続けます」
「頼む」
「観測を超えるもの——それが何かは、まだわかりません」澪が続けた。「でも黒剣の性質を考えると、一つだけ思い当たることがあります」
「何だ」
「黒剣は、光を吸収する」澪が俺を見た。「光は量子の基本です。光を吸収する剣が量子操作に対してどう働くか——それが、鍵になるかもしれません」
俺は少し考えた。
黒剣が、量子操作に対する鍵になる。
だとすれば——黒剣を取り戻すことが、最初の一手になる。
「澪」
「はい」
「一つ頼んでいいか」
「なんですか」
「この仮説を、倉石先生に見せてくれ。あの人は封印について詳しい。量子操作と封印の関係を、何か知っているかもしれない」
澪が頷いた。
「わかりました。今日の放課後に行きます」
「一人で行くな。城島も連れて行け」
「……一人で行けます」
「城島も連れて行け」
澪がため息をついた。
「……わかりました」
風が吹いた。
澪のノートのページが、ぱらりと捲れた。
澪が慌てて押さえた。
俺はその仕草を見ていた。
昨日までと、何かが違う。
俺の中で、何かが少し動いていた。
まだわからない。まだ手が見えない。まだ口癖は出てこない。
だが——動いている。
確かに、動いている。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「一つだけ言っていいですか」
「どうぞ」
澪がノートを閉じた。俺を見た。
「焦らなくていいです」澪が静かに言った。「あなたが一歩進むまで、私たちは待ちません。一緒に動きます」
俺は澪を見た。
「待たなくていいと言っているのか、それとも置いていくと言っているのか」
「一緒に動くと言っています」
「……同じことか」
「違います」澪が真っ直ぐ俺を見た。「待つのは受け身です。一緒に動くのは——能動的です。あなたが動けない間、私たちが動く。あなたが動けるようになったら、また一緒に動く。それだけです」
俺はしばらく澪を見ていた。
澪は俺を見ていた。
逃げていない目だ。
「……ありがとう」
「お礼を言われることじゃないです」
いつもの言葉だった。
だが今日のそれは——いつもより、少し温かかった。
俺は空を見上げた。
青い空が広がっていた。
転生してから、ずっとこの空だ。
まだあの言葉は出てこない。
だが——もう少しだけ待てば、出てくる気がした。それだけだった。




