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転生したら……えっ! 戦車⁈   作者: 真野真名


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77、明日から本気出す!




 前世の高校生活において、わたしがもっとも大人という生き物の汚さを学んだのは、夏休みの終盤に行われた数学の赤点補習の最終日だった。

 炎天下の教室で、汗をダラダラと流しながら因数分解のプリントをすべて解き終え、ようやくこれでわたしの夏休みが本当の意味で始まるのだと、誰もが晴れやかな笑顔で荷物をまとめていた。その瞬間、教壇の上の担任が、実にもったいぶった仕草で出席簿を叩いたのだ。


「おめでとう、全員合格だ。というわけで、明日からはステップアップ編の第二期補習を始めるから、遅刻しないようにな」


 あの瞬間に教室を満たした、人間の魂が物理的に摩耗していくような、あの底なしの絶望感。大人はいつも、最悪の知らせを小出しにする。



 そして現在、お母さんの残した超巨大お掃除ロボットを文字通り力技で機能停止させ、さらに大国相手の泥んこ外交で奇跡的な勝利を収めたはずのわたしも、まさにあの日の赤点教室と同じ絶望の淵に立たされていた。


 一機倒したら、後ろのベンチにあと三十六機控えている。

 この星のシステムは、どうやら高校の夏期講習よりも容赦がないらしい。




 翌朝。

 村の入口を見た瞬間、わたしは思わず目をこすった。なんだか荷馬車が、やたらと増えていた。


 聖王国の白い天幕があった方角からは、これでもかとばかりに荷馬車の列が連なり、車輪の軋む音を響かせながら村へと侵入してくる。荷台に山積みにされているのは、約束通りの最高級小麦粉の袋だ。袋の表面には聖王国の国章である女神の顔が刺繍されているのだけれど、よく見るとその目元が前世のお母さんの意地の悪そうな笑顔にそっくりで、見ているだけで胃のあたりがチクチクと痛み出す。


「領主様、見てくださいな! この小麦粉の純白、まるで我が公爵家の敷布のようですわ! これだけの量があれば、我が領のラーメン供給ラインは半年間、完全に無敵ですわ!」


 財務監査官のエルサちゃんが、羽ペンの先端を小刻みに動かしながら、狂喜乱舞の面持ちで帳簿に数字を叩き込んでいた。彼女の背後では、行政アシスタントのエルドくんが、届いた物資の領収書を一枚一枚確認しながら、やはりいつものように胃のあたりを押さえて青い顔をしている。


「エルサちゃん、落ち着いて。まだ帝国の分の物資も届くんだから、そんなに最初から興奮してたら息が切れるよ」


「興奮せずにはいられませんわ! 見てください、あちらからは帝国の物資搬送車がやってきますわ!」


 エルサちゃんが指差した先、今度は神聖大八洲魔導帝国の無骨な蒸気機関車のような車両が、黒い煙を吐き出しながら荒れ地を突き進んできていた。

 車両が停止すると、中から出てきた帝国の作業員たちが、ドラム缶のような金属製の容器を次々と地面に降ろしていく。中身は、チハたんのために要求した最高級の魔導潤滑油だ。


 行商人のガメッチとリクーさんは、そのドラム缶の周りを取り囲み、まるで密輸品を品定めする犯罪組織の幹部のような顔で、中身の匂いを嗅いだり、そろばんを弾いたりしていた。


「素晴らしい。この粘度、震えるほどの魔素含有量、間違いなく帝国のエリート騎士団が使う特級品ですなァ。これを市場に流せば、それだけで周辺の小都市が一つ買えますぞ、リクー殿」


「へっ、流すんじゃねえよガメッチ。これはお嬢の相棒のための命綱だ。だが、この容器の金属、こいつを上手く加工すれば、難民たちの新しい調理器具の材料に化けるな。帝国は本当に、いいゴミを運んできてくれるじゃねえか」


 二人の悪徳商人は、どう見ても碌でもない顔で笑っていた。たぶん今、頭の中は金勘定でいっぱいなんだと思う。




 村全体が、思いがけない豊作と臨時ボーナスに沸き返っている。昨日までは巨大重機の襲来に怯えていた難民たちも、今では「ダイソン様様だな」などと、神の遺産に勝手に尊称をつけて拝む始末だ。ほんと、現金なものよね。

 この人たち、本当に順応が早い。昨日まで巨大掃除機に追い回されてたはずなのに。


 わたしは、チハたんの砲塔の上に座り、膝を抱えながらそのお祭り騒ぎを眺めていた。


 みんながこんなに喜んでいる中で、「実はあと三十六機、あのダイソンより大きいのがあるらしいよ」なんて、ぶっちゃけ口が裂けても言えない。今それを言ったら、エルドくんの胃壁は確実に消滅するし、エルサちゃんの羽ペンは怒りで真っ二つに折れるだろう。


「千波様。あまり思い詰めるのは、精神衛生上よろしくありませんわよ」


 ハッチからひょっこりと顔を出したセシールが、手にした小さな皿をわたしに差し出してきた。


 皿の上には、ザキさんが早速新着の小麦粉を使って試作したという、もやし入りの固焼きパンが乗っている。一口齧ってみると、香ばしい小麦の香りの奥から、主張の激しすぎるもやしの水分がじわりと染み出してきて、なんとも言えない複雑な味が口いっぱいに広がった。美味しいかと言われれば微妙だけれど、生命力だけは無駄に補給される感じがする。


「セシール……。あんたはよく、そんなに平気な顔をしていられるよね。三十六機だよ? あの百二十メートルの鉄のクジラが、集団で押し寄せてくるんだよ? 想像しただけで、わたし、自分の魔素ボディがストレスで霧散しそうなんだけど」


