第18話「たまには平和な1日を味わってみてもいいかもな」
駅前に着いたのは、約束の五分前だった。
颯はすでにいた。
十分前には来ていたのだろう。私服姿で、コンビニのホットドッグを食べていた。
「煉! 来た来た!」颯が手を振った。「ちょうど腹減ってたんだよな」
「待っている間に食うのか」
「減ったんだからしょうがない」颯がホットドッグを一口齧った。「お前も食うか?」
「いらない」
「遠慮すんなよ」
「遠慮していない。いらない」
「そっか」颯があっさり引いた。「じゃあ行くか。どこ行きたい?」
「お前が誘った」
「そうだった」颯が考えた。「とりあえず、ゲーセン行こうぜ」
「ゲームセンター」
「お前、行ったことあるか?」
俺は少し考えた。
ない。
黒瀬煉の記憶にはあるが、魔王時代の俺には当然ない。
「ない」
「じゃあ決まりだ」颯が歩き出した。「案内してやる」
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ゲームセンターは駅から徒歩三分のところにあった。
入った瞬間、騒音と光が俺を出迎えた。
電子音、効果音、BGM。様々な音が重なり合い、店内は賑やかを通り越して騒々しかった。
颯が「懐かしい!」と言いながら奥に進んでいった。
俺はゆっくりと店内を見回した。
様々な機械が並んでいる。黒瀬煉の記憶がそれぞれの名前を教えてくれた。クレーンゲーム、音楽ゲーム、格闘ゲーム、メダルゲーム。
「煉、これやってみろ」颯が格闘ゲームの前に立っていた。「対戦しようぜ」
「格闘ゲームか」
「強そうじゃないか、お前」
「ゲームの強さと実際の強さは別だ」
「じゃあいい勝負かもしれないな!」颯がコインを投入した。「やり方教えてやる」
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格闘ゲームは、颯が勝った。
三回戦って、三回負けた。
「まじか」颯が目を丸くした。「煉が負けるの初めて見た気がする」
「ゲームは初めてだ」
「言い訳じゃないのがすごいな」颯が笑った。「もう一回やるか?」
「いい。次は別のものをやる」
俺はクレーンゲームの前に立った。
透明なケースの中に、丸いぬいぐるみが積まれていた。
「クレーンゲームか」颯が隣に来た。「得意か?」
「初めてだ」
「じゃあ教えてやる。コツはな——」
「見ればわかる」
俺はコインを入れた。
アームの動きを観察した。機械の動作パターンを把握した。景品の重さと形を見た。
一回目。アームが景品を掴んだ。落下口まで運んだ。落ちた。
「お、惜しい!」
二回目。アームが景品を掴んだ。落下口に入った。
「取れた!」颯が声を上げた。「一発じゃないけど二回で取れるのか! すごいな!」
俺は落下口からぬいぐるみを取り出した。
丸くて、白くて、目が二つついているだけの、シンプルなぬいぐるみだ。
「それどうすんの」颯が聞いた。
俺は少し考えた。
「……澪にやる」
颯がにやにやした。
「へえ」
「余計なことを言うな」
「何も言ってないぞ」
「顔が言っている」
颯がけらけら笑った。俺はぬいぐるみをポケットに押し込んだ。入らなかったので手で持った。
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昼になった。
颯が「飯どこ行く?」と聞いた。俺は「お前が決めろ」と言った。颯が「じゃあラーメン」と言った。
駅近くのラーメン屋に入った。
颯は大盛りを頼んだ。俺は普通盛りを頼んだ。
待っている間、颯が言った。
「なあ煉、聞いていいか」
「なんだ」
「お前って、楽しいか」
俺は颯を見た。
「何が」
「学園生活とか、こういう街ブラとか」颯が少し真剣な顔をした。「お前ってさ、いつも飄々としてて、何考えてるかわかんないじゃないか。本当に楽しいのか、気になって」
俺は少し考えた。
「楽しい」
「本当に?」
「本当に」俺は窓の外を見た。「昔は、こういう時間がなかった」
「昔って——病気の時か」
「まあ、そんなところだ」
颯がしばらく俺を見ていた。
「そっか」颯が頷いた。「じゃあよかった。俺も楽しいし」
「そうか」
「お前と街ブラできる日が来るとは思わなかったよ」颯が笑った。「入学初日に声かけた時、こんな仲になると思ってなかったし」
「俺もだ」
「珍しい。素直に言うじゃないか」
「本当のことだ」
颯がまた笑った。
ラーメンが来た。
颯が「うまい!」と言いながら食べ始めた。俺も食べた。
確かに、うまかった。
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午後は街を歩いた。
目的なく、気の向くままに。
本屋に入った。颯が漫画コーナーで「これ知ってるか?」と聞いてきた。俺は知らないと答えた。颯が「じゃあ貸してやる」と言って三冊買った。俺の分まで買っていた。
「いくらだ」
「いらない。友達だろ」颯があっさり言った。
俺は少し考えた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」颯が何でもなさそうに言った。「たまにはこういうのもいいだろ」
