表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/88

第19話「この街で魔王が生まれてしまったらしい」

 月曜日の放課後だった。


 澪との約束通り、三人で街ブラをする予定だった。颯が「どこ行く?」と朝からうるさかった。澪が「神崎くん、授業中に聞かないでください」と言っていた。


 放課後、三人で学園を出た。


 颯が「飯から行こうぜ」と言った。澪が「私は甘いものが食べたいです」と言った。颯が「じゃあパフェの店知ってる!」と言った。方向が決まった。


 俺は二人の後ろを歩きながら、街の空気を感じていた。


 平和だった。


 冥焔会からの接触は、この一週間なかった。城島からも特に連絡はない。嵐の前の静けさかもしれないが、今は今で考える。


「煉、聞いてるか?」颯が振り返った。


「聞いている」


「どっちの道がいいと思う? 右が近いけど、左の方が面白い店がある」


「左でいい」


「よし、左だ!」颯が澪を振り返った。「澪ちゃんも左でいいか?」


「どちらでも」


「よし決まり!」


 三人で左の道に進んだ。


---


 商店街に入ったところだった。


 前方が騒がしかった。


 人だかりができている。中心で何かが起きているらしく、人が集まったり離れたりしていた。


 颯が「なんだ?」と首を伸ばした。


 人垣の隙間から見えたのは、十代後半くらいの少年だった。制服姿だ。どこかの中学生だろう。その少年を、三人の男が取り囲んでいた。


「財布出せって言ってるだろ」男の一人が言った。「異能者に逆らったらどうなるかわかってんだろうな」


 少年が震えながら鞄を抱えていた。


 颯が眉をひそめた。


「……またか。この街ほんとに——」


「待ってろ」


 俺は颯の前に出た。


「煉?」澪が声を上げた。


 俺は人垣をかき分けて前に出た。


---


 男三人が俺を振り返った。


「なんだ、お前」


「通りすがりだ」俺は少年を見た。「怪我はないか」


 少年が目を丸くしながら首を振った。


「よかった」俺は男たちに向き直った。「そいつを放せ」


「はあ? お前関係ないだろ。エンブレムもない無能者が——」


「そうだな」俺は男たちを眺めた。「まあ、関係ないっちゃ関係ない」


「じゃあ——」


「だが」俺は続けた。「目の前で中学生が囲まれてたら、関係なくても面倒見たくなる。人間ってそういうもんだろ」


 男たちが顔を見合わせた。


「……殴っていいぞ」


 俺はポケットに手を入れた。


「一発だけ。本気で来い」


 男たちが今度こそ固まった。


「……お前、前にも同じこと言ってたやつだろ」後ろの男が呟いた。「聞いたことある。異能も使わずに——」


「知ってるのか」俺は少し意外に思った。「話が早い」


「や、やめとけ」後ろの男が他の二人に言った。「こいつ、ヤバいやつだ。街で噂になってる——」


「噂?」


 俺は首を傾げた。


 男たちが後退り始めた。


「に、逃げろ!」


 三人が踵を返して走り去った。


 俺は走り去る三人の背中を見送った。


 人垣がざわめいた。


---


 少年が俺を見上げていた。


「あ、ありがとうございます……」少年が震える声で言った。「助けてもらって……」


「たまたまだ。怪我がないならよかった」


「あの……あなたって」少年がおずおずと聞いた。「もしかして、エンブレムないですよね」


「ない」


「無能者なのに、異能者の人たちを……」


「追い払っただけだ。手も出していない」


 少年がしばらく俺を見ていた。


「……すごい人だ」少年が呟いた。


「そんなことはない」俺は踵を返した。「気をつけて帰れ」


---


 人垣が割れた。


 その向こうに、見覚えのある顔があった。


 老人だった。


 先週、路地で男たちに囲まれていたあの老人だ。今日も同じ荷物を持って、商店街を歩いていたのだろう。


 老人が俺を見て、目を細めた。


「おお、また兄ちゃんじゃないか」老人がよぼよぼと近づいてきた。「今日もやっておったのう」


「またたまたまだ」


「たまたまが続くのは、もうたまたまとは言わんよ」老人がにこりとした。「この一週間、兄ちゃんの話があちこちで出ておる。街の人間はみんな知っとるぞ」


「……俺の話が?」


「ああ」老人が頷いた。「エンブレムもない若い男が、異能者のチンピラを素手で成敗して回っているとな。誰も顔は知らんが、噂になっておる」


 俺は少し黙った。


 颯と澪が人垣の外から俺を見ていた。颯がにやにやしていた。澪が呆れた顔をしていた。


「困ったな」


「困ることはないじゃろ」老人が笑った。「街の人間は助かっておる。ありがたいことじゃ」


「目立ちたいわけじゃない」


「知っておるよ」老人が俺を見上げた。「じゃからこそ、余計に——みんなが気になっておるんじゃ」


 老人が少し考えるように間を置いた。


「兄ちゃん、名前を聞いてもいいかの」


「黒瀬煉だ」


「黒瀬くんか」老人が頷いた。「わしは田中といいます。こう見えて、この商店街で八十年生きておる」


「八十年か。それは長い」


