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転生したら……えっ! 戦車⁈   作者: 真野真名


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84、無限階段 屋台を 連れて 進め




 そもそも人間の体って、ずっと階段を下り続けるようにはできてないと思う。

 一段下りるたびに膝カックンを我慢してるみたいで、見えないおじさんに紙やすりで軟骨をゴリゴリ削られてる気分だ。


 おまけにわたしは今、魔素で構成された擬似的な身体を使っているにもかかわらず、前世の意識を引きずっているせいで、脳の回路は律儀に「疲れた」「膝が痛い」という信号を送り続けてくる。神経を逆なでするような焦燥感。膝が笑うという表現があるが、今のわたしの膝は完全に号泣していた。


「千波様、その歩き方は非効率の極みです。魔素の供給ラインに無駄な揺らぎが生じています。……あなた、まだ前世の肉体の感覚を引きずっていませんか」


 数段先を歩くセシールが、呆れたような視線を向けてくる。


 彼女は、前世の遊園地で見かけるような立派な手押し式の屋台を、浮遊魔法の補助で浮かせて運んでいる。階段の勾配や段差など完全に無視して、まるで目に見えないスロープの上を滑らせているかのような見事な挙動だ。

 深夜のオフィス街を流すラーメン屋の主人が、真っ白な割烹着を着て地下迷宮を進んでいる光景は、どう控えめに表現しても狂気の沙汰としか言いようがなかった。


 さらに前を歩くヴィルヘルム大尉に至っては、無駄に背筋を伸ばしたまま、一切の迷いがない足取りで階段を下っている。さすがは元エリート将校だと言いたいところだが、彼の頭頂部に寄生しているあの忌まわしい野菜、通称「もやし」だけが、重力に負けて情けなく首を垂れている。あんな間の抜けた植物を頭に乗せたままで誇り高き軍人を気取られても、こちらとしてはどんな顔をしていいのか分からない。


 その時、わたしの脳の奥底に、チハたんからの呼びかけが響いた。


『千波、通信状況は良好ですか。当機は現在、帝国の情報網へのハッキングを完了しました。帝国の最新鋭を自称するセキュリティですが、構築レベルは「原始時代の積み木」と同等と評価します』


 チハたんは今、地上にある帝都のドックで待機しつつ、わたしの視覚情報や音声を共有している。


「……チハたん。待ってたよ。こっちはね、地獄の螺旋階段のせいで膝が完全に死にかけてる」


『それは千波の魔素運用効率が劣悪な証拠です。前世の肉体の概念を引きずり、すでに存在しない膝の軟骨をすり減らすなど、非効率の極みです。ただの脳のノイズですので、早急に認識を適正化することを推奨します』


 相変わらず容赦のない正論だった。だが、この冷徹で論理的な言葉の羅列に、わたしはひどく安心している自分に気がついた。


「状況はどうなの。ドックの様子は」


『現在、帝国の解析班は当機とラーメンを戦略兵器と誤認し、無意味な対抗措置を準備しています。また、神の重機の破壊をトリガーに、地下施設の防衛警戒レベルが最大まで引き上げられました。これ以上深層へ進めば、物理的な障壁との接触は避けられませ』


「わかった。チハたん、引き続き解析よろしくね」


『当機からの支援は継続します。あなたのような非論理的で無計画な領主の生存確率を少しでも引き上げることができるのは、当機のような最新鋭のシステムのみであると愚考します。……この件に関する請求は、後日まとめて提出します』


 通信が切れると、わたしは制服のポケットの中にある長巻の感触を確かめ、少しだけ背筋を伸ばした。


 帝国の技術者たちが豚骨スープの成分解析で右往左往している間に、わたしたちはこの星の心臓部へ向かう。このすれ違いこそが、わたしたちの最大の武器だ。




 地下深くへ進むにつれて、周囲の空気は次第に粘り気を帯び、肌にまとわりつくような不快な湿度が上がり始めた。

 石造りの壁には不気味な苔が張り付き、どこかのパイプから漏れ出した機械油の匂いと、帝都特有の魔素が焦げたような悪臭が混ざり合っている。

 それに加えて、最後尾を歩くザキさんが、さっきから謎の干し草の束に火をつけて振り回しているせいで、最悪の空気環境が完成していた。


「仕方あるまい。我々のこの強烈な豚骨スープの香りが敵の警戒網に引っかからないよう、私が独自に品種改良した消臭ハーブの葉を燻しているのだからな。匂いを匂いで上書きする、完璧な隠密行動というやつだ」

