80、え! まさかの元カノ少佐登場
わたしがなんだか理不尽だなと感じていたシステムの一つが、テーマパークの「優先入場券」の存在だ。
あれは、お金を余分に払った人間が、炎天下で何時間も並んでいる長蛇の列を横目に、涼しい顔で専用ゲートを通り抜けていく。
並んでいる側の人間は、優先パスで歩いていく家族連れやカップルを恨めしそうに睨んだりするけど、暴言を吐いたり暴れたりすることはない。
それが「ルール」だとわかってる以上、自分のお財布の中味を呪うしかないからだ。
でも逆に言えば、どれだけ偉い人でも、お金持ちでも、そのゲートを通るためのチケットがなければ入れない。
神聖大八洲魔導帝国の首都、アルムの正門前で繰り広げられている光景は、まさにその最悪の法則の再現だった。
チハたんが牽引する巨大な特製トレーラーの小さな覗き窓から外を見ると、そこには絶望的なまでの格差社会が広がっていた。
帝都を囲む巨大な城壁は、分厚いコンクリートと鈍色に光る装甲板で固められており、その高さはゆうにビル十階分はある。壁のいたるところから巨大な歯車が露出し、生き物のように一定の周期で回転を繰り返していた。排出される黒い蒸気が空を濁し、常に地面が低く震えている。
まるで前世の映画に出てきた悪の帝国の本拠地みたいだ。しかも変に気合いが入っていて、見ている方としては、変な感動と恥ずかしさが込み上げてくる。
その巨大な正門の下には、周辺の属国や開拓地から集まってきたと思われる難民や行商人たちが、それこそ何百メートルにもわたって列を作っていた。帝国の衛兵たちは、彼らを家畜でも検品するかのような冷酷な手つきで一人ずつ調べ、書類に少しでも不備があれば、容赦なく列の最後尾へと蹴り飛ばしている。
そんな厳格な検問所の前に、わたしたちの「移動式もやしラーメン屋台」こと偽装トレーラーが、チハたんの排気音を響かせながら堂々と割り込んだのである。
当然、周囲の衛兵たちが一斉に殺気立ち、鋭利な槍や魔導銃をこちらに向けて包囲してきた。
「止まれ。そこなる不審な大型車両、何者だ。ここは許可なき者が立ち入っていい場所ではないぞ」
拡声器を通したような、硬質で傲慢な声が響く。
わたしはトレーラーの重い扉を開け、いつでも長巻を抜けるように警戒しつつ、まずは「親善大使」としての営業用スマイルを浮かべて外へ出た。青いジャージのジッパーを律儀に上まで閉め、千波領の領主としての威厳を、前世の生徒会長の選挙演説くらいのクオリティで演じる。
「こんにちは。千波領・親善使節団の代表、千波です。今回は、先日お約束した『神の重機』の内部ギヤ特別サンプルを、帝国の技術院へ直接納品するために参りました。こちらがその証明書と、そちらの国境守備隊から預かった連絡書です」
わたしが差し出したエルサちゃん特製の(無駄に豪華な羊皮紙に書かれた)書類を、衛兵の隊長らしき男が不審そうに受け取る。
男が書類を確認し、その顔に驚愕の色が浮かんだ瞬間だった。
「待ちなさい。その書類の真偽、私が直接確認させてもらうわ」
衛兵たちの後ろから、金属の擦れ合う硬い音と共に、一人の女性軍人が歩み出てきた。
一目見て、それがただの門番じゃないことが分かった。白銀の軽装甲に身を包み、腰には細身の魔導剣を帯びている。何より、その冷徹で理知的な瞳と、完璧に切り揃えられた金髪のショートヘアが、いかにも「私は帝国のエリートです」というオーラを全身から放っていた。年齢は二十代半ばといったところだろうか。
その女性軍人がわたしたちの車両に近づいてきた瞬間、わたしの後ろから、巨大な質量の気配がゆっくりと外へ姿を現した。
ヴィルヘルム大尉だ。彼はいつになく直立不動の姿勢を保ち、その視線はまっすぐに女性軍人の顔に固定されていた。
