第104話「変化の刻」
その日。
魔界は、新たな王を迎えることになる。
誰に認められるでもなく。
誰に選ばれるでもなく。
ただ一人で。
奪い取る形で。
その名は――
ヴァルセイド。
かつて“最弱“と呼ばれていた彼には、「圧倒的なな力をもって支配する」才能があったのだ。
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「俺の話を聞いて、何か思ったか」俺は東雲に聞いた。
東雲がしばらく黙っていた。
「……黒瀬くんも、一人で弱くて、辛い、そんな時期があったんだなと思いました。Sランクで強くて、俺とは違うと思っていたけど——最初から強かったわけじゃないんだ、と」
「そうだ」
「でも」東雲が続けた。「黒瀬くんは、その後強くなった。俺は——」
「強くなれないかもしれない、と思っているか」
「思っています」東雲が俯いた。「体弱化の異能は、弱くなる一方だから。強くなる方向がないから」
「そうかもしれないな」
「そうかもしれない、って——それだけですか」東雲が少し顔を上げた。「俺が諦めていいって言うんですか」
「違う」
「じゃあ何が言いたいんですか」東雲の声に、また熱が混じってきた。「強くなれないかもしれないって認めて、その上で何を言うんですか。希望があるとか、可能性があるとか、そういうことを言うんですか。それも全部聞き飽きました。誰もが言う。でも具体的に何も変わらない」
俺は東雲を見た。
「俺も、あの頃——同じことを思っていた」
東雲が止まった。
「強くなる方法が見えなかった。変わる可能性が見えなかった。誰かが希望があると言っても、具体的に何も変わらなかった。だから全部、信じなかった」
「……じゃあ、どうして今こうなっているんですか」
俺は少し間を置いた。
「今考えれば全くいらないと言ってもいいが、”才能“があった。」俺は静かに言った。「たしかに、その能力は弱いかもしれない。だが、お前にも才能はあるはずだ」
「そんなものあるはずが、、、」
「例えば、、、」煉は東雲の頭に指をそっと添えて言った。「頭脳だ。誰が争いに頭を用いず勝てる。頭いいなら、それをめいいっぱい使え」
東雲が俺を見た。
「それだけで、変わるんですか」
「変わった、少なくとも俺はな」
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踊り場に風が通った。
東雲が、膝を抱えたまま、俺を見ていた。
その目が、昨日とは少し違っていた。諦めていた目が、まだ完全に変わったわけではない。だが——何かを探している目になっていた。
「黒瀬くんの話を聞いて」東雲が静かに言った。「俺のことがわかるって、最初に言った理由が——少しわかった気がします」
「そうか」
「でも——」東雲が俯いた。「俺には、話しかけてくれる人も手を差し出してくれる人もいないです。黒瀬くんには、その子がいた。でも俺には、いない」
俺は東雲を見た。
東雲が膝を抱えて、踊り場の床を見ていた。その横顔が、あの廊下の角で壁に背中をつけていた時と重なった。だが今日は、声が出ていた。話していた。走って逃げていなかった。
「俺が話しかけた」俺はそう言い放った。
東雲が顔を上げた。
「昨日、廊下の角で声をかけた。今日も、教室の前で声をかけた。それは——お前にもそういった人間いるってことじゃないのか」
東雲がしばらく俺を見ていた。
その目に、何かが揺れた。
「……なんで、俺なんかに」東雲が小声で言った。
「見てしまったからだ。あの目を見てしまった。それだけだ」
「それだけで——」
「それだけで十分だ」
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風が、もう一度踊り場を通り抜けた。
東雲が、膝から少しだけ手を離した。抱えていた膝が、わずかに下りた。
小さな変化だ。だが確かにあった。
「俺の話は、長くなった。疲れたか」
「疲れていないです。もっと、聞きたかったくらいですよ」そう言ってフッと笑った。
「そうか」
「あの——一つだけ、聞いていいですか」
「なんだ」
「黒瀬くんは、その子のことが——今でも大事ですか」東雲がおずおずと聞いた。「会えない場所にいるかもしれません、それでも」
俺は黒剣の柄に、軽く触れた。
「ずっと大事だ。会えなくても、それは変わらない」
東雲がその答えを聞いて、少しだけ表情が柔らかくなった。
「……いい話ですね」東雲が小声で言った。
「そうかもしれないな。今日がお前の、変化の刻だ。これからは自分の意思で、自分の人生に刻み続けるんだ」
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あの日以降、東雲を取り巻く空気は、少しずつ変わっていった。
最初に変わったのは、“いじめが止まったこと”だった。
あの三人は、もう東雲に近づくことはなかった。むしろ視線を合わせることすら避けるようになり、周囲の上級生たちも、どこか距離を置くようになる。
理由は単純だ。
黒瀬煉に関わるリスクを、誰もが理解したからだ。
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とはいえ、すぐに全てが元通りになるわけではなかった。
教室に戻っても、最初は視線を感じる。
ひそひそとした声も、完全には消えない。
だが――それも長くは続かなかった。
「東雲、ノート貸してくんね?」
「次の授業、ここ分かる?」
そんな、何気ない一言がきっかけだった。
特別な出来事ではない。
ただの、普通の会話。
けれど東雲にとっては、それが“戻ってきた証”だった。
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少しずつ、会話が増える。
昼休みに一緒に席を囲むことも出てくる。
帰り道に、自然と誰かと並ぶこともある。
特別扱いされることもなければ、避けられることもない。
ただのクラスメイトとして。
それが、何よりもありがたかった。
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東雲は、何度か煉に礼を言おうとした。
だがそのたびに、うまく言葉が出てこない。
結局、一度だけ。
廊下ですれ違った時に、小さく頭を下げた。
煉はそれを見て――
「気にすんな」
とだけ言って、そのまま通り過ぎた。
本当に、それだけだった。
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それでも東雲は理解していた。
あの日、自分の“日常”を取り戻してくれたのが誰なのかを。
だからこそ、もう俯かないと決めた。
少しずつでも、自分の足で立つと。
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教室の中で、東雲は笑っていた。
それは特別な笑顔ではない。
ただの――
“普通の高校生”の笑顔だった。




