78、【閑話】塩茹で芋の味
僕の名前はサムサ。サムサ・ミモコール。
ネピア聖王国の名門、ミモコール家の四男として生まれた。……のだけれど、今はただの「水運びのサムサ」だ。
聖都から逃げ出して、この千波領という場所にたどり着いた日のことを、僕は今でもよく覚えている。
お腹が空きすぎて、泥水で喉を潤し、足の裏は血豆が潰れて感覚がなかった。姉様のエルサは「貴族の誇りを忘れないで」といつも僕を励ましてくれたけれど、正直、誇りなんてどうでもいいくらい、とにかく温かいものが食べたかった。
そんな時に、鼻に傷のある獣人のおじさんがくれた「塩茹で芋」。
あれは、間違いなく世界で一番美味しい食べ物だった。聖都の屋敷で食べていた、ソースがたっぷりかかった肉料理なんかよりも、ずっとずっと美味しかった。あの芋の温かさと、ざらりとした塩の味が、僕の体の中に「生きたい」という強い気持ちを叩き込んでくれたんだ。
「サムサ、起きていますか? 私は今日も監査の仕事で夜まで戻りません。領主様がまた無茶な物資の要求を通してしまったせいで、帳簿の数字が狂喜乱舞しているのですわ!」
朝の光が差し込むテントの中で、姉様が凄まじい勢いで羽ペンを走らせながら叫んでいた。
姉様はこの村で「財務監査官」という立派な仕事をもらって、毎日生き生きと(たまに胃を押さえながら)働いている。昔の、いつも誰かの顔色を窺って息苦しそうにしていた姉様より、今の怒りながら数字と格闘している姉様の方が、僕は好きだ。
「うん、いってらっしゃい姉様。僕も水運びの仕事に行くよ」
僕は麻のシャツとズボンに袖を通し、元気よくテントを飛び出した。
千波領の朝は早い。
広場に出ると、すでに大勢の大人たちが忙しそうに動き回っていた。
「よォ、坊主。今日も元気だな。荷車に乗ってくか?」
「おはよう、リクーさん! ううん、歩いていくよ!」
パイプをふかしているリクーさんに手を振りながら、僕は村の井戸へと向かう。
僕の仕事は、井戸から汲み上げた水を、第一農区の畑や、炊き出しの屋台まで運ぶことだ。子供の力では大きな樽は運べないから、小さな木のバケツを両手に持って、一日に何往復もする。
貴族の子供がやる仕事じゃないって、最初の頃は姉様に泣かれたこともあった。でも、僕はこれが好きだ。体を動かせばお腹が空くし、お腹が空いた後に食べるご飯は、やっぱり最高に美味しいから。
「よいしょ、っと……」
水を入れたバケツを提げて歩いていると、村の西側の平原に、とんでもなく大きな鉄の山が横たわっているのが見えた。
数日前、突然現れて村を襲いかけた「神の重機」とかいう怪物だ。
あの時は本当に死ぬかと思ったけれど、領主様と緑色の鋼鉄の怪物(チハたん、という名前らしい)が、ものすごい音と光を出して倒してくれた。
今では、その恐ろしいはずの残骸の周りに、村の大人たちが群がっている。
ザキさんとヴィルヘルム大尉が、また何か新しいもやしの実験をしていた。
「ほら、そこもっと深く掘り下げろ!」
「はっ、ザキ殿!」
あの二人が笑っている時は、だいたい後で村にもやしが増える。僕は少しだけ急いで通り過ぎることにした。
「おお、サムサ坊! ご苦労さん!」
「あ、獣人のおじさん! 水、持ってきたよ!」
炊き出しの屋台に到着すると、僕に初めて芋をくれた獣人のおじさんが、大きな鍋をかき混ぜていた。
彼のおでこには汗が光っている。僕が持ってきた水を差し出すと、おじさんは「ありがてえ!」と豪快に笑って、ゴクゴクと一気に飲み干した。
「坊主の運んできた水は、不思議と甘くて冷てえんだよな。よし、今日は特別だ。つまみ食いさせてやろう」
おじさんは、鍋の中からホカホカに湯気を立てる丸ごとの「塩茹で芋」を一つ取り出し、僕の手に乗せてくれた。
「わあ、ありがとう!」
僕は熱い芋を両手でお手玉のように転がしながら、ふーふーと息を吹きかけてかぶりつく。
ホクホクとした芋の甘みと、絶妙な塩加減。いつ食べても、この味は僕の心を安心させてくれる。王都にいた頃、テーブルマナーがなっていないと家庭教師に何度も定規で手を叩かれたけれど、ここでは誰もそんなことは言わない。泥だらけの手で、立ち食いしても、みんな「美味いな」と笑ってくれる。
ふと視線を上げると、広場の中央で、あの緑色の怪物――チハたんの大きな砲塔の上に、領主様が足をぱたぱたさせながら座っているのが見えた。
今日も青いジャージを着て、大きなあくびをしている。
姉様は時々、領主様のことを「恐ろしい悪魔の力を隠し持った、とんでもないお方ですわ」と震えながら言っている。
確かに、一万五千人の軍隊を消し去ったり、あの巨大な鉄のクジラを止めてしまったりするのだから、すごい力を持っているのは間違いない。
でも、僕にとっては、領主様は悪魔なんかじゃない。
僕たちのような行き場のない難民を受け入れて、温かい芋やもやしラーメンをお腹いっぱい食べさせてくれる、守り神みたいな人だ。
あんなに平和そうな顔をしている人が、本当は世界の終わりのことを考えているなんて、僕は少しも知らなかった。
「サムサ、どうした? 芋が熱すぎたか?」
「ううん、なんでもないよ!」
僕は残りの芋を口に放り込み、空になったバケツを握りしめた。
「おじさん、もう一往復してくるね! お昼ご飯、楽しみにしてる!」
「おう! 今日は帝国と教会からふんだくった最高級の小麦粉で作った、特製もやしラーメンだからな! 腹空かせてこいよ!」
最高級の小麦粉のもやしラーメン。
その響きだけで、僕は足取りが羽のように軽くなるのを感じた。
世界が終わりに向かっているとか、巨大な古代兵器があと何十機も眠っているとか、そんな難しいことは十歳の僕には分からない。
でも、もしも本当にこの日常が壊れそうになったら、その時は僕も、この小さなバケツで精一杯の水を運んで、領主様や姉様たちの助けになりたいと思う。
泥だらけで、汗だくで、でも最高に美味しいご飯が待っている。
もう一往復。僕はカラのバケツを持って、井戸に向かって走った。