 

 白衣を着た農民の王は得意げに語るが、燃えた雑草と安物の線香を混ぜたような刺激臭は、鼻の粘膜を直接攻撃してくる。こんなものを嗅がされ続ければ、敵に見つかる前にこちらの嗅覚細胞が全滅するに違いない。


 普通、地下の軍事施設でこんなに怪しい煙の匂いがしたら、火事か何かのアラームが鳴るのではないか。わたしがそんなもっともな疑問を口にしようとした、まさにその直後だった。


 螺旋階段のカーブを曲がった先で、不意に視界が開けた。

 階段の途中にある踊り場のような広い空間。そこには分厚い鉄格子の扉が設置されており、壁には青白い光を放つ魔導ランプが掛けられていた。


 第一検問所だ。

 鉄格子の前には、帝国軍の制服を着た兵士が二人、長い槍を手に立っていた。


 しかし、彼らの様子は明らかにおかしい。背筋を伸ばして立ってはいるものの、その肩は力なく落ち、顔色は壁の苔よりも青白い。目の下には、遠目からでもはっきりと分かるほど濃い隈が刻み込まれていた。


 誰の目から見ても明らかなほど、彼らは疲れ切っていた。帝国の兵士というよりは、前世の深夜のコンビニで、バックヤードから出てきたばかりの死んだ目をしているアルバイト店員にそっくりだ。


「おい、何か変な匂いがしないか。焦げた草みたいな……」


 兵士の一人が、虚ろな声で言った。


「するな。地下の排気システムがまた故障したのだろう。余計な仕事が増えない事を願うよ」


 もう一人の兵士も、槍を杖代わりにしながら愚痴をこぼしている。もはや侵入者を警戒する余裕なんてゼロで、ただ「早く夜勤終わらないかな……」とだけ考えているように見えた。




 わたしたちは階段の陰に身を潜めた。

 大尉が険しい表情で、わたしとセシールに向かって手信号を送ってくる。その手つきは「私が囮になって彼らの気を引く。その隙に背後から気絶させろ」という意味に読み取れた――気がした。


 でも、セシールは短く息を吐き出すと、大尉の手信号をまるっと無視して、屋台の取っ手を強く握り直した。


「野蛮な暴力は、親善大使の品格に関わります。それに、あのように疲弊しきった哀れな労働者たちを殴り倒すなど、私の良心が咎めます。ここは予定通り、大人の外交手段を用いましょう」


 セシールは、一切の躊躇なく階段の陰から飛び出し、鉄格子の前へと屋台を滑らせた。


「こんばんは、帝国の誇り高き防人の方々。夜警の任務、本当にお疲れ様です」


 深夜の地下数百メートルの検問所に、突然、白い割烹着姿の美女が現れ、朗らかな声で挨拶をする。


 兵士たちの時間は、完全に停止した。彼らは見開かれた目でセシールと不釣り合いな屋台を交互に見比べ、口を半開きにしたまま硬直している。人間って、あまりにも場違いな光景をいきなり見せられると、頭の処理が追いつかなくてフリーズしちゃうみたいだ。


「だ、誰だ貴様ら。ここは軍の最高機密エリアだぞ。許可証を持ってい――」


 ようやく我に返った若い兵士が、震える手で槍の穂先を向けようとした。

 だが、彼の言葉は最後まで続くことはなかった。


 セシールが屋台のコンロの火力を最大まで引き上げ、寸胴鍋の重い蓋を一気に開け放ったからだ。


 暴力的なまでの香りが、閉鎖された地下空間に爆発的に広がった。


 ザキさんの怪しげなハーブの煙など、一瞬でかき消されるほどの圧倒的な熱量。何時間もかけて徹底的に煮込まれた豚骨の髄の旨味、焦がしニンニクの刺激的な匂い、そして醤油ダレの香ばしさ。

