85、家電製品の反乱と、究極のカスタマーサポート
ボス部屋の前に回復施設や、セーブポイントがある親切設計のRPGもあれば、転移をミスれば石の中にいたり、蘇生失敗で灰になっちゃうシビアなゲームもある。
でも、目の前の現実は、ゲームのように親切じゃないし、何より空気というものをまったく読んでくれない。
バルコニーから見下ろす広大な地下空間。高層ビルに匹敵する三十六機の黒い円筒形構造物――お母さんがこの星に仕掛けた、世界を初期化するための巨大な掃除機群へと続くスロープの入り口に、そいつは立っていた。
純白の装甲に身を包んだ、人の形をした自動人形。
顔面には目も鼻も口もなく、ただ横一文字に走るスリットの奥で、不吉な赤い発光器だけが明滅している。その手には、持ち主の身長とほぼ同じ長さの、恐ろしく分厚い金属の塊のような大剣が握られていた。
わたしがその純白の防衛人形を見て最初に抱いた感想は、「恐怖」や「絶望」といった劇的なものではなく、きわめて生活感に溢れた呆れだった。
ネジ穴ひとつ見当たらない滑らかな流線型のボディ。汚れを一切許容しないような、暴力的なまでの白さ。高性能な空気清浄機や全自動洗濯機が、ある日突然自我を持ち、人類を根絶やしにするという極端な設計思想に目覚めたら、きっとこんな姿になるに違いない。
そんな洗練されたデザインの家電製品が、身の丈ほどの大剣を地面に突き立てて行く手を阻んでいる光景は、控えめに言っても悪夢のようだった。
「セシール。あそこに立ってる高級家電みたいなやつ、もしかしてラーメンの匂いで買収できたりしないかな」
自分でも超絶に頭の悪い提案だなと思いながらも、一応聞いてみた。もしかしたらそれが正解って可能性があるかもしれないし、何より戦わずに済むならそれに越したことはない。
「残念ですが、無理だと思いますわよ。あれらを見る限り、有機的な消化器官や、味覚を処理するセンサーが搭載されているようには見えません。我が千波領が誇る至高の豚骨の香りも、彼らにとってはただの空気の不純物として処理されるだけでしょう」
セシールは屋台の取っ手を握ったまま、どこまでも冷静に現実を突きつけてきた。
人間が警備をしている場所なら、どんなに厳重なセキュリティでも、最終的には「ラーメン」という名の欲望で突破できた。人間の最大の弱点は、お腹がすくことと、美味しいものに抗えないという本能に直結した欠陥があることだ。
でも、機械にはそれがない。空腹を知らず、疲労を知らず、過酷な労働環境に対する不満も抱かない。だからこそ、完全自律型の機械の警備員というのは、この世で最も融通の利かない、対話の余地すら存在しない最悪の交渉相手なのだ。
『千波。前方に配置された防衛ユニットの構造を解析しました。旧時代環境管理プラント専用、自律型対人排除端末。メインコアに登録された名称は「ルーク・シリーズ」です』
地上に残してきたチハたんの、聞き慣れた硬質な電子音声が、わたしの脳内に直接響き渡った。
『主武装は超高周波振動ブレード。現在のあなたの貧弱な近接戦闘能力で正面から打ち合った場合、およそ〇・五秒後に、千波の身体は左右の均等な二つの肉塊に分割されると推算します』
相変わらず、チハたんの状況分析は身も蓋もないほど正確で、かつ絶望的だった。
『〇・五秒で真っ二つって、それ戦う前から終わってる宣告だよね。何か弱点とか、裏技みたいなコマンドはないの。家主の娘の権限で強制終了させるとか』
『対象は完全な独立駆動状態にあります。外部からのネットワーク接続を物理的に遮断しているため、当機からのハッキング、およびコマンドによる遠隔操作は不可能です。極めて原始的ですが、だからこそ強固なセキュリティと言えます。対抗策としては、物理的な破壊行動のみを推奨します』
要するに、電源ケーブルを引き抜くか、本体を叩き壊すしか止める方法はないらしい。
パソコンが完全にフリーズしたときに、再起動のボタンも効かなくて最終的にコンセントを引き抜いたときのあの野蛮な感覚を、わたしは自分の命を懸けて実演しなければならないわけだ。お母さんの残した負の遺産は、どこまでも私に肉体労働を強いてくる。
