89、ドレスを纏ったモブはクッキーをひたすら齧る
目が覚めた瞬間、わたしの全身の細胞がそろってボイコットを宣言していた。昨日の深夜労働の代償は、思っていたより重い。
おまけに、セシールが容赦なく部屋に突入してきて、わたしから毛布を剥ぎ取った。
彼女が持ってきたのは、ひらひらした布地がこれでもかと主張している、領主様用の正装ドレスだった。見るだけで肩が凝りそうな代物だ。
「千波様、朝でございます。本日は大事な交流会ですから、しっかりとしていただかないと困ります」
セシールは昨日、割烹着姿でバリカタの麺を湯切りしていた人物と同一の存在とは思えないほど、すました顔をしていた。その切り替えの早さは、まるで『二重人格系インフルエンサー
』みたいで、ちょっと怖い。
一方のザキさんは、朝から妙に機嫌が良かった。
白衣のポケットに怪しいノートを突っ込み、眼鏡の位置を直しながら、早く帝国の機械とやらを見たくてたまらないといった様子だ。いつも土まみれなくせに、こういうときだけインテリっぽい雰囲気を出すのが、なんだか無性に腹立たしい。
大尉は新調した制服に身を包み、わたしの後ろに直立不動で控えていた。頭のてっぺんの草が、昨日の魔素枯渇のせいで完全に枯れて茶色いカサカサの物体になっているのを除けば、とても立派な護衛に見える。
宿舎のドックを出ると、案内役の文官の人が待っていた。
その人の顔が、まるで今から死刑宣告を受ける囚人のように真っ青だった。わたしと目が合っただけで、ビクッと身体を震わせ、今にも泣き出しそうな声で挨拶をしてくる。
昨日の夜、わたしたちが地下でやらかしたことは、どうやらこの帝国の偉い人たちの間で、とんでもない大事件として処理されているらしかった。現場の兵隊さんたちは「カエダマ!」とか言って喜んでいたけれど、管理職の人間からすれば、テロリストが勝手に社内食堂に侵入して炊き出しを始めたようなものなのだろう。そう考えると、この文官の人が怯えるのも無理はない気がする。
案内された中央魔導技術院の建物は、とにかく無駄の塊だった。
大理石の柱が何本も並び、壁には金ピカの彫刻がこれでもかと彫られている。天井は気が遠くなるほど高い。だけど、中を歩いてみるとびっくりするくらい不便な構造をしていた。
見栄には金をかけるのに、エレベーターはケチるんだ、とわたしは心の中で毒づいた。
研究員らしき人たちが、分厚い書類を抱えながら、無駄に長い螺旋階段をぜいぜい言いながら上り下りしているのだ。魔法だの超科学だのと言っている割には、現代の雑居ビルにすら劣る導線の悪さだった。前世の、やたらと建て増しを繰り返して迷路のようになった古い公立高校の校舎を思い出して、少しだけ懐かしい気持ちになる。
会議室に入ると、そこには端から端まで歩くのに何歩かかるかわからないような、巨大な長いテーブルが置かれていた。
テーブルの向こう側には、帝国の偉い学者さんや、偉そうな服を着た官僚の男たちがずらりと並んで座っている。
彼らの顔を見て、わたしは少し安心した。全員、目の下にものすごい隈を作っていたからだ。きっと昨日の夜、一睡もできずに「あの使節団は何者なんだ」「あの茶色い汁の目的は」とか、朝まで会議室で頭を抱えていたに違いない。お疲れ様です、と心の中で手を合わせる。
席に着くと、冷めきったお茶が出された。
一口飲んでみたけれど、渋みが強すぎて喉が痛くなる。淹れた人の緊張がそのまま液体に溶け出しているみたいだった。もしお茶が熱すぎたら、この化け物娘が怒って街を破壊するんじゃないか、とか本気で心配しながら淹れたのかもしれない。そう思うと、不味いお茶にも少しだけ味わい深さを感じるような、感じないような。
対面に座っている白衣を着た男。どこかでみた気がするんだけど。
「ヨーゼフですよ。“ダイソン”に集っていた技術主任。ライブラ・ヨーゼフですね」