 寝不足と空腹で限界ギリギリの体に、あのこってりスープの匂いは完全にテロ行為だ。


 槍を構えていた兵士の喉が、大きく上下に動く。


 彼の相棒に至っては、槍を取り落としそうになるのを必死に堪えながら、鍋から立ち上る白い湯気から目を離すことができなくなっていた。


「私たちは、千波領から参りました文化交流の使節団です。本日は、帝国の皆様のたゆまぬ労働に敬意を表し、我が領の伝統的な滋養強壮食『夜鳴き蕎麦・極』を振る舞うために、独自のルートで慰問に参りました」


 セシールは、嘘八百の作り話を、まるで神の啓示を伝えるような慈愛に満ちた笑顔で語った。

 普通に考えれば、そんな出鱈目な言い訳が通用するはずがない。深夜に無断で侵入してきた怪しい集団など、問答無用で警報を鳴らして拘束するのが軍人の正しい対応だ。


 しかし、目の前でどんぶりに注がれる琥珀色のスープと、美しく折りたたまれた極太の麺、そしてその上に無造作に乗せられた、巨大な豚肉の塊と味付け卵という視覚的暴力の前に、彼らの軍人としての理性は音を立てて崩壊し始めていた。


「さあ、遠慮なさらずに。冷え切った身体には、脂と塩分が必要不可欠です。これを食べて、少しの間だけ目を閉じて休まれると良いでしょう」


 セシールは、完成した熱々のラーメンを二杯、鉄格子の隙間から彼らの前に差し出した。

 もう、言葉による説得など必要なかった。兵士たちは何かに取り憑かれたようにどんぶりを受け取ると、渡された箸を握りしめ、無言のまま麺を口へと運び始めた。


 彼らの顔から、警戒心や敵意は完全に消え去っていた。ただ無心で麺をすする姿は、なんだか餌をもらった大型犬みたいだった。さっきまでの偉そうな帝国兵の面影はどこにもなくて、目の前にいるのはただの『お腹をすかせた男の子たち』にしか見えない。


 彼らは涙ぐみながら麺を口に運び、スープの最後の一滴まで飲み干すと、満足そうに深い溜息をついて、壁際へ座り込んだ。強烈な炭水化物の摂取により血糖値が急上昇し、強烈な睡魔が彼らを襲っているのが分かる。


「神様……。母さんの作ってくれたシチューより美味かった……」


「使節団の皆さん……気をつけて進んでください。この先は、床が滑りやすくなっていますから……」


 彼らはもはや、完全に私たちの味方になっていた。鉄格子のロックを解除する操作盤に手を伸ばし、重い扉をあっさりと開けてくれる。


 わたしは開かれた扉を通り抜けながら、結局人間はお腹がいっぱいになったら誰でも同じなんだな、と思った。どんなにガチガチの防衛システムだって、結局見張ってるのは普通の人間なんだよね。深夜のラーメンの誘惑には、誰だって勝てやしないんだから。


「完璧な作戦です。やはり、深夜の炭水化物というものは、いかなる精神支配の魔法よりも効果的に人間の思考を鈍らせます」


 セシールは満足げに微笑みながら、再び屋台を押し始めた。




 検問所を過ぎると、螺旋階段の構造がわずかに変化した。

 階段の側面に太いパイプが何本も這うようになり、そこを通る魔素の奔流が、手すりを通じて常に微弱な振動を伝えてくるようになった。前世で友人に連れられて行った地下のライブハウスで感じた、内臓を揺さぶるような低音のスピーカーの振動。あれをさらに重く、深くしたような嫌な震えだ。


