第16話「雑魚の扱い方」
土曜日の昼だった。
学園は休みで、俺は街に出ていた。
理由は単純だ。鞘だ。
城島戦で黒剣を酷使したせいで、鞘の内側に細かい傷が入った。放置しても問題はないが、気になる。魔王時代から共にある相棒だ。手入れは怠らない主義だ。
街の武具屋を三件回ったが、黒剣に合う鞘はなかった。特注になると言われた。仕方がないので採寸だけして帰ることにした。
颯は家族の用事があると言っていた。澪は図書館で勉強すると言っていた。城島とはまだそこまで気安くない。
つまり、久しぶりの一人の午後だ。
俺は商店街を歩いた。
人が多い。土曜の昼の商店街は、家族連れや学生で賑わっていた。魔王時代には縁のなかった光景だ。数百年前、俺が街に現れれば人々は逃げ散った。今は誰も気にしない。
それが、悪くなかった。
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事が起きたのは、商店街を抜けた先の路地だった。
近道のつもりで入った細い路地に、人だかりができていた。
見ると、三人の男が一人の老人を取り囲んでいた。
男たちは二十代前後だ。全員が異能者のエンブレムをつけている。下級から中級程度のエンブレムだ。老人は小さな荷物を抱えて、壁際に押しつけられていた。
「じじい、この辺は俺たちの縄張りだって言っただろ」リーダーらしい一人が言った。「通るなら通行料だ」
「わ、わしは何も——」
「うるさい。払えないなら荷物置いていけ」
俺は足を止めた。
路地の入口から、その光景を眺めた。
三人の背中が見える。老人の困った顔が見える。
俺は少し考えた。
関わる義理はない。
だが。
暇だった。
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「おい」
俺は声をかけた。
三人が振り返った。
リーダーが俺を見た。エンブレムのない俺を見て、鼻で笑った。
「なんだ、無能者か。邪魔すんな、関係ないだろ」
「関係ある」
「あ? どこが関係あるんだよ」
「通り道だ」俺は老人に向けて顎をしゃくった。「そこのじいさんを通してくれ。俺も通りたい」
三人がしばらく顔を見合わせた。
それから、リーダーが俺に向き直った。
「……ああそう。じゃあお前も通行料払えよ。無能者のくせに生意気なんだよ」
「払わない」
「はあ?」リーダーの顔が赤くなった。「お前、異能もないくせに何様のつもりだ。俺たちが誰だか知ってるのか」
「知らない」
「知らない?」リーダーが指を鳴らした。「教えてやるよ。俺たちはこの辺を仕切ってる異能者だ。お前みたいな無能者が逆らえる相手じゃない」
俺は少し考えた。
「一つだけ聞いていいか」
「あ? なんだよ」
「お前たち、今日の夜、予定あるか」
三人が怪訝な顔をした。
「……はあ? 急に何の話だ」
「病院の予定が入るかもしれないから、確認しておこうと思って」
静寂が、路地に満ちた。
三人が、俺の言葉の意味を理解するのに、二秒かかった。
「……こいつ、今なんて言った」「俺たちを病院に送るって言ったのか」「無能者のくせに」
リーダーの目が細くなった。
「……殺すぞ」
「物騒だな」俺は欠伸を噛み殺した。「まあ、かかってこい」
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三人が同時に動いた。
リーダーが異能を発動した。腕に炎が纏われ、燃える拳が俺に向かってくる。
俺は動かなかった。
炎の拳がが俺の眼前まで来た瞬間、俺は半歩だけ右にずれた。
拳が空を切った。
リーダーが体勢を崩した。その勢いを利用して、俺はリーダーの腕を軽く引いた。
リーダーが自分の勢いのまま、路地の壁に顔から突っ込んだ。
壁にめり込む音がした。
リーダーがずるりと崩れた。
二人目が電撃を放ってきた。
俺は電撃の軌道から体を外しながら、二人目の首根っこを片手で掴んだ。
そのまま、三人目に向けて投げた。
二人目と三人目が絡まって転倒した。
全部で、三秒だった。
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路地に静寂が満ちた。
果たしてまともに見えたものはこの中に何人いただろうか。いや見えるはずないか。
三人が地面に転がっていた。
リーダーが壁から顔を剥がして、俺を見上げた。鼻から血が出ていた。
「な……なんで……お前、異能が……」
「使っていない」
「え?」
「異能は使っていない」俺は三人を見下ろした。「素手だ」
三人が固まった。