わたしが微妙な顔をしていたのをみて、察したのかセシールが小声で伝えてくれた。
「前はもっと偉そうだったのに、なんだか草臥れてるね」
「心配事が多いんじゃないですか」
あ、察し。……なんかごめん。
その草臥れたライブラ・ヨーゼフがまず口火をきった。
「ええ、それでは、我が帝国の誇る第三世代魔導機関の、魔素循環理論について説明を……」
ライブラ主任の声は、風邪のひき始めみたいにカサカサに震えていた。彼がめくる資料の手元も、気の毒になるくらい小刻みに揺れている。
彼の説明によると、帝国の機械は「太古の昔に女神様から与えられた魔導神機の魂を、新しい器に写し替えて動かしている」という、なんだかオカルト染みたものだった。
魂を写すって、それどこのオカルト映画の話だろう、とわたしは思いながら、配られたクッキーをサクサクと齧っていた。わたしがクッキーを噛み砕く小さな音が響くたびに、向こう側の官僚の人がビクッと肩を跳ね上げるのが面白くて、ついついもう一枚手を伸ばしてしまう。
帝国の説明が一段落したところで、ザキさんが何か言いたそうに身を乗り出したが、それをセシールが綺麗な笑顔で遮った。
「素晴らしいご説明、ありがとうございます」
セシールは一見、とても感心したような声を出しながら、小首を傾げた。
「ただ、一つだけよろしいでしょうか。その『魂の写し替え』とお呼びになっている儀式ですが……。聖王国の教会では、それらを『穢れた鉄の偶像』として叩き壊すように教わってまいりました」
その言葉が出た瞬間、部屋の温度が五度くらい下がったように見えた。
隣に座っている宰相のトライ・トゥトウアという眼鏡の男が、ひっと小さく息を呑んで、自身の身体を抱きしめるように身を硬くした。聖王国の元聖女から「お前たちの技術は悪魔の思想だ」と正面から非難されたと思ったのだろう。彼の眼鏡の奥の目が、完全に怯えきっている。
しかし、セシールの本領発揮はここからだった。彼女はさらに微笑みを深くして、トドメの一撃を放った。
「ですが、実際にマザーシップ……失礼、天空の女神様の制御コードと照らし合わせてみますと、それは魂の写し替えなどではなく、単なるシステムエラーのコピーですね。古い規格の制御プログラムがバグを起こして暴走しているのを、皆様が奇跡だの魂だのと呼んで、無理やり魔力を注ぎ込んで動かしているように見えます。お掃除ロボットの出力制限弁を神聖視されるのは、少々、滑稽が過ぎるのではないでしょうか」
笑顔でバッサリ。セシールの言葉は、前世の辛口な映画評論家が、大爆死した大作映画を容赦なく酷評するときのような冷徹さがあった。
脳内でも、チハたんが追い打ちをかけるように冷静な電子音声を響かせてくる。
『セシールの指摘は論理的に正しいです。発掘したデータベースにある当時の仕様書と比較したところ、帝国の最新機関とされるものは、マザーシップの廃棄ブロックに転がっているジャンク品の回路を、さらに歪に劣化させたものに過ぎません。エネルギーの変換効率が著しく低く、無駄な排熱が多すぎます。例えるなら、最新のスマートフォンを作るつもりで、一昔前の巨大な真空管ラジオを組み立てているような状態です』
チハたんの説明を聞いて、わたしは納得した。つまり、この人たちは最先端の科学技術だと思って、必死に昔のゴミを拝んでいたというわけだ。それは確かに、恥ずかしいというか、なんというか。
帝国側の学者さんたちは、もはや反論する言葉すら見つからないらしく、金魚のように口をパクパクさせていた。技術主任のライブラ主任にいたっては、ショックのあまり白目を剥きかけている。自分たちが一生を捧げてきた研究が、ただの「バグの使い回し」だと言われたのだから、その絶望感は計り知れない。