「……ヴィルヘルム、大尉? 本当に、あなたなの?」
女性軍人の声から、先ほどまでの冷徹さが消え去った。そこに含まれていたのは、明らかな動揺と、信じられないものを見たという驚きだ。
「お久しぶりです、ブリギッテ少佐。いえ、現在は国境守備隊の連隊長代理を任されているのでしたか。ご無事で何よりです」
大尉の声は、驚くほど冷静だった。
なるほど、これはもう、どう見てもただの元上司じゃない。前世の昼ドラだったら、だいたい元カノ枠である。
「無事だったのね……。未開地の難民キャンプで捕虜になり、消息を絶ったと聞いていたけれど。怪我はないの?」
ブリギッテ少佐が一歩歩み寄り、大尉の顔を覗き込む。
「ええ。重傷を負い、動けなくなっていたところを、この千波領の者たちに保護されましてな。手厚い看病を受け、どうにか歩けるまでに回復した次第です」
大尉は顔色一つ変えずに、すらすらと用意していたカバーストーリーを口にする。
「保護された……? しかし、あなたのその姿。軍服は汚れきっているし、いろいろとボロボロのようだけれど」
ブリギッテ少佐の視線が、大尉の頭頂部に注がれる。
大尉の現在の姿は、お世辞にも帝国のエリート騎士には見えない。軍服は先ほどのもやしとの死闘のせいで植物の体液にまみれ、何より頭には緑色の湿布が貼られ、そこから不気味な白い植物が一本、帝都の魔素に反応して意思を持つかのように震えながら生えているのだ。
少なくともわたしなら絶対に近寄りたくない。怪しい宗教の信者か何かにしか見えなかった。
「その頭の緑の布と、そこから生えている植物は、一体何なの……?」
絶体絶命のピンチである。ここで大尉が「いや、これはザキさんのもやし実験の失敗でこうなりました」と正直に言えば、わたしたちはただの変質者集団として即座に監獄行きだ。
「それについては……少し、複雑な事情がありまして」
大尉は声を潜め、周囲の衛兵やわたしを一瞥した。
「ブリギッテ少佐。恐れ入りますが、軍の機密に関わる重大な報告があります。少しだけ、人払いをしていただけないでしょうか」
その真剣な眼差しに、ブリギッテ少佐は小さく息を飲み、衛兵たちに下がれと合図を送った。
そして二人は、正門の脇にある防壁の影へと、足早に姿を消していった。
残されたわたしたちは、トレーラーの入り口で、ただ無言のまま待機するしかなかった。
胃が痛くなるような長い時間が流れる。大尉は一体、あの元カノらしきエリート軍人に何を話しているのだろうか。
「領主様。もし大尉が帝国の尋問に屈し、我々を売り渡すような素振りを見せた場合は、即座に荷台の『サイレント・スプラウト』の培養液を起爆させます。全方位への無差別なもやし増殖により、この正門ごと生態系を破壊する準備はできておりますゆえ」
背後から、ザキさんが手帳を片手に、最悪のバックアッププランを耳打ちしてきた。
「絶対やめて。そんなことしたら、帝国の歴史に『もやしテロリスト』として永遠に名前が残るじゃないの。大尉を信じようよ」
わたしはザキさんの狂気を帯びた提案を即座に却下した。とはいえ、わたしの手のひらも嫌な汗でじっとりと湿っている。
やがて、防壁の影から二人が戻ってきた。
ブリギッテ少佐の顔には、先ほどの疑念は消え去り、代わりに何か悲壮な決意のようなものが宿っていた。彼女の目元が、わずかに赤く腫れているように見えるのは気のせいじゃないと思う。
「書類の確認と、ヴィルヘルム大尉の身元確認は終わったわ。千波領からの親善使節団の入国を許可します。ようこそ、帝都アルムへ。技術院までの道のりは、私が護衛として先導させてもらうわ。衛兵、門を開けなさい!」
