第3話「相棒は天然物級だった」
試験官の男が床に足をつけた瞬間、空気が変わった。
さっきまでの事務的な試験の雰囲気が消えた。代わりに満ちてくるのは、純粋な戦意だ。この男、やる気がある。それも、本気の。
観覧席がしんと静まり返った。
颯だけが「おい、まずいんじゃないか」と隣の受験者に耳打ちしている。
試験官の男——後で聞いた話では倉石という名前らしい——が、ゆっくりと両手を持ち上げた。構えというより、ただ自然体で立っているだけだ。だがその佇まいから、尋常でない練度が滲み出ている。
「名前を聞いておこうか」
「黒瀬煉です」
「倉石だ。覚えなくていい、短い戦いになる」
俺は少し笑った。
「それはどちらの話ですか」
倉石の目が細くなった。
「……始め」
自分で宣言して、自分で動いた。
速い。補佐の青年とは比べ物にならない踏み込みだ。床が軋む音がして、次の瞬間には倉石が間合いを詰めていた。
同時に、異能が発動した。
倉石の両腕に、石造りの装甲が形成される。岩石系の異能——地質を操り、自在に形を変える力だ。装甲は瞬時に肘まで覆い、そのまま右の拳が俺に向かって振り下ろされた。
正面から受ければ、この体ごと砕ける。
俺は右に半身を開いて躱した。拳が床を叩き、コンクリートが陥没した。重い。異能で強化された一撃は、それ自体が兵器だ。
「速いな」
倉石が呟いた。感心ではなく、確認するように。
すぐに次が来た。今度は連打だ。右、左、右。岩石の装甲をつけた重い拳が、矢継ぎ早に俺の頭部と胴を狙ってくる。リーチが長い。しかも一撃ごとに装甲の形が変わる——拳が伸び、棘が生え、面積が広がる。ただの格闘術ではなく、異能と肉体を完全に噛み合わせた戦い方だ。
俺は全て捌いた。
剣で受けるのではなく、体を動かして外す。ぎりぎりまで引きつけ、最小限の動作で軌道から外れる。魔王時代に骨の髄まで染み込んだ回避の技術は、体が変わっても健在だった。
だが、消耗は確かにある。
この体は若いが、まだ俺の動かし方に慣れていない。筋肉の出力、骨の可動域、呼吸のリズム。全部が魔王時代とは違う。脳が命令を出してから体が動くまでに、わずかなタイムラグがある。
それが問題だった。
「っ」
右の拳を躱した瞬間、倉石の左腕が変形した。装甲が鞭のように伸び、俺の左足首を狙ってくる。
読んでいたが、タイムラグのせいで半歩遅れた。
岩の鞭が足首を掠め、体勢が崩れた。
倉石が畳み掛けた。岩の装甲が盾に変形し、全体重をかけたタックルが来る。受ければ壁まで吹き飛ぶ。
俺は崩れた体勢のまま、逆に前に踏み込んだ。
倉石が一瞬、意表を突かれた顔をした。
タックルと俺の踏み込みが激突する直前、俺は体を低く沈めて倉石の懐に潜り込んだ。盾が頭上を通過する。俺はそのまま倉石の死角——右の脇腹の真横に滑り込み、黒剣の柄で脇腹を打った。
鈍い音がした。
倉石が呻いて体勢を崩した。
俺はすかさず回り込み、剣の腹を倉石の首筋に当てた。刃ではなく腹だ。これが実戦なら、刃を返している。
静止。
倉石は動かなかった。
会場が完全に静まり返った。誰も声を出せないでいる。
数秒が経った。
倉石がゆっくりと岩の装甲を解除した。石くずが床に落ちる音だけが響いた。
「……一つ、聞いていいか」
倉石が静かに言った。
「どうぞ」
「お前は何者だ」
俺は剣を引いて、一歩下がった。
「黒瀬煉です。無能者の」
「それは聞いた。そうじゃなくて」
倉石が俺を真っ直ぐ見た。値踏みではない。もっと純粋な、探るような目だ。
「お前の動き方は、異能者のそれじゃない。かといって、ただの剣術でもない。俺は二十年以上この仕事をしているが、ああいう捌き方をする人間を見たことがない。どこで身につけた」
俺は少し考えた。
「昔、色々ありまして」
「……そうか」
倉石はそれ以上聞かなかった。代わりに、ゆっくりと息を吐いた。
「参った」
その二文字が告げられた瞬間、観覧席が爆発した。
「嘘だろ!?」「上級最上位が負けた!?」「無能者に!?」
颯だけが満面の笑みで立ち上がり、一人で拍手していた。
「やったぞ煉! すげえすげえ!!」
俺は剣を鞘に収めながら颯を見た。
「知り合ってまだ二時間も経ってないぞ」
「関係ない! 俺はお前を応援すると決めた!」
まったく掴みどころのない男だ。俺が言えた義理ではないが。
倉石が隣に並んだ。まだ脇腹を片手で押さえている。