「領主様、ここは私にお任せいただきたい」
わたしがカマヤツさん素材の長巻を引き出そうとしたとき、横から毅然とした態度で進み出てきたのは、元帝国軍人のヴィルヘルム大尉だった。
彼の頭頂部には、ザキさんが植え付けたもやしが未だに居座っており、地下の熱気と湿度のせいで先ほどよりもさらに茎を伸ばしている。
シリアスな表情で死地に赴こうとする歴戦の勇士の頭から、スーパーで一袋数十円で売られている野菜が力強く生え誇っている光景は、わたしの感情の処理を著しく混乱させた。
「あの白い機械人形は、帝国の歴史書において『神の兵士』として記されている存在のように見受けられます。しかし、帝国の誇り高き軍人として、異世界の遺物に道を譲るわけにはいきません。私が道を切り開きます」
大尉はそう宣言すると、腰から軍刀を引き抜き、もう片方の手で帝国の標準装備である突撃銃を構えた。
「ちょっと待って大尉、チハたんの計算だと――」
私が止める間もなく、大尉は銃の引き金を引いた。
銃口から放たれた弾丸が、一直線に純白の自動人形へと吸い込まれていく。帝国が技術の粋を集めて作り上げたという徹甲弾は、分厚い鉄板すら貫通する威力を誇るはずだった。
しかし、結果は絶望的なものだった。
自動人形は、飛来する弾丸に対して身をかわすことすら避けることすらしなかった。弾丸が純白の装甲に到達する直前、人形の表面を覆うように目に見えないエネルギーの膜が展開されたのだ。
弾丸はその見えない壁に衝突した瞬間、運動エネルギーを完全に殺され、ひしゃげた金属の塊となって床に力なく転がり落ちた。純白の装甲には傷ひとつ、焦げ跡ひとつ付いていない。
「馬鹿な……。対装甲用の徹甲弾が、まるで紙屑のように……」
大尉が驚愕に目を見開いたその瞬間、これまで彫像のように静止していた自動人形が、一切の予備動作を省略して動いた。
足元の床を蹴る動作すら視認できなかった。人形は滑るようにスロープを駆け上がり、瞬きをするよりも早く大尉の目の前へと迫っていた。
大剣が頭上に振り上げられる。
防ぐ間など、あるはずがなかった。
大尉がとっさに盾にした帝国の最新鋭突撃銃は、大剣の刃が触れた瞬間に、まるで豆腐のように抵抗なく両断された。それだけじゃなく、大剣が振り下ろされた軌道上にある強固な石畳の床が、長さ三十メートルにわたって綺麗に真っ二つに叩き割られ、深い亀裂を生み出したのだ。
刃が床を削り取ったわけじゃない。圧倒的な質量と超高周波の振動が、空間そのものを切断したかのようなとんでもない破壊力だった。
スロープの手すりがまとめて吹き飛び、地下空間の照明が何本も砕け散る。
斬撃の余波だけで発生したすさまじい暴風が、大尉とその後ろにいたザキさんを、まるで枯れ葉のように後方へと吹き飛ばす。
「大尉!」
わたしは悲鳴を上げながら、空中で姿勢を崩した二人の前に滑り込み、魔素の出力を限界まで引き上げてポケットから長巻を引き抜いた。
自動人形の顔にある赤いスリットが、無機質な光を点滅させながらわたしを捉える。そこには怒りも、焦りも、殺意すらない。ただ、設定されたプログラムに従って、目の前にある次の障害物を排除するというタスクを処理しているだけだ。
人形の手首がわずかに回転し、床に食い込んでいた大剣が、今度は下から上へと跳ね上げられる。
わたしは両手で長巻の柄を握り締め、青白い光を放つ刃でその一撃を正面から受け止めた。
地下空間の空気が、爆発したかのように弾け飛んだ。
鼓膜を破壊するような金属の絶叫が空間に反響し、視界を完全に白く塗りつぶすほどの猛烈な火花が散る。
わたしの足元の石畳が耐え切れず陥没した。
膝まで床に沈み込み、腕から肩、そして背骨にかけて、身体の構造そのものが崩壊しそうなほどの凄まじい衝撃が突き抜けた。
「……っ!」
わたしは奥歯を砕けそうなほど強く噛み締め、後方へ押し込まれる足を踏ん張る。
重い。相手の剣には、私の防御を力任せに粉砕しようとする、文字通り底なしの質量が乗っていた。
魔素で構成された擬似筋肉が、限界を超えた過負荷に悲鳴を上げているのがわかる。チハたんの予言は決して大げさじゃなかった。少しでも長巻の角度を誤れば、わたしの身体は左右対称の肉塊に変えられる。
