第112話「可能性」
李がスマホを操作した。
「次や」李が続けた。「覇級だという話だったな」
「そうだ」
「確認したが、本当だった」
「どうやって確認した」
「異能者の組織の記録には、アルティマの一覧がある。表向きの情報じゃない、裏の記録や。その中に、最近追加されたエントリがあった。名前も情報も不明だったが、お前の言っていた特徴が一致した」
「いつ追加されたんだ」
「八ヶ月前や。八ヶ月前に、突然覇級として記録に現れた。それ以前の記録はない。どこから来たのか、どういう経緯で覇級になったのかも、記録がない」
「八ヶ月前か」
「加えて、、、」李がスマホから目を上げた。「ここからが本題や」
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李の声のトーンが、少し変わった。
情報を淡々と伝えていた声から、何かを慎重に選んでいる声に変わった。
「この少女が関わった異能者の記録を調べた。過去八ヶ月の記録や」
「どんな記録だ」
「関わった異能者が、全員——おかしくなっとる」
「おかしくなる?」
「意識を失った、と記録されているやつが複数いる。ただ失ったんじゃない。脳の働きが、根本的に変質したという記録や。医者が見ても原因不明。異能の使い過ぎとも違う。何かに意識を根本から干渉されたような症状や」
「意識に干渉する能力だと言っていた」
「そうやな」李が頷いた。「気配を消して、情報を意識から消す。それだけじゃない。意識そのものを操れる可能性がある。関わった異能者が正常でなくなっているという記録は、八ヶ月で百件以上あった」
百件以上。
八ヶ月、だ、、、、
「全員か」俺は聞いた。
「全員や。この少女と深く関わった異能者で、正常を保っているやつが一人もいない」
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路地に静寂が落ち、夕方の光が、建物の間に薄くなっていた。
「続きがある」
「言え」
「この少女の能力の本質について、一つだけわかったことがある」李がスマホを仕舞った。「気配を消す、情報を意識から消す。それは表の能力や。本質はもっと深い」
「どういうことだ」
「この少女は——相手が気づかないうちに、相手の意識の中に入り込める可能性がある。気配がないから、意識が感知しない。感知しないまま入り込んで、中から意識を操る。百件以上の症例を分析したら、そういう結論に至った」
「無意識を操る、ということか」
「そうや。気づかれずに意識の中に入る。気づかれずに操る。気づかれずに出る。そういう能力や。完全に気づかれない相手に対しては——何でもできる。止める方法がない」
「なら俺が気づけていたのは、、、」
「知っとる。それがおかしい。百件以上の症例の中で、この少女の存在に気づいた人間は一人もいなかった。気づかないまま、意識を操られた。だがお前は気づいた。それが意味することが何なのか——俺にはわからん」
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李が腕を組んだ。
路地の奥で、どこかの店の換気扇が回る音がした。夕方の街の音が、遠くに聞こえていた。
「黒瀬」李が静かに言った。
「なんだ」
「俺、長いことこの仕事をやってきた。色々な案件を扱った。危ない情報も、触れたくない情報も、いくつもあった。死戦だって何度もくぐり抜けてきた。それでも仕事を途中で投げ出したことは、ほとんどない。プロとしてのプライドがあるからや」
「そうだな」
「でも——今回は話が違う」李がサングラスを少し持ち上げた。その下の目が、俺を見た。サングラスなしの目だ。初めて見た。鋭い目だった。だが今日は、その鋭さの中に何かが混じっていた。「正直に言う。これ以上は調べたくない」
「怖気づいたのか」
「そうや」李がサングラスを戻した。「怖気づいた。俺が怖気づくのは、生まれて初めてかもしれん。でも——これはそういう案件や」
「なぜだ。情報屋が情報を恐れるのか」
「情報を恐れるんじゃない。あの少女を、恐れている」
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李が一歩、俺に近づいた。
「黒瀬、一つだけ言う。俺の感覚は、長年の仕事で磨いてきた。その感覚が言うとる」
「何を言っているんだ」
「あの少女は——俺が今まで調べてきたどんな存在より、根本的に規格外や。強い弱いじゃない。次元が違う。人間の意識という、誰も逃げられないものを操れる存在が、本気を出したら——止める方法が理屈の上では存在しない」
「俺は気づけている」
「気づけているから、余計に怖い。気づけているということは、あの少女があえてお前に気づかせている可能性もある。全力を出せば、お前にも気づかせないことができるはずや。それをしていない。なぜしていないのか——俺には、わからん」
その言葉が、頭の中に落ちた。
あえて気づかせている。
倉庫で「あなたは気づいてたでしょ、不思議」と言っていた。あれは本当に不思議だったのか。それとも——気づかせるつもりだったのか。
「黒瀬」李がもう一度言った。
「なんだ」
「お前、その少女のことを——気ぃつけろ、とか言いたいところやけど」李が一拍を置いて告げた。「そういう話じゃない。気をつけてどうにかなる相手かどうかも、わからん。ただ——一つだけ言える」
「なんだ」
「あの少女が本気を出す前に、お前が何かを掴まないといけない」李が静かに言った。「あいつが全力を出したら、誰も止められない。お前でさえ、気づいた瞬間に意識を操られる可能性がある。それが俺の分析や」
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李が路地の奥に向いた。
帰るという合図だとわかった。
「待て」
「なんや」
「最後に一つだけ聞く。あの少女が、俺に近づいている理由は何だと思う」
李がしばらく黙っていた。
路地に風が通った。
「調べたが、わからんかった。ただ——一つだけ、記録に残っていたことがある」
「なんだ」
「あの少女、過去に深く関わった人間の共通点がある。全員、何か特別なものを持っていた。力でも、知識でも、存在でも——普通じゃない何かを持っていた。あの少女は、そういうものを——研究して、自分のものにしようとする傾向がある」
「研究して、自分のものにする」
「そしてそれを——世界に示す。どういう意味かは、俺にもわからん。ただ、そういうパターンがある」
俺は少し止まった。
あの少女が倉庫で言っていた言葉が、頭に蘇った。
黒瀬煉という存在を、私が全部解析して、私の道具として世界に示す。
そのままだった。
「黒瀬」李が路地の奥で止まらずに言った。「俺はこれ以上関われない。今日渡した情報が、俺にできる全てや。後は——お前がなんとかするしかない」
「わかった」
「一つだけ、最後に言う」
「なんだ」
「あの少女に、お前が気づいていると悟られるな。もし完全に気づいていることを知られたとすると、あいつが本気を出す可能性がある。今はまだ、何かの理由でお前に全力を向けていない。その間に——手を打て」
李の背中が、路地の暗がりに消えていった。
足音が遠ざかっていき、じきに静かになった。
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俺は路地に一人で立っていた。
夕暮れの光が、路地の入口からだけ差し込んでいた。
李から聞いた情報を、頭の中で整理した。
戸籍がない。記録がない。八ヶ月前にアルティマとして出現した。関わった異能者が全員意識を操られた。無意識を操る能力の持ち主。あえて俺に気づかせている可能性がある。
そしてあの少女は、俺のことを道具にして世界に示すと言った。
お兄ちゃんになってよ、と言った。
笑っていた。
李が——長年胡散臭い仕事をしてきた情報屋が、今回はこれっきりだと言って帰っていった。
俺は路地の入口に向かって歩き出すと、街の音が少しずつ戻ってきた。
「まあ」
俺は夕暮れの空を見上げた。
「なんとかしてみようか」
昨日より確信は薄かった。
だが、それで十分だった。




