第28話「世界有数の実力者、アルティマ」
無断。
俺がこれまでの戦いで一度も使わなかった、最後の手段。
誰にも見せたことがない。颯にも澪にも城島にも倉石にも——誰にも話したことすらない。
この技の本質を、簡単に説明するなら。
黒剣ヴァルムには、光を吸収し弾く性質がある。それは光に限らない。あらゆる「力」を弾く性質だ。俺はそこに、魔王時代から磨き続けた繊細な力量操作を組み合わせた。
結果——対象に触れた瞬間、その対象が持つ全ての異能、全ての力を、一度零に帰す技が完成した。
強化系の異能も、変換系の異能も、操作系の異能も関係ない。触れた瞬間に、全部が消える。能力の上書きではなく、文字通りの消去だ。
これを当てれば、橘の異能は一時的に失われる。
异能がなくなれば——橘は、ただの人間だ。
これまで戦ってきた中で最も強力な一撃。俺が数百年の魔王時代と、この人間の体になってからの戦闘経験全てを注ぎ込んで作り上げた、唯一無二の技だ。
当てれば終わる。
必ず終わる。
俺はそう信じていた。
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黒剣を抜いた。
力を込めた。
黒剣の刀身が、黒く輝き始めた。
いつもとは違う光だ。刃の表面に、見えない何かが纏わりついている。それは光でも炎でもなく、「空白」のような感覚だった。あらゆるものを零に帰す力が、剣に凝縮されていく。
橘がその光を見た。
「……へえ」
初めて橘の声のトーンが変わった。
「それ、面白そうだね」
俺は踏み込んだ。
全力だ。これまでの戦いで使った速さとは次元が違う。魔王時代の本能が全面に出た踏み込みだ。地面が割れた。
橘との距離が、瞬時に消えた。
黒剣を——橘の胸に、正面から突き込んだ。
当たった。
確かに当たった。
手応えがあった。完全な手応えだ。触れた感触がある。橘の体に——黒剣が——
「無断」
刃から力が放出された。あらゆるものを零に帰す波動が、橘を飲み込んだはずだった。
俺はその瞬間、全ての体力を使い切った。
膝が落ちた。
この技の代償は、俺の体力の全てだ。魔王時代の力量操作を人間の体で行うことで、体が限界を超える。
地面に膝をついた。
息が、出来なかった。
肺が、働いていない。
全身が、言うことを聞かなかった。
それでも——やった。
当てた。
橘の異能は消えたはずだ。
俺は顔を上げた。
橘を見た。
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橘は、無傷で立っていた。
服に、傷一つない。
体に、かすり傷すらない。
笑っていた。
相変わらず、穏やかに笑っていた。
「……なぜだ」
声が出た。だが、かすれていた。
「なぜって?」橘が首を傾げた。
「当てた。確かに当てた。お前の異能は——零になったはずだ」
「うん、なったよ」
「なのになぜ無傷なんだ」
「それはね」橘が俺を見下ろした。「零になった後で、元に戻したから」
俺は橘を見た。
「……零になった後で、元に戻した?」
「そう」橘が静かに言った。「君の技が当たって、僕の能力が零になった。その事実は本当だよ。でも僕は、零になるという結果を——なかったことにした」
俺は橘の言葉を、頭の中で繰り返した。
零になった後で、元に戻した。
零になるという結果を、なかったことにした。
それは——
「未来を変えた」俺は言った。「零になるという未来を」
「正確には過去かな」橘が言った。「零になったという過去を、零にならなかったという過去に書き換えた」
過去を、書き換えた。
過去を。
無断はあらゆる異能を零にする。それは事実だ。俺の技に瑕疵はない。
だが——ゼロになった事実そのものを、なかったことにできるならば。
どんな攻撃も意味をなさない。
どんな技も届かない。
届いた事実ごと、消える。
