第24話「この転生は偶然の産物なのか、倉石の家系とは」
職員室の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。
他の教員はいない。廊下も静かだ。部活動の声が遠くから聞こえるだけで、この部屋だけが切り取られたように静まり返っていた。
倉石が椅子を引いて、俺の向かいに座った。
机の上に、古びた写真が一枚置かれた。
モノクロの写真だ。かなり古い。紙が黄ばんで、端が少し破れている。
写真には、荒野のような場所が写っていた。
中央に、光の檻があった。
俺は息を止めた。
見覚えがある。
当然だ。その光の檻の中に——黒い鎧を纏った、巨大な人影があった。
「……これを、どこで」
「祖父から受け継いだ」倉石が静かに言った。「倉石家に代々伝わる写真だ。正確には、写真ではなく——最初は絵だった。それを後の世代が写真に撮った」
「絵?」
「ああ。曾祖父の代に、誰かが現場を目撃して描き残したらしい。その絵を元に、写真技術が普及した時代に撮影したものだ」
俺は写真から目を離せなかった。
これは、俺が封印された瞬間の光景だ。
数百年前の——あの日の。
「倉石先生」
「なんだ」
「お前の家系は、あの場所にいたのか」
倉石がしばらく俺を見ていた。
「……お前が『あの場所』と言えるということは」倉石の目が細くなった。「やはり、知っているんだな」
「写真を見ればわかる」
「それだけじゃない」倉石が静かに言った。「お前は今、この写真を見て動揺した。表情は変わっていないが——息が止まった。一瞬だけ」
俺は何も言わなかった。
倉石がまた写真に目を落とした。
「倉石の家系は、代々ある使命を持って生きてきた」倉石が続けた。「その使命とは——封印の監視だ」
「封印の監視」
「そうだ」倉石が写真を指で軽く押さえた。「この封印が解けないように。あるいは封印が解けた時に、誰かが対処できるように。そのために倉石家は、何代にもわたってこの写真と記録を受け継いできた」
俺は椅子の背もたれに体を預けた。
倉石の家系が、封印の監視者だった。
数百年前、俺が封印されたあの場所を、代々見守り続けていた人間たちがいた。
「記録には何と書かれていた」
「色々と」倉石が机の引き出しから、古びたノートを取り出した。「これは祖父の記録だ。その前の世代の記録を書き写したものだ。内容は——封印の状態、周囲の異変、魔王に関する伝承」
「魔王に関する伝承」
「ああ」倉石がノートを開いた。「魔王ヴァルゼイドについての記録だ。強さ、戦い方、封印の経緯。それから——封印される直前の言葉についても」
俺は倉石を見た。
「直前の言葉?」
「記録によれば」倉石がノートのある頁を指でなぞった。「魔王は封印される瞬間、何かを呟いたらしい。目撃者がそれを書き残している」
「……何と言っていた」
倉石がノートを俺に向けた。
古い文字で、こう書かれていた。
「人間だったら——もっと強くなれたのか」
俺は、その言葉を見た。
自分が封印の瞬間に呟いた言葉が、数百年後に紙の上に残っていた。
誰かが聞いていた。
誰かが書き残していた。
そしてそれが今、俺の目の前にある。
俺は何も言えなかった。
倉石が静かに言った。
「黒瀬煉」
「……なんだ」
「お前は——その問いの答えを、もう見つけたか」
---
職員室に、静寂が満ちた。
夕暮れの光が、窓から斜めに差し込んでいた。
俺はノートの文字を見ていた。
自分が数百年前に呟いた言葉が、紙の上に残っている。それを今の俺が読んでいる。
奇妙な感覚だった。
過去の自分と、今の自分が、この一行の文字を通じて繋がっている。
「倉石先生」
「なんだ」
「あんたは俺が誰か、わかっているのか」
倉石がしばらく黙っていた。
「確信はない」倉石が静かに言った。「だが——お前を初めて見た時から、違和感があった」
「違和感?」
「動き方だ」倉石が俺を見た。「お前の戦い方は、異能者のそれじゃない。かといって、現代の武術でもない。何百年も戦い続けた人間の動き方だ」
「そう見えるか」
「そう見える」倉石が続けた。「それから——あの試験の時、お前と戦った。あの圧は、現代の人間には出せない。もっと古い、もっと深いところから来る圧だった。あんな全神経が一気に握り潰されたかのような思いをさせられたのは初めてだった。」
俺は倉石を見た。