俺は本を受け取った。
友達。
その言葉が、妙に胸に残った。
魔王時代、そういう存在は一人もいなかった。
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夕方になった。
二人でベンチに座って、コンビニで買ったアイスを食べていた。
颯が空を見ながら言った。
「なあ煉」
「なんだ」
「何か抱えていることとか、心配してることとかってあるか」
俺は少し考えた。
「少しはある」
「そうか」颯が頷いた。「俺もあるよ。お前に何かあったら——って考えると、嫌だなって」
「自分のことじゃないのかよ」
そう言って煉は少し笑った。
「いざとなったらことが起きる前に対処する」
「お前ならそうするよな」颯が俺を見た。「でも一人で全部抱えるなよ。俺、役に立てないかもしれないけど——隣にいるから」
俺はアイスを一口食べた。
甘かった。
「知ってる」
「知ってるのかよ」
「だから安心して街ブラできる」
颯が目を丸くした。
それから、照れたように頭を掻いた。
「……そういうこと、さらっと言うな」
「本当のことだ」
「わかってる。わかってるけど、照れる」
俺は何も言わなかった。
颯がアイスを食べ終えて、棒を眺めた。
「当たりじゃなかった」
「そうか」
「お前は?」
俺はアイスの棒を見た。
「当たりだ」
「マジか!」颯が身を乗り出した。「何に使うんだ。引き換えに行くか?」
「いい」
「なんで! もったいない!」
「景品に興味がない」
「じゃあ俺がもらう!」
「好きにしろ」
颯が当たりの棒を受け取って、満足そうにした。俺はそれを眺めた。
こういう時間が、魔王時代にはなかった。
誰かと並んで座って、アイスを食べて、くだらない話をする。
それだけのことが——悪くない。
というより。
「颯」
「なんだ」
「今日は楽しかった」
颯が止まった。
アイスの棒を持ったまま、俺を見た。
「……お前がそれを言うとは思わなかった」
「事実だ」
「わかってる」颯がにやりとした。「俺もだ。また行こうな」
「ああ」
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帰り道、駅の前で颯と別れた。
俺は一人でアパートへの道を歩き始めた。
夜風が気持ちよかった。
ポケットの中のぬいぐるみを確認した。ちゃんとある。
明日、澪に渡すか。
いや、明日渡す理由もない。
適当なタイミングで渡せばいい。
そんなことを考えながら歩いていると、後ろから声がした。
「あの」
振り返った。
澪が立っていた。
図書館帰りらしく、大きな鞄を持っていた。眼鏡の奥の目が、少し驚いていた。
「黒瀬くん? こんなところで」
「帰り道だ。お前は」
「図書館の帰りです」澪が俺の手元を見た。「……それ」
俺の手に、白いぬいぐるみがあった。
颯と歩いている間中、ずっと手に持っていたものだ。
俺と澪は、しばらく無言だった。
「……まさか黒瀬くんにそのような趣味があったなんて、案外可愛らしいんですね」
澪がゆっくりと少し微笑みながら言った。
「いやこれは違うんだ。今日楓と遊びに行った時にたまたま取れただけなんだ」
煉は焦りながらも必死にその事実を伝えようとするが、澪は信じていない様子でこちらを微笑みながら見ている。
「じゃあ誰かにあげるんですか」
俺は少し考えた。
「お前にやる」
澪が目を瞬いた。
「……私に?」
「取った時からそのつもりだった」
澪がしばらく俺を見ていた。
それから、ゆっくりと手を伸ばした。
ぬいぐるみを受け取った。
両手で持って、眺めた。
「……白くて、丸いですね」
「ああ」
「可愛いです」澪が少し俯いた。その耳が赤かった。「……ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃない」
澪が顔を上げた。
「……それ、私の台詞です」
「そうだったか」
澪がため息をついた。だが口元が緩んでいた。
「一緒に帰りますか。同じ方向なので」
「ああ」
二人で歩き出した。
澪がぬいぐるみを鞄に入れながら言った。
「今日、颯くんと2人で遊んでいたんですね」
「ああ」
「相変わらず仲良しですね。」
「そんなこともない」
「楽しかったですか」
「、、、楽しかった」
澪が少し間を置いた。
「……よかったです」澪が静かに言った。「そういう日があるのは、いいことだと思います」
「そうだな」
「次は」澪が前を向いたまま言った。「私も誘ってください」
俺は澪を見た。
澪は前を向いていた。耳がまだ少し赤かった。
「……わかった」
「約束ですよ」
「約束だ」
夜風が吹いた。
澪の茶色の手入れの行き届いている髪が揺れた。
二人分の足音が、夜の道に続いた。
特に何もない、平和な一日だった。
こういう日が——悪くない。
というより。
魔王時代には、なかったものだ。
「まあ」
俺は夜空を見上げた。
「なんとかなるだろ」
澪が「何がですか」と聞いた。
「独り言だ」
「また独り言ですか」澪がため息をついた。「癖ですね」
「そうかもしれない」
「直してください」
「直す気はない」
「……はあ」
そのため息が、少し笑いを含んでいた。




