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第14話「封書と、魔王の残骸」

 ランク戦の翌日、俺は学園を休んだ。


 理由は単純だ。左腕のひびと、全身の火傷と、肋骨への衝撃。どれも致命傷ではないが、さすがにこの体も正直に悲鳴を上げていた。人間の体とはよくできたもので、無理をすればきちんと反応する。


 アパートのベッドに横になりながら、俺は天井を見ていた。


 静かだった。


 颯から朝に十七回メッセージが来ていた。全部読んだが、返信は三回にとどめた。澪からは一回だけ来ていた。


 「無理しないでください。明日、ノートを持っていきます」


 それだけだった。


 俺はその一文を、少し長く眺めた。


 それから返信した。


 「ありがとう」


 澪からすぐに返ってきた。


 「お礼を言われることじゃないです」


 俺は少し笑った。


---


 昼過ぎ、ドアのポストに何かが入る音がした。


 郵便の時間ではなかった。


 俺は起き上がり、ポストを確認した。


 封書が一通入っていた。


 宛名は「黒瀬煉」。だが差出人の名前がなかった。消印もなかった。誰かが直接ここに投函したものだ。


 俺はこのアパートに越してきてから、誰かに住所を教えた覚えがない。颯も澪も、俺の部屋の場所は知っているが住所までは知らないはずだ。


 封を開けた。


 中には、紙が一枚入っていた。


 写真だ。


 俺はその写真を見た。


 しばらく、動けなかった。


---


 写真には、洞窟のような場所が写っていた。


 岩壁に囲まれた暗い空間。中央に、光の檻がある。魔法陣が幾重にも重なった、複雑な封印の構造。


 その中に——人影があった。


 巨大だった。人と呼ぶには大きすぎる。全身を黒い鎧に包み、背中に漆黒の翼を持つ、異形の存在。


 だが俺には、わかった。


 わかってしまった。


 それは、俺だった。


 魔王ヴァルゼイドの体が、まだそこにあった。


 封印されたまま、数百年が経った今も。


 俺は写真から目を離せなかった。


 自分の体を、外側から見るのは初めてだった。


 魔王時代の体は、今の黒瀬煉の体より遥かに大きく、遥かに禍々しかった。あれが俺だったのかと、少し信じられない気持ちになった。


 写真の裏を見た。


 一行だけ、文字が書かれていた。


 *「貴方が探しているものを、我々は知っています。——冥焔会」*


---


 俺はしばらく、その文字を見ていた。


 冥焔会。


 その名前を、俺は知らなかった。


 だが向こうは、俺を知っている。


 このアパートの住所を知っている。魔王の体の場所を知っている。そして——俺が何かを「探している」ことまで知っている。


 俺は写真を机に置いた。


 窓の外を見た。昼の空が広がっていた。雲が一つ、ゆっくりと流れていく。


 探しているもの、か。


 確かに、俺には疑問がある。


 なぜ同じ世界に二つの自分が存在しているのか。魔王の体はどうなっているのか。転生はなぜ起きたのか。


 答えを探していると言えば、探していた。


 だが——それを知っている組織が、なぜ今になって俺に接触してくるのか。


 俺は封書をもう一度手に取った。


 冥焔会。


 全体構成を考えた時から、この名前は頭の片隅にあった。第二幕で動き出す黒幕。だが実態は、まだ何も知らない。


 向こうは俺の全てを知っている。俺は向こうの何も知らない。


 情報の非対称だ。


 だがそれは——俺が不利だということではない。


 知らないなら、知ればいい。


 俺は封書を机の引き出しにしまった。


 体を起こし、左腕の包帯を確認した。ひびは三日もあれば動ける程度には回復する。人間の体の回復力は、魔王時代より遥かに遅い。だがそれも、慣れてきた。


「まあ、なんとかなるだろ」


 誰もいない部屋に、独り言が落ちた。


---


 夕方、ドアをノックする音がした。


 颯だと思って開けると、澪だった。


 手に鍋を持っていた。


「……具合はどうですか」


「思ったより動ける」


「嘘をついても顔に出ませんね、あなたは」澪が俺を一瞥した。「顔色が悪いです。入っていいですか」


「どうぞ」


 澪が部屋に入った。キッチンに鍋を置いた。


「雑炊を作りました。怪我をしている時は消化のいいものがいいので」


「わざわざ来たのか」


「学園の帰りに寄っただけです」澪が鍋の蓋を開けた。湯気が上がった。「ノートも持ってきました。今日の授業の分です」


「ありがとう」


「お礼を言われることじゃないです」


 澪がキッチンで器を探し始めた。俺は澪に器の場所を教えた。


 しばらく、澪が雑炊を器によそう音だけが部屋に響いた。


「澪」


「なんですか」


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


 俺は少し考えてから言った。


「冥焔会という名前を、聞いたことがあるか」