わたしは長巻の刃を滑らせ、大剣の恐ろしい圧力を強引に横へと受け流した。
金属同士が削り合う嫌な感触とともに、大剣の刃がわたしの頭のすぐ横を通り過ぎ、背後の太い柱をバターのように斜めに切断した。
崩れ落ちる瓦礫の雨を避けながら、私は身を翻し、人形の無防備な胴体に向かって長巻を薙ぎ払った。
人形は大剣を振り抜いた不自然な体勢のまま、上半身だけが百八十度回転し、空いた左手で私の長巻の刃を直接掴み止めたのだ。
青白い光を放つ長巻の刃が、人形の白い装甲を焼き焦がしながら食い込むが、それ以上は深く入らない。機械の腕力というものは、人間のそれとは根本的に出力の桁が違う。
わたしは人形の腕を蹴りつける反動を利用して、後方へと大きく跳躍した。わたしの鼻先を、再び超高周波の刃が空気を焦がしながら通り過ぎていく。
床に着地したわたしは、荒い息を吐きながら人形と対峙した。
まったく、とんでもない相手だ。力も、速度も、反応速度も、すべてにおいてわたしを上回っている。
しかも相手は機械であり疲労を知らない。その上、予想外の動きまでする。
こちらの魔素が尽きるか、集中力が切れるのを待つだけで、あいつは確実に勝利を収めることができるのだ。
でも、二度の死闘を交えたことで、わたしには気になることがあった。
あの大剣が全出力で振り回される直後、人形の純白の首の付け根あたりから、白い蒸気のようなものが、一瞬だけ勢いよく噴出しているのだ。
激しい運動による魔素の排熱なのだろうと思うけど、強固なエネルギーの膜で覆われた無機質な完璧さの中で、その瞬間だけ装甲の隙間が露わになっているように見えた。それはまるで、前世の家庭科の授業で使ったスチームアイロンのようで、殺戮兵器にしてはやけに人間臭い構造に思えた。
『チハたん……もしかして、あの首の後ろから出てる白い煙って……』
わたしが長巻の柄を握り直し、額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら脳内の相棒に問いかけると、すぐさま冷徹な回答が返ってきた。
『肯定します。先ほどから千波が観測している、首元の排熱現象についての解析が完了しました。対象の駆動システムにおける、極めて深刻な設計上のボトルネックです』
チハたんの言葉の内容は、今のわたしにとって暗闇に差し込んだ一筋の光明だった。
『対象は大剣を最大出力で駆動させた直後、内部の魔素ジェネレーターが急激に過熱します。冷却のため、空振り直後の〇・三秒間だけ、首の排熱スリットの装甲が開きます。エネルギー装甲も同時に低下します。そこが唯一の弱点です』
『〇・三秒って……人間の反射神経で正確に狙える秒数じゃないような気がするんだけど』
『当機の計算に誤差はありません。誤差が生じるとすれば、それは千波の肉体的な怠慢と、決断力の欠如が原因です。目標の破壊行動を強く推奨します』
相変わらずの、ブラック企業も真っ青の無茶ぶりである。
〇・三秒の間に、相手の巨大な剣をかわし、首の付け根というピンポイントの隙間に刀をねじ込めというのだ。失敗すれば死ぬ。文字通りの一撃必殺を、ぶっつけ本番で要求されている。
でも、わたしにはそれを拒否する選択肢など最初から用意されていなかった。お母さんの残した尻拭いをするためには、この理不尽な要求に応えるしかないのだ。
「大尉、ザキさん。もう一度だけ、あいつの気を引いて。その間に私が懐に入るから」
わたしが叫ぶと、吹き飛ばされて壁際に倒れていた二人が、ふらつく足取りで即座に立ち上がった。
「承知した。帝国の意地、とくと見よ」
「行け、私の可愛い緑の子供たちよ」
立ち上がるなり、二人はすぐに行動に移した。
大尉が半分に切断された突撃銃の残骸を力任せに人形の顔面へと投げつけ、同時にザキさんが白衣のポケットから特殊な種子をばら撒いた。種子は床の魔素を吸収して瞬時に巨大な植物のジャングルへと変貌し、人形の脚部に絡みつこうとする。
物理的な質量を伴う障害物の連続。自動人形は、それを鬱陶しいゴミを払うかのように、大剣を大きく振りかぶって薙ぎ払うモーションに入った。
