第25話「周りを信じてみるとするか」
翌日の朝。
俺は少し早く登校した。
昨夜、倉石と話した内容を、誰にどこまで話すか。それを整理するためだ。
颯には話す。城島にも話す。
澪には——もう少し詳しく話す。
理由は単純だ。颯と城島は仲間として知っておくべきことがある。澪は——父親の失踪が冥焔会と繋がっている可能性がある。その俺が正体を隠したまま澪に協力を求めるのは、筋が通らない。
そう判断した。
教室に入ると、城島が先に来ていた。
珍しい。城島は時間ぴったりに来るタイプだ。
「黒瀬くん」城島が俺を見た。「昨日、倉石先生に呼ばれていましたね」
「ああ」
「どんな話でしたか」
「今日、颯も含めて話す。その時に」
城島がしばらく俺を見た。それから小さく頷いた。
「わかりました」
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颯が来たのは、ホームルームの十分前だった。
「おはよう煉! 昨日の話——」
「放課後に話す。城島も一緒に」
「えっ、今じゃないの?」
「授業中だ」
「まだ授業始まってないけど!」
「もうすぐ始まる」
颯がむくれた。澪が「神崎くん、荷物置いてください」と言った。颯が「はい」と言いながら席に着いた。
澪が俺の隣に座りながら、小さく言った。
「黒瀬くん、今日の放課後——私も呼んでもらえますか」
俺は澪を見た。
「なぜわかった」
「何か大事な話があるのは、顔を見ればわかります」澪が前を向いたまま言った。「それから——私にも、聞く権利があると思っています」
俺は少し考えた。
「来い」
澪が小さく頷いた。
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放課後、四人で屋上に集まった。
颯、城島、澪。三人が俺を見ていた。
俺は少し考えてから、話し始めた。
倉石の家系が封印の監視者だったこと。写真のこと。ノートに残っていた言葉のこと。
そして——俺が、魔王ヴァルゼイドの転生体であること。
話している間、誰も口を挟まなかった。
颯は最初から最後まで、真剣な顔で聞いていた。
城島は静かに頷きながら聞いていた。
澪は俺を見ていた。ずっと、真っ直ぐに。
全部話し終えた時、屋上に風が吹いた。
沈黙が、少しの間続いた。
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最初に口を開いたのは、颯だった。
「……煉」
「なんだ」
「お前さ」颯が頭を掻いた。「転生したらスライムだったって話、あるじゃないか。いわゆる転○スラだ」
「知らない」
「有名な話だよ! まあそれは置いといて」颯が俺を見た。「魔王が転生してたらって俺、言ったよな。前に」
「言っていた」
「その時、煉が笑ってたよな」
「……そうだったか」
「そうだった!」颯が立ち上がった。「つまり俺、ちゃんと気づいてたんじゃないか! 天才じゃないか俺!」
澪が「違います」と言った。
「え?」
「偶然です。神崎くんは偶然言い当てただけです」
「夢がない!」
「事実を言っています」
颯がしょんぼりした。
俺は少し笑った。
颯が俺を見た。
「笑った」
「ああ」
「珍しい」颯が笑い返した。それからすぐに真剣な顔に戻った。「煉、一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「お前は今——黒瀬煉として生きてるんだよな。魔王ヴァルゼイドとしてじゃなく」
「そうだ」
「これからも?」
俺は少し考えた。
「これからも」
颯がしばらく俺を見ていた。
それから、どんとベンチを叩いた。
「わかった! なら俺は変わらず相棒だ! 魔王だろうが転生体だろうが関係ない。俺の相棒は黒瀬煉だからな!」
颯らしい答えだった。
俺は何も言わなかった。だが——悪くなかった。
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城島が口を開いた。
「一つだけ確認させてください」
「なんだ」
「冥焔会の目的は、あなたを魔王の体と統合させることだと言っていましたね」城島が静かに言った。「統合すれば、黒瀬煉という人格は消える」
「ああ」
「それを、父が手伝おうとしていた」城島の目が、少し暗くなった。「父は——黒瀬くんという人間を消すことに、加担しようとしていた」
「城島」
「はい」
「お前が謝ることじゃない」俺は静かに言った。「お前は離反した。それで十分だ」
城島がしばらく俺を見ていた。
「……黒瀬くん」
「なんだ」
「約束します」城島が真っ直ぐ俺を見た。「あなたが黒瀬煉として生きる限り、私はその隣で戦います。冥焔会が何をしようとも」