ザキさんは、そんな彼らを憐れむような、あるいは馬鹿にするような目で眺めながら、ようやく自分の出番が来たとばかりに、意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「いやはや、ここまで盛大な勘違いを国家の礎にしてしまうとは、最先端科学国家を標榜されている帝国には、逆に清々しいまでの宗教的狂気を感じますよ」
ザキさんの発言は、技術的な突っ込みというよりは、単なる嫌がらせだった。元異端審問官としての歪んだプライドが、帝国の機械信仰を貶めることで満たされているのだろう。このおじさん、本当に性格が悪い。
会議室の空気が完全に通夜のそれになってしまい、わたしがそろそろ退屈の限界を迎えて、机の木目を数え始めたそのときだった。
部屋の重々しい扉が、事前の案内もなしに、勢いよく開け放たれた。
入ってきたのは、一頭の巨大なヒグマが服を着て歩いているような、とんでもない大男だった。
立派すぎる髭を蓄え、豪華なマントを羽織っている。歩くたびに、部屋の床がわずかに震えているような錯覚すら覚える。
その男の姿を見た瞬間、向こう側の官僚や学者たちが、まるでスプリングを仕込まれた人形みたいに、勢いよく椅子から立ち上がった。全員が、これ以上ないというくらい深く頭を下げて、直立不動になる。
現れたのは、この国のトップである皇帝バイオガ・ドッテンマイヤーだった。
わたしは彼の姿を見上げながら、前世の高校時代を思い出していた。
それはまるで、修学旅行の夜、男子の部屋で大騒ぎをしていたところに、突然ドアを開けて突入してきた生活指導のヤクザみたいな先生の威圧感だった。
要するに、「ここでは自分が一番偉い」ということを全身で疑いなく信じ切っている人間の、特有の空気感だ。
皇帝は、誰にも声をかけることなく、テーブルの真ん中の席へとドカリと腰を下ろした。
彼が座るまで、部屋の中の誰も息をしていないんじゃないかと思うくらい、静まり返っていた。
皇帝の鋭い目が、真っ直ぐにわたしに向けられる。
それは、新しく入ってきた生意気な新入生を値踏みするような、意地の悪い視線に見えた。前世のわたしなら、確実に冷や汗を流しながら目を逸らし、存在感を消そうとしていただろう。だけど、今のわたしは、これまでに何百キロもある戦車を乗り回し、鎌を振り回す巨大な蜘蛛みたいな化け物と戦ってきたのだ。ただの体の大きなおじさんに睨まれたところで、大した恐怖は感じない。
わたしはクッキーを飲み込み、まっすぐに彼の目を見返してやった。ここで日和ったら、これからの交渉でいいように使われるだけだ。ヤンキーに絡まれたときは、絶対に目を逸らしちゃいけない。それが、わたしが前世の繁華街で学んだ数少ない教訓の一つだった。
しばらくの間、睨み合いのような沈黙が続いた。
やがて、皇帝の口の端が、楽しそうに歪むのが見えた。
「面を上げよ」
低く、お腹の底に響くような声だった。その一言で、凍りついていた官僚たちが一斉に席に着く。だけど、彼らの背筋は定規を入れたみたいに真っ直ぐに伸びたままで、いつでも逃げ出せるように腰を浮かせているように見えた。
「千波領の領主は、随分と若い娘なのだな。……いや、その見え透いた姿に騙される余ではないが」
皇帝の言葉に、隣の宰相トライが深く頷いている。
どうやら彼らは、わたしのこの女子高生の姿が何らかの高等な魔術による偽装で、中身は数百年を生きる冷酷な怪物だと本気で思い込んでいるらしかった。人間の勘違いというのは、一度走り出すと止まらないものらしい。
本当の中身は、テストの点数に一喜一憂していただけの普通の女子高生なのだが、それを説明しても信じてもらえないだろうから、わたしはただ、意味深な微笑みを浮かべて黙っておくことにした。
「さて。退屈な技術の砂遊びは終わりだ。余が直々にここへ足を運んだのは、他でもない」