この男は、長い時間をかけて俺を観察していた。封印の監視者の家系として、魔王に関する知識を持ちながら。
「全部話す」
倉石が少し目を見開いた。
「……いいのか」
「お前には話す価値がある」俺は静かに言った。
「監視者として、真実を知る権利がある」
倉石がゆっくりと頷いた。
「聞く」
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俺は話した。
魔王として君臨していた時代のことを。勇者との戦いのことを。封印される瞬間に抱いた問いのことを。
転生したことを。黒瀬煉という体に入ったことを。黒剣が一緒についてきたことを。
この体で、人間として問いの答えを出そうとしていることを。
倉石は黙って聞いていた。
途中で口を挟まなかった。頷きもしなかった。ただ、静かに聞いていた。
俺が話し終えた時、職員室の外は完全に暗くなっていた。
夕暮れが夜に変わっていた。
長い沈黙があった。
倉石が口を開いた。
「……信じる」
「根拠は」
「根拠なんてない」倉石が静かに言った。「だがお前の話に、嘘がない。それだけだ」
「そうか」
「それから」倉石が続けた。「封印の状態が変わっていることは、俺も感知していた。ここ数年で、封印の圧が変化している。何かが起きていると思っていた」
「魔王の体が目覚めかけている」
「そうか」倉石が頷いた。「冥焔会は——それを利用しようとしているんだろうな」
「ああ。俺の転生体と魔王の体を統合させ、完全な魔王として復活させようとしている」
「お前はそれを拒んでいる」
「俺には今、やることがある」俺は静かに言った。「黒瀬煉として、この問いに答えを出す。それが終わるまで、誰にも邪魔はさせない」
倉石がしばらく俺を見ていた。
それから、小さく笑った。
「……担任冥利に尽きるな」
「何がだ」
「魔王を受け持つとは思っていなかった」倉石が立ち上がった。「一つだけ言う」
「なんだ」
「俺も監視者だ」倉石が俺を見た。「だがお前が人間として戦うなら——俺はお前の側にいる。封印が解けた時、対処する準備もある」
「……ありがとう」
「礼はいらない。これが倉石家の使命だ」
倉石が古びた写真をノートに挟んで、引き出しにしまった。
「帰れ。腕を休めろ」
「わかった」
俺は立ち上がった。
職員室のドアを開けた。
「黒瀬」
振り返った。
「その問いの答え」倉石が言った。「いつか、聞かせてもらえるか」
俺は少し考えた。
「……答えが出たら」
「それでいい」
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職員室を出た。
廊下は暗かった。夜間の照明だけが、廊下を薄く照らしていた。
俺は廊下を歩いた。
倉石の家系が、数百年にわたって封印を見守り続けていた。
田中老人の先祖が、あの戦いを目撃して記録を残していた。
城島の家系が、冥焔会と繋がりながらも離反した。
澪の父親が、冥焔会と何らかの関わりを持ったまま失踪した。
俺の転生は、偶然ではないのかもしれない。
数百年前のあの問いが、今この時代に、これだけの人間と繋がっている。
俺は学園の正門を出た。
夜空に星が出ていた。
スマホを見ると、颯からメッセージが来ていた。
「今日の倉石先生との話、どうだった? 気になって飯が三人前しか食えなかった」
俺は少し笑った。
三人前で少ない扱いなのか、颯は。
返信した。
「長い話だった。また今度話す
すぐに返ってきた。
「絶対話せよ!!! 約束だからな!!!」
澪からもメッセージが来ていた。
「帰りましたか。腕の具合はどうですか」
「動ける」
「無理しないでください」
「している」
しばらく間があった。
「……正直すぎます」
「お前が聞いた」
「そうですね」
「おやすみなさい。ちゃんと休んでください」
俺はスマホをポケットにしまった。
夜道を歩いた。
左腕に巻かれた包帯の感触があった。
澪が朝早く起きて作ったおにぎりの味が、まだどこかに残っていた。
人間として生きるということは、こういうことなのかもしれない。
誰かが見守っていて、誰かが心配して、誰かが朝早く起きておにぎりを作る。
そういう細かいことが、積み重なっていく。
魔王だった頃には、何一つなかったものだ。
「まあ」
俺は夜空を見上げた。
「なんとかなるだろ」
夜風が、左腕の包帯を揺らした。