颯が「俺も!」と言った。
俺は二人を見た。
「……ありがとう」
「お礼はいりません」城島が小さく笑った。「これが私の選択です」
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颯と城島が先に屋上を出た。
颯が「飯行こうぜ」と城島を引っ張っていった。城島が「急かさないでください」と言いながら歩いていった。
屋上に俺と澪が残った。
夕暮れが、空を橙色に染めていた。
澪はしばらく黙っていた。
俺も黙っていた。
やがて澪が口を開いた。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「一つだけ、聞いていいですか」
「どうぞ」
澪が俺を見た。その目が、揺れていなかった。真っ直ぐだった。
「あなたは今——怖くないんですか」
「何が」
「自分の正体を、私たちに話したことが」澪が静かに言った。「誰かに知られるということは、リスクになります。私たちの誰かが、冥焔会に情報を渡すかもしれない。誰かが口を滑らすかもしれない。それが怖くないんですか」
俺は少し考えた。
「怖くない」
「なぜですか」
「お前たちを信じているからだ」
澪がしばらく俺を見ていた。
それから、視線を空に向けた。
「……あなたは本当に」澪が静かに言った。「不思議な人ですね」
「そうか」
「数百年生きていて」澪が続けた。「封印されて、転生して、この学園に来て——それで、私たちを信じると言う」
「ああ」
「怖くないんですか。人間を信じることが」
俺は澪を見た。
澪は空を見ていた。夕暮れの光が、澪の横顔を照らしていた。
「魔王時代」俺は静かに言った。「俺には誰もいなかった」
「……誰も?」
「信じる相手がいなかった。信じる必要もなかった。だから——信じることを知らなかった」
澪が俺を見た。
「この体になってから」俺は続けた。「颯が来た。城島が来た。倉石が話してくれた。お前が——おにぎりを作ってきた」
澪の目が、わずかに揺れた。
「そういうことが積み重なって」俺は静かに言った。「信じることを、少しずつ覚えた。だから怖くない」
しばらく、沈黙があった。
風が吹いた。澪の髪が揺れた。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「私の父のことを」澪が少し声を落とした。「冥焔会が関わっているかもしれないということ——あなたはずっと知っていましたね」
「ああ」
「それでも、私に協力を求めてくれた」
「お前の力が必要だったからだ」
「……本当にそれだけですか」
俺は少し考えた。
「お前が知る権利もある、と思った」
澪がしばらく俺を見ていた。
それから、小さく頷いた。
「一緒に——父を探してください」澪の声が、かすかに震えていた。「冥焔会のことを調べながら、父の手がかりも。お願いします」
「わかった」
「約束ですよ」
「約束だ」
澪が深く息を吐いた。
それから、澪にしては珍しく、少し力が抜けたような顔をした。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃない」
澪が俺を見た。
「……それ、私の台詞です」
「知っている」
「また取らないでください」
「癖だ」
澪がため息をついた。だが今度は、笑いが混じっていた。
夕暮れの屋上に、二人分のため息が溶けた。
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屋上を出た。
階段を下りながら、澪が言った。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「一つだけ言っていいですか」
「どうぞ」
「おにぎりを覚えていてくれたこと」澪が前を向いたまま言った。「嬉しかったです」
俺は何も言えなかった。
澪がそのまま歩き続けた。
階段を下りて、廊下に出た。
颯と城島が廊下で待っていた。颯が「遅い! 飯行くぞ!」と言った。城島が「少し黙っていてください」と言った。颯が「なんで城島先輩に言われるんだ」と言った。
四人で廊下を歩いた。
俺は少し後ろを歩きながら、三人の背中を見た。
魔王時代には、なかった光景だ。
誰かの背中を、こういう気持ちで見ることは。
「まあ」
俺は小さく言った。
「なんとかなるだろ」
颯が振り返った。
「何がだ」
「独り言だ」
「また!」颯が笑った。「相変わらずだな」
「そうだ」
澪が前を向いたまま、小さく笑った気がした。
城島が「行きましょう」と言った。
四人分の足音が、廊下に響いた。




