第114話「死んで」
一週間が、静かに過ぎた。
あの少女は全くと言っていいほど姿も気配も見せなかった。これが異能を使っているからなのか、それとも別の理由なのか......
体育館倉庫の扉を開けると、誰もいなかった。下駄箱に手紙はなかった。廊下を歩いても、気配のない視線を感じなかった。
まるで最初から、何もなかったかのように。
だが俺の記憶からは、消えていなかった。
名前も知らない少女のことが、頭の端に引っかかったまま一週間が過ぎた。李から聞いた情報が、頭の中に残っていた。意識を操る能力。関わった異能者が全員おかしくなった記録。あえて気づかせている可能性。
颯に話した。澪に話した。倉石に話した。全員が、話した直後に忘れた。俺だけが覚えている。
その孤独な記憶を抱えたまま、一週間が過ぎた。
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授業と訓練があったのち、東雲に廊下で会って短く言葉を交わした。ルナが俺を見かけるたびに半歩距離を詰めてきたのを見るたび澪が少し目線を外して、前を向いた。颯と里中がどこかで口論していた。城島が静かに笑っていた。
平和だった。
平和すぎるくらいに、平和だった。
その平和さが、かえって落ち着かなかった。あの少女が消えた理由も姿を消した意味もわからなかった。次に現れる時が、いつかもわからないままだ。
わからないことが、静かに積み重なっていた。
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放課後だった。
澪が俺のところに来た。
いつもと少し違う顔をしていた。情報を持ってきた時の顔だ。ノートを胸に抱えて、少し足を速めてきた。
「黒瀬くん」
「なんだ」
「今日の昼頃から、市内で大規模な爆発があったという情報が入りました。一件ではなく、複数個所で連続して」
「冥焔会か」
「それも含めて、確認が取れていません」澪がノートを開いた。「ただ——爆発の場所が、学園から歩いて十分ほどの廃工場跡です。異能者が関わっている可能性が高いです」
「行ってくる」
「私も行きます」
「ダメだ。状況がわからないし、何より危険すぎる」
「わかっています」澪が真っ直ぐ俺を見た。「それでも行きます。情報の確認が必要なので」
俺は少し考えてから一言。
「わかった。一緒に来い」
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廃工場跡は、学園から歩いて十二分の場所にあった。
近づくにつれて、焦げた匂いがしてきた。煙が、まだ薄く漂っていた。異能が使われた後の、独特の匂いが混じっていた。炎系の異能、電撃系の異能、岩石系の異能——複数の異能が同時に使われた後の気配が、空気に残っていた。
廃工場の正門が、吹き飛んでいる。
鉄製の扉が、十メートル先に落ちていた。まるで紙のように丸まっている。人の力でなるものではない、そう確信した。
「規模が大きいですね」
「そうだな」
「気配はありますか」
「一つだけ......中に、まだ何かいる」
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廃工場の中に入った。
広い空間だった。かつて何かを製造していた設備の残骸が、あちこちに転がっている。天井の一部が崩れ、床に大きな穴が開いき、壁が焼け焦げていた。
その中央に、人が倒れていた。
約十人ほどいる全員が、黒い制服を着ていた。
冥焔会の制服だ。
全員が地面に倒れ、意識があるかどうかはこの距離からはわからない状態にあった。だが動いていなかった。戦闘不能の状態だということは、見ればわかった。
その中心に、一人立っていた。
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白に近い淡い色の髪。
小さな体格。
見覚えがある。
一週間前に体育館倉庫で会った少女だ。同じ体格。同じ髪。同じ顔立ち。
だが.....
何かが、全く違った。
俺は足を止めたと同時に、隣の澪も止まった。
一週間前の少女は、眠そうな目で微笑んでいた。積み上げた用具の上に座って、足をぶらぶらさせて、当然のことを言うように言葉を重ねていた。子どものような仕草と、年齢不詳の落ち着きが同居していた。たしかにそうだったはずが......
今目の前にいる少女は、違った。
立ち方が違った。
重心を低くしており、体の軸が戦うために作られた立ち方になっていた。一週間前の、倉庫の中で用具の上に座っていたときとは、全く別の種類の重さが体から出ていた。
目が違う。
眠そうな目ではない。細い目は同じだが、その奥にある光が違った。一週間前は、観察するような静かな光があったが、今は——何もなかった。
感情も温度もない。
だが......殺気だけはあった。
体育館倉庫で感じなかった、鋭い殺気が、少女の体から静かに、しかし確実に放出されていた。倒れた冥焔会の構成員が、この殺気の中で戦って負けたことが、場に居合わせていなくてもわかった。
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少女が俺を見たとき、目が合った。
一週間前の、好奇心と独占欲に満ちた目とは違う目だった。今この瞬間の少女の目は、俺を見ているようで、俺だけを見ているようで——その奥に、別の何かが透けて見えた。
少女が口を開いた。
声は、一週間前と同じだった。
だが言葉が、全く違った。
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「ねえ、私のお兄ちゃん」
少女が静かに言った。
お兄ちゃん、という言葉だけが、一週間前と同じだった。
「死んで」
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廃工場に、沈黙が落ちた。澪が息を呑んだのが、隣で聞こえた。俺は少女を見る。少女も俺を見ている。
感情がなかった。怒りではなかった。憎しみでもなかった。ただ——当然のことのように死んで、と言った。一週間前に「お兄ちゃんになってよ」と言ったのと、同じ温度の声で。
冥焔会の構成員が、地面に横たわっており、白い髪の少女が、その中心に立っていた。
殺気が、廃工場の空気を満たしていた。
そんな状況の中少し不安は残りつつも俺は一つの言葉を静かに放った。
「まあ、なんとかなるだろ」