 地下一千メートルを超えたあたりから、気温が明らかに上昇し始めた。ただ暑いだけではない。空気が重く、肌を押し潰すような圧力がある。


「この振動……。まるで、巨大な生き物の胃袋の中を下っているような気分ね」


 わたしが額の汗を拭いながら呟くと、大尉が立ち止まり、深く頷いた。


「おそらく、最下層に眠る『神の重機』が発する余波でしょう。領主様。彼らはすでに、目を覚ましつつある。帝国の施設全体が、重機の起動に合わせて共鳴しているのです」


 大尉の言葉には、確かな緊張感が滲んでいた。




 わたしたちはさらに下った。


 途中で何度か、深夜の巡回をしている警備兵や、端末の配線を確認している技術者のグループと遭遇した。だが、そのすべてをセシールの屋台が解決した。


 相手が多ければチャーシューの枚数を増やし、技術者には疲労回復を謳ってニンニクを多めに入れる。帝国の人材は、よほど過酷な労働環境に置かれているらしい。彼らの誰もが、一杯のラーメンの前で疑うことを忘れ、涙を流して感謝し、そして血糖値の急上昇に耐えきれずに通路の隅で眠りに落ちていった。


 わたしたちが通り過ぎた後には、空っぽのどんぶりと、お腹いっぱいで幸せそうに爆睡する帝国兵たちの山が点々と続いていた。控えめに言って、ものすごくシュールな光景だ。




 そして、ついにその時が来た。

 果てしなく続くと思われた螺旋階段が、不意に途切れたのだ。

 最後の数段を下り終えた私たちの目の前に広がったのは、狭い通路ではなく、巨大なバルコニーのような張り出し構造だった。


 その先は、完全な吹き抜けの空間にはラーメンの匂いも、ザキさんの怪しい煙も、ここまでは届いていないらしい。


 帝国の地下三千メートル。そこは、私たちが想像していたような暗くて狭い洞窟などではなかった。

 空間の広さは、前世で見たドーム球場がいくつも収まるほど巨大だった。

 天井は見えない。壁面は滑らかな金属で覆われ、幾何学的な模様が刻まれている。


 そして、その広大な空間の底。私たちの立つバルコニーからさらに数十メートル見下ろした場所に、それは整然と並んでいた。

 円筒形をした、漆黒の巨大な構造物。

 一つ一つの大きさが、高層ビルにも匹敵する。それが、規則正しい間隔を空けて、全部で三十六機。

 表面には、血管のように青白い光の線が走り、一定のリズムで明滅を繰り返している。先ほどから感じていた振動は、この巨大な円筒群から発せられているものだった。


「……これが、お母さんの遺したデバッグの対象。世界を吸い尽くす、三十六機の掃除機……」


 わたしは、手すりを握りしめたまま、その圧倒的な光景に見入っていた。


 千波領で起動したあの一機だけでも、私たちを絶望の淵に追いやるのに十分な力を持っていた。それが、ここでは三十六機も並んで起動の時を待っている。


 到底、人間の手に負える代物には見えない。まるで神様が、失敗した世界を作り直すために配置した、巨大な消しゴムの列のようだった。


「どうやら、ラーメンによる買収工作もここまでです」


 セシールが、珍しく険しい声を出した。


 彼女の視線の先。

 バルコニーから三十六機の重機群へと続く、唯一の幅広いスロープ。

 そのスロープの入り口に、一つの影が立っていた。

 兵士ではない。作業員でもない。

 純白の装甲に身を包み、身の丈ほどの巨大な大剣を地面に突き立てて静止している、人の形をした無機質な自動人形だった。顔の部分には目も鼻もなく、ただ赤い発光器だけが不気味な光を放っている。


「侵入者を排除するための、古代の防衛システム……といったところでしょうか」


 大尉が、腰の軍刀の柄に手をかけた。

 ラーメンの匂いなど、金属の塊には通用しない。


 いよいよ、お母さんの残した理不尽な後始末の、本当の戦いが始まろうとしていた。私は短く息を吐き出し、制服のポケットの中にある長巻の感触を確かめた。膝の痛みなど、もうすっかり忘れていた。




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