俺は軽く伸びをした。
「お前たち、一つだけ教えてやる」
「な、なんだよ……」
俺は三人を見た。
「異能があれば強いと思っているうちは、本物の強者に会った時に死ぬぞ」俺は静かに言った。「精々、その辺の雑魚相手に縄張り争いでもしていろ。その方が、お前たちのためだ」
リーダーが歯を食いしばった。
「……雑魚、だと」
「違うのか?」俺は首を傾げた。「三人がかりで老人を囲んで通行料を取る。それを雑魚と言わずに何と言う」
誰も答えなかった。
「病院は必要なかったみたいだな」俺は踵を返した。「せいぜい、打ち身と鼻血程度で済んだ。感謝しろ」
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老人が、壁際で呆然としていた。
俺は老人の前に立った。
「怪我はないか」
「あ……ああ、わしは大丈夫じゃ……」老人がしわがれた声で言った。「ありがとうのう、兄ちゃん。助かったわい」
「たまたまだ」
「いやいや、たまたまでも助かったのは本当じゃ」老人が俺を見上げた。「兄ちゃん、強いんじゃのう。あんな連中を一瞬で……しかも異能も使わんで」
「大したことはない」
「謙遜するもんじゃないよ」老人がにこりとした。「わしの目は節穴じゃないぞ。兄ちゃんは——ただ者じゃないのう」
俺は少し考えた。
「ただの通りすがりだ」
「ほっほっ」老人が笑った。「そういうことにしておこうかの」
老人はよぼよぼと歩き出した。荷物をしっかり抱えて、路地を出ていった。
俺はその背中を見送った。
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路地に残った三人が、ぼんやりと俺を見ていた。
リーダーが震える声で言った。
「お、お前……何者だ」
「言っただろ」
「え?」
「黒瀬煉だ」俺は路地の出口に向かって歩き出した。「無能者の」
三人が何も言えないでいた。
俺は振り返らずに言った。
「次に路地で老人を囲んでいるのを見かけたら、次は病院に行く羽目になるかもしれないぞ」
路地の出口まで歩いた。
背後で、三人がまだ転がっているのがわかった。
立ち上がる気配がない。
まあ、そんなものだ。
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商店街に戻ると、颯からメッセージが来ていた。
「煉、今どこだ。俺も街に出た。飯おごってやるから来い」
俺は少し考えて返信した。
「商店街にいる。東口で待ってろ」
すぐに返ってきた。
「やった!!! 今から行く!!!」
感嘆符が多い。颯らしい。
俺はスマホをポケットにしまった。
空を見上げた。青い空が広がっていた。
土曜の昼の商店街。老人を囲むチンピラ。三秒の無双。
魔王時代には、こういう日常がなかった。
巨大な玉座に座って、世界の覇権を握って、誰もが俺を恐れて。
だが誰かに「ありがとうのう」と言われたことは、なかった。
「まあ」
俺は歩き出した。
「悪くない」
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颯と合流したのは、東口のベンチだった。
颯が俺の顔を見て言った。
「なんか、いい顔してるな」
「そうか」
「何かあったのか?」
「少し運動した」
「運動?」颯が首を傾げた。「街で?」
「ああ」
「……なんか嫌な予感がするけど、詳しく聞いていいか」
「大したことじゃない」俺は歩き出した。「飯はどこだ」
「えっ、ちょっと待て、絶対何かあったろ!」
颯が追いかけてきた。
俺は答えなかった。
空が青かった。
人ごみの中を歩きながら、俺は少し笑った。
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その夜、澪からメッセージが来た。
「今日、商店街の路地で若い男三人が並んで倒れていたという話を聞きました。心当たりはありますか」
俺はしばらく考えてから返信した。
「ない」
しばらく間があった。
「……嘘をついても顔が見えないので確認できませんが」
「また嘘をついていますね」
「次から気をつけてください。怪我はないですか」
俺は少し笑った。
返信した。
「ない」
今度はすぐに返ってきた。
「ならよかったです。おやすみなさい」
俺はスマホを置いた。
天井を見上げた。
窓の外に夜空が広がっていた。
明日、颯との約束のタイマンがある。
颯の本気を、まだ俺は見ていない。
「まあ、なんとかなるだろ」
部屋に独り言が落ちた。