皇帝は、テーブルに太い腕を乗せ、身を乗り出してきた。その目は、獲物を狙う猛獣のようでもあり、同時に、新しいおもちゃを前にした子供のようでもあった。
「昨夜、貴様らが我が国の地下施設で配って回ったという未知の物質……『ラー・メン』についてだ」
その言葉が出た瞬間、テーブルの向こう側の空気が、文字通りカチコチに固まった。
技術主任のライブラは、まるで心臓が止まったかのような顔をして、宰相のトライは額から流れる汗を拭うことすら忘れて硬直している。
彼らの深刻すぎる表情を見るに、きっと昨夜のラーメンを、帝国を内部から侵略するための恐るべきバイオ兵器か、あるいは精神を破壊する呪いの毒薬だと、本気で定義しているのだろう。
彼らの脳内にある、国家の存亡をかけた大真面目な恐怖と、実際にはただの「夜中に食べると美味しい豚骨スープ」という、あまりにもマヌケな真実。その二つの間にある、宇宙の果てほどもある認識のズレが、おかしくてたまらない。
わたしは笑い出しそうになるのを必死に堪えながら、喉の奥を鳴らさないように注意して、平然とした声を装った。
「……それが、何か問題でも?」
わたしの言葉を、さらなる脅迫だと受け取ったのか、官僚の一人が小さく悲鳴のような息を漏らした。
だけど、皇帝だけは違った。彼はさらに目を輝かせ、まるで国家の最高機密を暴くかのような真剣な口調で、こう言い放ったのだ。
「単刀直入に聞く。あれは、我が宮廷の専属料理長が作るどんな肉料理よりも、美味いのか?」
部屋の中の時間が、完全に停止した。
宰相のトライは、かけている眼鏡がずり落ちるのも気づかないほど目を見開き、技術主任のライブラにいたっては、ショックのあまり呼吸を忘れているように見えた。
彼らにしてみれば、皇帝が放つべき言葉は「何の目的で我が国の警備を無力化した」とか「どのような呪いをかけた」といった、厳密な政治的追及のはずだったのだ。それが、まさかの「味の感想の確認」である。
b彼らの顔には、陛下、今はそのような食い意地の張ったお話をしている場合ではございません、という絶望的な心の叫びが、ありありと浮かんでいた。
だけど、わたしには皇帝の気持ちがよくわかった。
どんなに偉い立場になろうとも、自分の知らない、しかも他国の人間が熱狂している美味い食べ物の存在を知ってしまったら、気になって夜も眠れなくなるのが人間の性というものだ。
この大柄な皇帝おじさんは、国家の危機だの防衛システムのハッキングだのという難しい話よりも、単に「自分より先に部下たちが美味いものを食った」という事実が、悔しくて仕方がなかっただけなのだ。
見た目は怖そうなラスボスだけど、中身は案外、駄菓子屋の新作スナック菓子を気にする小学生と大差ないのかもしれない。
わたしは、隣で呆れたように長いため息をついたセシールの気配を感じながら、ゆっくりと椅子に深く腰掛け直した。
大層な勘違いをして勝手に震えている大人たちを、ただの事実一つで脱力させてやるのは、いつだって子供の、というか、女子高生の特権だ。
「美味しい美味しくないは、好みもありますし……ただ、少なくとも、疲れ切った深夜の身体には、どんな高級な宮廷料理よりも体に悪くて、最高に染み渡る味だと思いますよ。うちのメイドの湯切りは、世界一ですからね」
わたしの答えを聞いた皇帝の目の奥に、明確な、そして純粋な食欲の火が灯るのを見た。
隣で宰相が必死に「陛下、騙されてはなりません、あれは精神汚染の……」と耳元で囁いているけれど、皇帝はそれを太い手でハエでも追い払うようにあしらった。
どうやら、この帝国の最高権力者は、わたしが思っていたよりもずっと単純で、美味しいご飯さえあれば簡単に仲良くなれそうないきものらしい。
わたしは冷めきった不味いお茶をもう一口飲み干しながら、これからの技術交流会という名の腹探り合いが、案外、お腹の空く展開になりそうだと、内心で密かに結論づけていた。