「いい一撃だった」
「助かりました。あの鞭は読み切れなかった」
「読めていたら当たらなかっただろう。それで十分だ」
倉石は俺を一瞥し、それから観覧席を振り返った。
「試験を続ける。黒瀬の採点は私が行う」
その一言で、ざわめきがぴたりと止まった。
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試験の結果は即日発表された。
合格者の名前が読み上げられる。颯の名前が呼ばれた。颯は「よっしゃ」と小さくガッツポーズをした。その後しばらく名前が続き——最後に、俺の名前が呼ばれた。
「黒瀬煉。特別枠にて合格」
またしても会場がざわめいた。
「特別枠って何だ」「前例あったか?」「無能者が覇凰学園に……」
俺は特に感慨もなく立ち上がった。
隣で颯が飛びついてきた。文字通り、肩に腕を回してきた。
「やったな煉! 同期じゃないか! なあ、入学したら同じクラスになれるといいな! 俺、お前と組みたい!」
「近い」
「細かいことは気にするな!」
「勝手にしろ」
「やった、許可が出た!」
何も許可していない。だがこの男は気にしないだろう。
俺は颯の腕を引き剥がしながら、入学通知書に目を落とした。
入学は二週間後。
そして通知書の最下部、小さな文字でこう添えられていた。
「入学後、改めて面談を行う。倉石」
俺は通知書を折り畳んでポケットに入れた。
颯が覗き込んできた。
「なんか書いてあったか?」
「いや、なんでもない」
「そっか! なあ飯行こうぜ、腹減った!」
颯はもう歩き出していた。試験会場を出る前に受付への挨拶もせず。
俺は試験官に軽く頭を下げてから、颯の後を追った。
倉石がまだこちらを見ていた。その視線の意味は、まだわからない。
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アパートは学園から徒歩十分の場所にあった。築年数はそれなりだが、清潔感はある。大家は颯の遠縁にあたる老婦人で、颯の顔を見るなり「また厄介ごとを持ち込みに来たのかい」と言った。人を見る目がある。
家賃は破格だった。黒瀬煉が持っていた貯金で、半年分は払える計算だ。
部屋に荷物を運び込み終えた頃には日が傾いていた。荷物といっても着替え一式と黒剣だけだが。
颯は手伝い終えると、当然のように部屋に居座った。
「なあ煉、飯どうする。俺腹減った」
「俺の部屋だぞ」
「だから聞いてる」
論理が独特だ。
俺は仕方なく近くの定食屋に颯を連れて行った。颯は唐揚げ定食を三人前頼んで、あっという間に平らげた。
「お前、よく食うな」
「異能使うとカロリー消費がすごいんだよ。お前は?」
「少食だ。人間の体に慣れてない」
「……人間の体に慣れてない?」
しまった。俺は箸を止めた。
颯が不思議そうに俺を見ている。
「なんか変な言い方だな。どういう意味だ?」
「長い間、体を動かしてなかった。そういう意味だ」
「ああ、病気か何かか。それは大変だったな」
颯はあっさり納得した。追及しない。いい性格だ。
「なあ、煉はなんで覇凰学園に入ろうと思ったんだ? 無能者なのに怖くなかったか」
俺は少し考えた。
「頂点が見たかった」
「頂点?」
「覇級だ。どんな奴らが上にいるのか、この目で見たい」
「それだけか?」
「それだけだ」
颯はしばらく黙って俺を見ていた。それからふっと笑った。
「お前、なんか変なやつだな」
「よく言われる」
「俺も変なやつって言われるから、気が合うかもな」
俺は何も言わなかった。
颯が四人前目を追加注文しながら、何でもないように言った。
「なあ煉、俺と組もう。正式に」
「断る」
「なんでだよ!」
「お前の実力を知らない」
「さっき試験で見ただろ!」
「あれは出力測定だ。戦い方を見てない」
颯が一瞬、ぽかんとした。それから目を輝かせた。
「じゃあ、俺と戦ってみるか?」
「いつでも」
「明日!」
「構わない」
颯がにやりと笑った。俺も少し笑った。
窓の外で、街の灯りがぽつぽつと灯り始めていた。
転生して三日目の夜。俺には住む場所と、うるさい知り合いが一人できた。
魔王時代には、どちらもなかったものだ。
「まあ、なんとかなるだろ」
「なにが?」
「独り言だ」
「変なやつ」
颯がけらけら笑った。
俺はお茶を一口飲んだ。