少佐の鋭い命令により、巨大な正門の歯車が激しく回転を始め、重厚な鉄の門がゆっくりと上方へと持ち上がっていった。
わたしは安堵の息を吐き出しながら、トレーラーに戻ってきた大尉を迎えた。
「大尉、助かったよ。ところで、彼女に一体何を話したの? なんだか泣きそうな顔してたけど」
わたしが小声で尋ねると、大尉はいつもの直立不動の姿勢のまま、淡々と答えた。
「ご心配なく、領主様。事前の打ち合わせ通り、うまくごまかしてまいりました。少佐は私の言葉を全面的に信じ、我々の技術院への案内を快く引き受けてくれました」
「事前の打ち合わせ……?」
わたしは首を傾げた。そんな打ち合わせ、した記憶がない。
「ええ。私がなぜあなた方と行動を共にしているのか。軍人として、最も論理的かつ情に訴えかける完璧な説明を行いました。彼女は今、私の任務の過酷さに胸を痛めているはずです」
大尉はそう言って、誇らしげに胸を張った。
ダメだ。何も安心できない。
「最も論理的かつ完璧な説明」という大尉の主観ほど、信用ならないものはない。彼が帝国の中枢にいる元カノに、一体どんな爆弾のような嘘を吹き込んだのか。それがいつ破裂するのか分からないという「不確定要素」が、わたしの胃の粘膜をじわじわと削っていく。
しかし、問いただしている時間はない。
わたしたちの偽装トレーラーは、開かれた正門を抜け、帝都アルムの内部へとついにその車輪を踏み入れたのである。
城壁の内側の景色は、外側から見るよりもさらに退廃的で、かつ機能的だった。
道路はすべて灰色の石材で舗装され、その上を魔導蒸気で動く小型の乗合馬車や、重装甲の軍用車両が行き交っている。建物の大半は窓が小さく、排気ダクトが無数に突き出た無機質な構造で、街全体が巨大な工場の中に作られた労働者の居住区のようだった。
歩いている人たちもなんだか余裕がなく、下を向いて早足で歩く人ばかりで、街全体がピリピリして見えた。
前世の東京の、もっとも空気の悪い通勤ラッシュの地下鉄構内を、そのまま街全体に拡大したような息苦しさだ。
「じつに興味深い。帝都市民の魔素摂取量は我が領の三倍か。毎日もやしを一本食わせれば改善するな」
車内の奥で、ザキさんが窓の外を見ながら不気味な栄養分析を呟いていた。
「帝都で農業革命を起こすのはやめて」
「ふむ、しかし帝国の技術院とやらには、我が領の農業技術を大いに見せつけてやる必要がある。利権外交とは、こちらの優位性を相手の脳裏に焼き付ける作業だからな」
ザキさんの危険な野心を宥めつつ、トレーラーはブリギッテ少佐の先導によって、帝都の北側に位置する「中央魔導技術院」の広大な敷地へと滑り込んだ。
技術院は、四方を高いフェンスで囲まれた、まるで最先端の研究所と軍事基地を足して二で割ったような場所だった。案内されたのは、敷地の片隅にある頑丈な石造りのドックである。
チハたん本体と、連結された巨大なトレーラーがドックの中に格納されると、大きな鉄のシャッターが下ろされ、周囲の視線は完全に遮断された。
「皆様、長旅ご苦労様でした。ここが、皆様の滞在期間中のドック兼ゲストハウスとなります。私はこれから上層部への報告がありますので、一度失礼します。……ヴィルヘルム。後で必ず、あなたの『その件』について、二人だけで話し合いましょう」
ブリギッテ少佐は、大尉に深い同情の視線を向けた後、足早にドックを去っていった。大尉は「承知いたしました」と、完璧な敬礼で見送っている。
『その件』という単語の響きが、わたしの背筋に冷たいものを走らせた。絶対にろくでもない嘘をついているに違いない。
少佐が去り、ドックの中に静寂が戻った瞬間、セシールが割烹着のポケットから、奇妙なクリスタルを取り出した。
