第110話「胡散臭いやつ」
翌日、颯たちに倉庫での出来事を話した。
全員が聞いていた。だが——澪が言った通りになった。
話し終えた後、颯が「で、その子は誰なんだ」と聞いた。俺が「今日話したばかりだ」と言うと、颯が「今日? 何の話だ」とおかしなことを口にした。
俺は颯を見た。
颯が俺を見た。
「煉、何か言ったか?」颯が首を傾げた。「俺、なんか聞いてた気がするけど、何も思い出せないんだが」
城島も同じだった。澪も、里中も、倉石も——全員が、話を聞いた直後に内容を忘れていた。話していた事実だけが残って、中身が完全に消えていた。
澪が唯一、自分でメモを取り続けていた。だがそのメモを見た瞬間に「これ、私が書いたんですか」と首を傾げた。書いた記憶が消えていた。
澪の言っていた通りだった。
あの少女に関する全ての情報を、誰かの意識から消す。
本当に、そういう能力だった。
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その日の放課後、俺は一人で街に出た。
あの少女のことを調べる手段を探すためだ。能力で情報が消えるなら、異能者のルートではなく、別の方法で当たる必要があった。
倉石に相談した。倉石が「封印の記録にもそれらしい記述はない。俺の伝手では限界がある」と言った。澪が「私が調べても、書いた瞬間に忘れる。この能力を突破する方法が思いつかない」と悔しそうに言葉を漏らした。颯が「調べようにも、何を調べるかを覚えていられないのか」と悔しそうに呟いた。
そうだ。
普通の方法では、どこにも辿り着けない。
だから俺は一人で街に出た。あの少女が学園に来ている以上、何らかの形で学園の外でも痕跡があるはずだ。能力で情報を消せるのは、人間の意識に対してだ。物理的な痕跡まで消せるかどうかは、まだわからない。
商店街を歩いた。田中老人の店に立ち寄った。老人に少女の特徴を話した。老人が少し考えて「そんな子、見た覚えがないな」と言った。話している途中から、老人の目が虚ろになっていた。やはり、会話の途中で忘れていっていた。
駅前を歩いた。
学園周辺の商店を一軒ずつ当たった。
どこに行っても同じだった。話している途中で、相手の目が虚ろになる。そして最初から何も聞いていなかった顔になる。
手がかりが、何もなかった。
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夕方になった。
駅から少し外れた場所を歩いていると、観光客も地元の人間もあまり通らない、細い道を見つけた。古い建物が並んでいおり、飲食店の裏口が続いていた。
そんな路地に差し掛かった時、、、、
声がかかった。
「あんちゃん」
振り返った。
路地の入口に、男が立っていた。
細身だった。背は俺より少し低い。だがその立ち方に、何か独特の余裕があった。サングラスをかけており、レンズが少し色づいていて、目元が見えなかった。ロン毛を後ろで一つにまとめていて、細いピアスが両耳に複数ついていた。首元にネックレスを光らせ、服装は黒を基調としていて、シンプルだったが素材が良さそうだった。
どこか外国の雰囲気があり、顔立ちが日本人とは少し違う。
男が俺を見て、薄く笑っていた。
「何か困ってて調べてることあるやろ」
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俺は男を見た。
気配を探った。
異能者の気配ではなかった。だが——普通の人間でもなかった。長年、普通ではない世界に関わってきた人間の、独特の気配があった。
「誰だ」
「誰でもええよ、今は」男が言った。日本語は流暢だった。だがイントネーションが、どこか外国の響きを残していた。「それより、あんちゃん。俺だったらそれ、完璧に調べてあげられるで」
「何を根拠に」
「根拠?」男がサングラスの奥で笑った気がした。「俺の仕事が情報屋だから。それだけや。もう長いことやってるからな。調べられなかったものは、今までに一つとしてない」
「今まで一個もない、か」
「そう。一個もない」男が壁にもたれた。「異能者の情報も、普通の人間の情報も、どっちもやる。表の情報も、裏の情報も、どっちもやる。そういう仕事や」
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俺は男を見た。
胡散臭い。それが正直な印象だった。路地裏で突然声をかけてきて、何でも調べられると言う。普通なら関わるべき相手ではない。
だが——今の俺には、手がなかった。
あの少女の情報を掴める手段が、今日一日で完全に尽きていた。普通のルートでは、能力で全部消される。異能者のルートでも、倉石の伝手では限界があった。
俺が口を開こうとした時だった。