「お前の本当の能力は」
「うん」橘が穏やかに言った。「大体わかってきたかな」
俺は地面に手をついた。
立とうとした。
体が動かなかった。
「黒瀬くん、一個だけ言っておくね」橘が俺を見下ろした。「君の切り札、すごく面白かった。あれを見せてもらえて、よかった」
「……俺が負けたことに、感謝しろということか」
「そんなつもりじゃないけど」橘が少し笑った。「でも今日は、これで十分かな。目的は果たせたし」
「目的は何だ」
「君がどこまでやれるか、確かめること」橘が答えた。「あと、もう一個」
「もう一個」
「君が誰を守ろうとするか、確かめること」橘が空き地の入口の方向を見た。「神崎颯を傷つけたら、君が本気になった。なるほど、そういうことね、って」
俺は橘を見た。
最初から。
颯を吹き飛ばしたのも。
俺を戦いに引き込んだのも。
切り札を出させたのも。
全部、橘が計算した上でのことだった。
「ひどいな、お前は」
「そう?」橘が首を傾げた。「ひどいとは思わないけど。必要なことだったから」
「颯が怪我をした。それで十分だったのか」
「うん。骨が折れたくらいなら、すぐ治るし」橘が言った。「大事なものを傷つけられた時の君がどう動くか、知りたかったんだよ。データとして」
データ。
颯が、データだ。
澪が、データだ。
俺たちの全てが、この男にとってデータだ。
「橘」
「なに?」
「次会う時は、今日のようにはならない」
「そうかな」橘が微笑んだ。「どうやって? 君の切り札は、もう見た。次に使っても、同じ結果になるよ」
俺は答えられなかった。
答えが、なかった。
「黒瀬くん、一個だけ教えてあげる」橘が言った。「本当のことだから、聞いておいてよ」
「なんだ」
「世界に数人しかいないって聞いたことある? 覇級」
「お前まさか、、、」
俺は橘を見た。
「僕、その一人なんだよね」橘が言った。「アルティマ。加えて——たぶん、今の君が戦える相手の中じゃ、一番上の方だと思う」
覇級。
世界に数人しかいない、最上位の異能者。
それが——橘将望だった。
「あ、あと君の持ってたその黒い剣、それ面白そうだからちょっともらってくね。研究のしがいがありそうだし。」
「や、やめろ。それだけはダメだ。」
俺はもうほとんど息も出来ないような状態でそう言葉を吐いた。
あの黒剣は転生した時から使っていたものなだけでなく、魔王時代から共に戦ってきたものだ。もう武器の域を超えて、一心同体だったと言ってもいい。
そんな大切なものさえも俺の力不足のせいで自分の手元から失われようとしている
正直、慢心していたのかもしれない。魔王時代から最強と言われていた俺が転生して人間になったからと言って負けるわけがないと。
本当に心底絶望した。俺は本当にこいつに勝つことができるのだろうかと。
しかも今日のは、本当の能力ですらない。
本当の能力は、まだ見せていない。
「じゃあね」橘が歩き出した。「また来るよ」
俺は橘の背中を見ていた。
体が動かなかった。
追えなかった。
何もできなかった。
橘の背中が、夕暮れの入口の向こうに消えた。
---
空き地に、俺一人が残った。
地面に手をついたまま、空を見上げた。
夕暮れの空が、赤かった。
折れた肋骨が、呼吸のたびに痛んだ。
左腕のひびが、重力のたびに疼いた。
全身が、均等に痛んだ。
それより痛いものが——あった。
颯の骨が折れた。俺のせいだ。
切り札を使った。それでも無傷だった。
本当の能力は、まだ見せていないと言った。
覇級。
世界最上位の一人。
今の俺が戦える相手の中で、最も上の方。
俺は地面に倒れた。
仰向けになった。
空が、遠かった。
「……まあ」
俺は言おうとした。
言葉が出てこなかった。
口癖が。
初めて、出てこなかった。
空が赤かった。
どこかで颯が痛みをこらえているのかと思うと、それだけで——俺の中で、何かが冷えていった。