クリスタルは、不自然なほどの赤色に明滅している。
「千波、大尉のロマンスを心配している時間はありませんわ。早くも、帝国の『歓迎』が始まったようです」
セシールの言葉と同時に、ドックの壁や天井に設置された魔導回路のラインが、一斉に青白い光を放ち始めた。
それは、単なる照明の明かりじゃなかった。なんだか肌がピリピリする。これって絶対、ゲームでよくあるサーチライトとかトラップの類だ。チハたんやトレーラーの中身を、外から強引に覗き見しようとするスキャンか何かに違いない。
「やはりな。帝国の技術屋どもめ、親善大使の荷物を直接解体するわけにはいかないからと、魔導スキャンで車体の装甲材質や内部の機関を丸裸にするつもりのようだ」
ザキさんが冷ややかに笑う。
帝国の最先端技術による、容赦のない情報略奪。もしチハたんの「前世の戦車としての構造」や、セシールの「女神のシステム端末としての魔導構成」が解析されれば、作戦はここですべて終了だ。
「セシール、防衛できる? チハたんのシステムが汚染されたらマズいんだけど」
わたしが尋ねると、セシールはふっと鼻で笑った。彼女の瞳の奥に、かつて世界を管理していた高次元存在としての、絶対的な傲慢さが蘇る。
「千波様、わたしを誰だと思っているのですか。私は女神の正規デバッガー。このような、人間の作った原始的なハッキングシステムなど、前世の迷惑メールをゴミ箱に捨てるよりも容易いことですわ」
セシールはチハたんの装甲に片手を触れ、精神リンクを確立させた。
瞬間、ドック内に充満していた帝国のスキャン波動が、不自然なほど歪み始めた。
セシールが何をやってるのか、わたしにはチハたんの装甲に手を当ててドヤ顔をしているようにしか見えない。だけどどうやら、相手のスキャンに対して「高度なポンコツ偽装(ダミーデータ送信)」を仕掛けているらしい。
トレーラーの中身に至っては、ただの「腐りかけの豚骨スープと、異常に元気な草の根っこ」っていう、文字通りのゴミ溜め判定になってるんじゃないかな。
壁の魔導回路の光が、激しく明滅した後に、ぷつりと音を立てて完全に沈黙した。
帝国の技術院のコントロールルームで、今頃技術者たちが「なんだあの車両は、ただの動く粗大ゴミではないか!」と、頭を抱えて混乱している姿が目に浮かぶようだ。
「ファイアウォール防衛、完了です。帝国の最先端の解析班は、今頃我が領の技術力の低さに、深い同情と安堵を覚えているはずですわ」
セシールは完璧なドヤ顔で、割烹着の袖をまくってみせた。
「素晴らしいな、セシール殿。これで奴らは我が車両への警戒を解く。私たちは、帝国の監視の目が緩んだ隙を突き、地下への行軍を始めることができるというわけだ」
大尉もまた、頭のもやしを揺らしながら満足げに頷く。
こうしてわたしたちは帝都アルムの心臓部に潜り込み、最初の「情報戦」とやらをあっさりクリアしたみたいだ。
相手を油断させて実力を隠すなんて言うとかっこいいけど、要するにアレだ。前世の修学旅行において、先生たちの見回りの時間を完璧に把握し、消灯後に隠れて持ち込んだゲーム機で遊ぶための、高度な隠蔽工作の精神そのものである。
「さて、それじゃあ帝国の皆さんが安心している間に、わたしたちは夜の作戦会議と洒落込もうか」
わたしはドックの隅に置かれた簡易的なテーブルに向かい、不敵な笑みを浮かべた。
外の世界では、大尉の残した時限爆弾のような嘘や、世界崩壊のカウントダウンという重苦しい現実が動いている。しかし、この密閉されたドックの中にあるのは、勝利の味を確信したわたしたちの、泥臭くてシニカルな熱気だけだった。
お母さんの残した最悪のバグを消し去るための、本当の「デバッグ編」は、ここからが本番なのだ。