「長いよ」田中老人が笑った。「長く生きると、色々と見えてくるもんじゃ」


 老人がしばらく俺を見ていた。


 何かを確かめるような目だった。


「一つだけ聞いていいかの、黒瀬くん」


「どうぞ」


「怖くないかね」田中老人が静かに言った。「こうして何度も人助けをして、目立って、危ない目に遭うかもしれんのに」


「怖くはない」


「なぜじゃ」


「倒れる理由がないから」


 老人がしばらく俺を見ていた。


 それから、深く頷いた。


「……そうか」老人が小さく笑った。「そうじゃな。強い人間ってのは、そういうもんじゃ」


 老人は俺に向かって深く頭を下げた。


「ありがとうのう、黒瀬くん。またいつか」


「またたまたま会ったら」


「ほっほっ」老人が笑いながら歩き出した。「たまたまが続くのは、もうたまたまとは言わんよ」


 老人のよぼよぼとした背中が、人ごみに消えた。


---


 颯が飛んできた。


「煉! 今の見てたぞ! また無双してたじゃないか!」


「追い払っただけだ」


「十分すごい! しかも街で噂になってるって! お前、有名人じゃないか!」


「困った」


「困ることないだろ!」


 澪が颯の隣に来た。


 俺を見た。


「頬の調子は」澪が言った。


「治っている」


「そうですか」澪が小さくため息をついた。「昨日今日と、また何かありましたね」


「たまたまだ」


「……三回目のたまたまです」澪が眉を寄せた。「引き寄せているんじゃないですか」


「そうかもしれない」


「自覚があるなら——」


「やめる気はない」


 澪がしばらく俺を見ていた。


「……わかっていました」澪が諦めたように言った。「でも怪我したら言ってください。確認します」


「ああ」


颯が「二人とも相変わらずだな」と言った。澪が「神崎くんは黙っていてください」と言った。颯が「はい」と答えた。


---


 パフェの店に向かいながら、颯が俺に聞いた。


「なあ煉、街で噂になってるって言ってたけど、どんな噂なんだろうな」


「知らない」


「気にならないのか」


「ならない」


「俺は気になる!」颯が足を速めた。「ちょっと聞いてみようぜ。あのカフェの店員さん、この辺の情報詳しそうだし」


「勝手にしろ」


---


 カフェに入った。


 颯が店員に「この辺で噂の、チンピラを成敗してる人って知ってますか」と聞いた。


 店員が「ああ、魔王さんですよね!」と即座に答えた。


 三人が固まった。


「ま、魔王?」颯が聞き返した。


「そうなんです」店員が楽しそうに言った。「エンブレムなしで異能者を素手で吹っ飛ばす人がいるって話で、商店街の人たちの間でそう呼ばれてるんですよ。強すぎてまるで魔王みたいだって。田中のおじいさんが言い始めたらしくて」


 俺は固まった。


「田中のじいさんが」


「そうみたいです。田中さん、先祖の話をよくするんですよ。昔、世界に魔王と呼ばれた存在がいたって。それくらい強いって意味で、そう呼んでるみたいです」


 颯が俺を見た。


 にやにやしていた。


「魔王、だってよ」


「……黙れ」


「いやー、煉が魔王とはな! なんか笑えるな!」


「颯」


「はい」


「笑うな」


「でも——」


「笑うな」


 颯が必死に笑いをこらえていた。肩が震えていた。


 澪が口元を手で覆っていた。笑っていないが、目が笑っていた。


 俺は天井を見上げた。


 魔王。


 この街で、俺は魔王と呼ばれていた。


 理由は知らずに。


 本当の意味も知らずに。


 ただ強すぎるからという理由で。


「まずい」


 俺は小声で言った。


「何がまずいんだ」颯が笑いをこらえながら言った。


「色々と、まずい」


「ははは——いや、笑うなって言われてるから笑わないけど——」颯の肩が震えていた。「でもさ、煉が魔王って、なんか——」


「颯」


「すみません笑います!」


 颯が爆笑した。


 澪が「神崎くん」と言いながら、自分も笑っていた。


 俺は二人を見た。


 それから窓の外を見た。


 商店街の人ごみが見えた。


 あの老人が、俺に魔王という名前をつけた。先祖に魔王と呼ばれた存在がいたから。


 田中老人の先祖に。


 何か——引っかかるものがあった。


 だがそれより今は。


「笑うな」


「「無理です」」


 颯と澪の声が重なった。


---


 その日の夜。


 アパートの部屋で、俺は天井を見ていた。


 魔王。


 この街で、俺はそう呼ばれている。


 本当のことを知らずに、そう呼んでいる。


 俺は黒剣を手に取った。


「笑えない話だな」


 剣は答えない。


 だが今夜だけは、この剣も少し笑っている気がした。


 田中老人の先祖。魔王と呼ばれた存在を知っていた人間。


 それが何を意味するのか。


 俺にはまだわからない。


 だがいつか——わかる日が来るかもしれない。


「まあ、なんとかなるだろ」


 夜の部屋に、独り言が落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