 澪の手が、止まった。


 一瞬だけ止まって、また動き始めた。


「……どこで聞きましたか」


「今日、封書が届いた。差出人がその名前だった」


 澪がゆっくりと振り返った。その顔が、いつもより少し青かった。


「見せてもらえますか」


 俺は引き出しから封書を出した。澪に渡した。


 澪は写真を見た。文字を読んだ。


 しばらく黙っていた。


「……知っています」澪が静かに言った。「冥焔会のことを」


「どこで知った」


 澪が俺を見た。その目が、珍しく迷っていた。


 何かを言おうとして、止まっていた。


「澪」


「……父が」澪がゆっくりと言った。「冥焔会に、関わっていました」


 俺は黙って続きを待った。


「三年前に、父は失踪しました。その前に一度だけ、冥焔会という名前を聞いたことがあります。父が電話で、誰かと話していた時に」澪が封書を俺に返した。「それ以上のことは、私も知りません」


「そうか」


「……怖くないんですか」澪が俺を見た。「こんな組織に目をつけられて」


「怖くはない」


「なぜ」


「まだ何も知らないから、怖がるものがない」俺は封書を引き出しに戻した。「知ってから考える」


 澪がしばらく俺を見ていた。


 それから小さくため息をついた。


「……あなたと話していると、心配していることが馬鹿みたいに思えてくると、前にも言いましたね」


「言っていた」


「今日も同じ気持ちです」澪が器を持ってきた。「食べてください。冷めます」


「ありがとう」


「お礼を——」


「言われることじゃない、だろ」


 澪が少し目を丸くした。それから口元が緩んだ。


「……覚えているんですね」


「何度も聞いたから」


「癖なので」


「知ってる」


 澪が俺の向かいに座った。自分の分の器も持っていた。


「一緒に食べるのか」


「作った分が多かったので」澪が視線を逸らした。「捨てるのは勿体ないですから」


「そうか」


「そうです」


 二人で雑炊を食べた。


 温かかった。丁寧な味がした。玉子焼きと同じだ。澪の作るものは、いつも丁寧だ。


 しばらく二人で黙って食べた。


 窓の外で、夜が来ていた。


「澪」


「なんですか」


「お父さんのこと、いつか話してくれるか」


 澪が箸を止めた。


 少し間があった。


「……いつか」澪が静かに言った。「もう少し、整理がついたら」


「急がない」


「わかっています」澪が俯いた。「でも——」


「でも?」


「あなたが冥焔会に関わるなら」澪が俺を見た。その目が、真剣だった。「私も、関わることになると思います。父のことを調べるためにも」


 俺はしばらく澪を見た。


「危ないかもしれない」


「知っています」


「それでもか」


「それでも」澪が静かに、だがはっきりと言った。「私は無能者です。戦えない。でも頭は使えます。あなたの役に立てることが、あるかもしれません」


 俺は少し考えた。


「……わかった」


「本当ですか」


「ただし」俺は澪を見た。「危ないと判断したら、すぐに引かせる。それが条件だ」


 澪がしばらく俺を見ていた。


 それから小さく頷いた。


「……条件、呑みます」


 二人でまた黙って食べた。


 雑炊が、温かかった。


---


 澪が帰った後、俺は一人で封書の写真を眺めた。


 魔王の体が、まだある。


 数百年、封印されたまま。


 俺は今、別の体でここにいる。同じ世界に、二つの自分が存在している。


 それはなぜか。


 冥焔会は、その答えを知っているのかもしれない。


 だが——知っているからといって、教えてくれるとは限らない。


 向こうには何か目的がある。俺を利用したいから接触してきた。それだけは確かだ。


 俺は写真を引き出しにしまった。


 黒剣を手に取った。いつもの冷たくて馴染んだ感触がある。


「お前は何か知っているか」


 剣は答えない。ただ黒く光るだけだ。


 だがその光が、いつもより少しだけ強い気がした。


 俺は剣を鞘に収めた。


 左腕の包帯を確認した。三日あれば動ける。


 冥焔会が次に動くのがいつかはわからない。だがそれまでに、こちらも準備が必要だ。


 情報を集める。敵を知る。


 魔王時代から変わらない、戦いの基本だ。


「まあ、なんとかなるだろ」


 夜の部屋に、独り言が落ちた。


 窓の外に星が出ていた。


 澪が帰り際に言った言葉を、俺はもう一度思い出した。


 「あなたの役に立てることが、あるかもしれません」


 人間というのは、不思議な生き物だ。


 危ないとわかっていて、それでも来ると言う。


 魔王だった頃の俺には、そういう人間が一人もいなかった。


 今は——いる。


 それが何を意味するのか、俺にはまだよくわからない。


 だが悪くない、と思った。


 確かに、悪くない。

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