「あ、待って待って」男が俺の言葉を遮った。手を軽く上げて、制するような仕草をした。「疑問とか質問とか、今はええから。俺のこと信用できるかどうか、そういう話も今はええ」
「なぜだ」
「先に条件の話をしたいから」男が言った。「こっちの話を先に聞いてもらわないと、話が進まない」
「条件?」
「そう」男がサングラスを少し持ち上げた。レンズの下から、鋭い目が一瞬だけ見えた。「等価交換や。タダでは動かない。それがこの仕事の鉄則」
「何を要求する」
「金はいらない。情報の対価に金をもらうと、足がつく。だから金は取らない主義や」
「じゃあ何だ」
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男がもたれていた壁から体を離した。
俺に一歩近づいた。サングラスの奥の目が、俺を正面から見ていた。
「あんちゃん、何か曰くつきのものを持ってたりしないか」男が言った。
「曰くつき?」
「そう」男が続けた。「価値は別にいらない。高いものじゃなくてもええ。ただ——曰くつきであることが条件や」
「曰くつきとは、どういう意味だ」
「長い歴史があるもの、強い力を帯びたもの、普通じゃない経緯で手に入れたもの。形があるものならなんでもええ。装飾品でも、武器でも、布切れ一枚でも。俺が判断する。あんちゃんが持っているものの中に、そういうものがあれば、それを対価にする。なければ、また別の話や」
「なぜ曰くつきのものが必要なんだ」
「それが俺の仕事に必要やから。理由はそれだけ。詳しくは話せへん」
俺は男を見た。
男は俺を見ていた。サングラスの奥で、静かに答えを待っていた。急かしはしないし、強制もしなかった。ただ、俺が答えるまで待つという構えで立っていた。
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俺は考えた。
曰くつきのもの。
俺が持っているものを、頭の中で確認した。
黒剣ヴァルム。数百年の歴史を持つ、光と観測を吸収する黒剣。これは手放せない。
終環。魔王時代に封印した力が宿る指輪。これも手放す選択肢はない。
他に何かあるか。
服のポケットに、昨日の手紙が入っていた。好きという文字が敷き詰められた白い紙。あれは曰くつきとは言えない。
腰の黒剣に手を当てた。
男の視線が、俺の腰の辺りに向いた。
「その剣」男が静かに言った。「かなりのもんやな。気配が違う」
「手放せない」
「わかってる」男が頷いた。「それは結構。他に何か持っていないか」
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俺は右手の薬指を見た。
終環が、黒く光っていた。
これも手放せない。
だが——俺が持っているものは、これだけではない。
魔王時代から転生した人間として、俺自身が曰くつきの存在だ。だが自分自身を対価にするわけにはいかない。
俺は少し考えた。
一つだけ、思い当たるものがあった。
入学前に、田中老人から見せてもらった文書の写しだ。老人の先祖が、魔王時代の戦いを記録したものだ。老人が俺に「もし必要なら持っていっていい」と言って、写しを一枚渡してくれていた。普通の紙に見えるが、内容は魔王時代の記録だ。
あれは——曰くつきと言えるかもしれない。
「一つだけ、心当たりがある」
「ほう」男の口の端が上がった。「なんや」
「今日は持っていない。明日また来られるか」
男がサングラスを直した。
「ここには毎日いる」男が言った。「夕方から夜にかけて、この路地にいる。来れば見つかる」
「わかった」
「ついでに、俺の名前はリ・ジェンウェイ。中国から来て、もう十年日本にいる。呼び方はなんでもええ」
「李か」
「リでもジェンでもウェイでも、あんちゃんが呼びやすいやつで」男——李が言った。「あんちゃんの名前は?」
「黒瀬煉だ」
「黒瀬か」李がサングラスの奥で笑った。「ええ名前やな。じゃあ黒瀬、また明日」
李が路地の奥に歩き出した。
細身の背中が、路地の暗がりに溶けていった。
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俺は路地の入口に立ったまま、しばらく李が消えた方向を見ていた。
今日出会った人間の中で、一番胡散臭かった。
だが——一番、手がかりになりそうだった。
能力で情報を消せる相手に対して、普通の手段では通用しない。なら普通ではない手段を使う必要がある。情報屋というのが本当なら、あの少女の情報を掴める可能性がある。
等価交換。
田中老人の文書の写しが、対価として成立するかどうかはわからない。だが試す価値はある。
俺は路地を出た。
夕暮れの街が広がっていた。
「まあ」
俺は歩き出した。
「なんとかなるだろ」
今日の口癖は、昨日より少しだけ確信があった。