その瞬間、わたしは床を蹴った。
前方から迫り来る、空間そのものを削り取るような大剣の刃。私は身を極限まで低く沈め、床を滑るようにしてその凶刃の下をくぐり抜けた。
頭上の数センチの空間を、死の風が通り過ぎていく。背中の制服が熱で焦げる嫌な臭いがしたが、そんなことを気にしている余裕はない。
人形が大剣を振り切った直後。
チハたんの予言通り、人形の首の付け根にある白い装甲板が、わずかに上にスライドした。内部から、青白い魔素の光と、恐ろしいほどの高熱が排気として吹き出してくる。
時間にして、わずか〇・三秒。
わたしにとっては、永遠にも等しい一瞬だった。
「お母さんの残業のツケは、私が払うって決めてるの!」
わたしはありったけの魔素を長巻の刃に集中させ、渾身の力を込めて、その排熱口のわずかな隙間へと刃を深々と突き刺した。
硬質な装甲を突き破り、内部の精密な機械部品を徹底的に破壊する手応えが、長巻の柄を通して私の両手に伝わってくる。
自動人形の動きが、不自然なほど完全に停止した。
顔面にある赤い発光器が、激しく明滅を繰り返し、やがて光を失う。身体から急速に力が抜けたのか、巨大な大剣が手から滑り落ちて、重々しい音を立てて石畳に突き刺さった。
続いて、本体が前傾姿勢のまま崩れ落ち、二度と動かなくなった。
わたしは長巻を引き抜き、荒い息を吐きながらその場にへたり込んだ。
全身の擬似筋肉が痙攣し、魔素の枯渇による激しい疲労感が押し寄せてくる。なんとか、勝つことができた。これでようやく、お母さんの残した最大の厄介事の中心にたどり着くことができる。
「お見事です、領主様」
大尉が、頭の上のモヤシを揺らしながら感極まった声で駆け寄ってくる。
「千波様、すぐに温かいスープを……」
セシールも屋台を押して近寄ってこようとした。
だが、私たちの安堵の時間は、ほんの十数秒しか続かなかった。
足元の床が、これまでとは比較にならないほど激しく震え始めたのだ。
バルコニーの眼下に広がる巨大な空間。そこに整然と並んでいた三十六機の黒い円筒形構造物――世界を吸い尽くす巨大な掃除機『ON-G』たちの表面を走る青白い光の線が、一斉に、そして急速に輝きを増していった。
まるで、入り口の番犬が倒されたことを引き金として、本丸のシステムが強制的に起動プロセスを開始したかのように。
「ねぇ、アレってとても動き回って掃除しそうなタイプじゃないよね」
『はい。掃除機というより集塵機ですね。おそらく環境自体の変革を目的としたものでしょう』
ロボが、掃除終わったら充電と同時にゴミを吸い取ってくれるアレみたいなものなんだろうか。
「じゃ、あの中から『ダイソン』がうじゃって出てくる感じ?」
『ダイソンを出す前に、本体に依る周辺環境の変革から始めるようです』
ああ、お掃除前に窓開けたり換気扇回したりする感じか。じゃしばらくは猶予ありそうね――と思っていたら。
『千波。極めて深刻な事態です。地下空間に存在する三十六機の環境管理プラントが、防衛ユニットの破壊をトリガーとして、一斉にセーフモードからアクティブモードへと移行を開始しました。完全起動までの猶予時間は、現在計算中ですが……極めて絶望的であると愚考します』
チハたんの冷徹な電子音声が、私の脳内に死刑宣告のように響き渡った。
わたしは、重低音を響かせながら目を覚ましつつある三十六機の巨大な鉄の塊を見下ろしながら、深く、長くため息をついた。
ゲームなら、中ボスを倒した後は必ずセーブができるはずだ。回復アイテムを補充し、装備を整え、心を落ち着かせる時間が与えられる。
しかし、現実はいつだって理不尽な連続攻撃で構成されている。ひとつのトラブルを解決すれば、さらに巨大なトラブルがドミノ倒しのように襲いかかってくるのだ。
「……セシール。悪いんだけど、ラーメン、チャーシュー大盛りで作ってくれるかな。どうやら、残業の時間はまだまだ長引きそうだから」
わたしは、重い身体を無理やり引き起こし、長巻を肩に担ぎ直した。
お母さんがこの星に残したスケールの大きすぎる大掃除を止めるための、本当の地獄は、まだ始まったばかりだった。