「平気なわけがありませんわ」


 セシールは、パンの上の焦げたもやしを器用に指先でつまみながら、冷たい論理の乗った声で言った。


「わたくしとて、元はネピア聖王国の聖女。完璧なる女神のシステム端末として機能していた身です。あのダイソン一機のログを見るだけでも、この世界の因果律を数百年にわたって歪める規模の命令プログラムが組まれていることは理解できます。それが三十六機。もしもそれらが一斉にこの地に『清掃デバッグ』を仕掛けてくれば、聖王国も帝国も、そしてこの千波領も、すべて等しく真っ平らな更地に変えられるでしょう。それは、世界の終わりと同義ですわ」


「だよねえ」


「……ですが、同時にこうも思うのです。お掃除ロボットが部屋を掃除するのは、部屋が汚れているからではなく、主人が『掃除をしろ』という命令を解除していないからですわ。ならば、私たちがすべきことは、そのルンバの群れと正面から殴り合うことではありません。エラーログの根源へ向かい、命令を上書きする。つまり、私たちはこれ以上、この村で受け身のデバッグを続けるべきではない、ということです」


 セシールの蒼い瞳が、知的な光を宿してわたしを見つめた。ポンコツな村娘風にラーメンを啜っているいつもの彼女とは別人みたいだ。


 その言葉の重みに、わたしは喉に固焼きパンを詰まらせそうになった。

 つまり、こちらから出向いていって、バグの根源を叩くってことよね。わたしの目の前に【遠征】の二文字がヒラヒラ踊っている。


 うー……嫌だ。

 それはものすごーく嫌だ。


『千波、セシールの意見を全面的に支持します』


 チハたんの電子音声が、わたしの脳内に直接響き渡った。


『当機のメインコアが捉えた最終ログによれば、三十六機の清掃重機は、現在、帝都アルムの直下約三千メートルに位置する「旧時代環境管理プラント・セクターセブン」にて、エネルギーの充填を行っています。充填完了までの猶予時間は、現地の魔素吸入効率から計算して、およそ半年から九ヶ月。それまでに該当プラントのメインサーバーにアクセスし、管理者権限による「清掃中止命令」を入力しない場合、自動的に巡回モードが起動します』


「半年……。長いようで、めちゃくちゃ短い猶予期間だね」


 わたしは溜息を吐き出し、チハたんの装甲に背中を預けた。


 帝都の地下三千メートル。そこは帝国の厳重な管理下にある場所だし、そもそもどうやってそんな深さまで潜ればいいのか皆目見当もつかない。前世の東京の地下鉄ですら、大江戸線の六本木駅が深すぎて行くたびに嫌な気持ちになっていたわたしだ。地下三千メートルなんて、もはやマントルに足を踏み入れるようなものではないか。



「領主殿、ちょっとよろしいですかな?」


 思考を遮るように、広場の方から気の抜けた声が聞こえてきた。


 見れば、第一農区の長官であるザキさんが、相変わらず泥だらけの鍬を担いで歩いてきていた。その後ろには、台車を押しながら、いつになく真剣な表情を浮かべたヴィルヘルム大尉が従っている。

 台車の上には、先ほど聖王国から届いたばかりの小麦粉の袋が、いくつか無造作に積み上げられていた。


「どうしたの、ザキさん。その小麦粉、エルサちゃんが仕分けしたばかりなのに、勝手に持ち出して大丈夫?」


「問題ない。監査官の小娘には、すでに『農業実験のための必要経費』として承認させてある」


 ザキさんは、不敵な薄笑いを浮かべながら、小麦粉の袋を一つ、贅沢に切り裂いた。中から最高級の白い粉がサラサラと地面にこぼれ落ちる。


「領主殿、私は気づいてしまったのだ。この聖王国の最高級小麦粉、指定避難民区域に埋蔵されていた微弱な魔素、これらを特定の比率で調合し、我が領の地下水で練り上げた土壌を作るとだな……もやしが、進化する」


「えーっと……嫌な予感しかしないんだけど」


「もやしが自律的な魔素の誘導性を獲得し、光の届かぬ暗闇でも、根の伸びる方向を追うだけで地下迷宮の完璧な三次元地図を作成することが理論上、可能となった。名付けて、超・自律型誘導もやし『サイレント・スプラウト』だ」


「理論上?」


 わたしは思わず、その胡散臭い単語をオウム返しに呟いた。


「そう、理論上だ。現状の土壌配合における発芽の成功確率は、およそ三割といったところだな」


「成功率三割!? 低っ! っていうか、失敗したらどうなるの?」


「残りの七割は、方向感覚を完全に失ったもやしの根が全方位に暴走し、地殻を破壊しながら無限増殖を始める。最悪の場合、我々の足元の地盤が丸ごと自重で陥没する危険性があるな」


「めちゃくちゃ凶悪な不確定要素を孕んでるじゃないの! ナビゲーションシステムっていうより、ただの時限爆弾だよそれ!」


 ザキさんの狂気と隣り合わせの発明にわたしが頭を抱えていると、後ろに控えていたヴィルヘルム大尉が、一歩前に進み出た。


 その目は、いつものもやしに怯える虚ろなものではなかった。かつて帝国の最精鋭突撃魔導中隊を率いていた、あの冷徹な軍人としての理性が、その佇まいにうっすらと戻っている。


「……領主様。ザキ殿の植物学的な理論は私には理解しかねますが、元・帝国軍人としての見地から言わせていただければ、この地下探索へのアプローチは極めて合理的です」


「ヴィルヘルムさんがちゃんと大尉してる!」


「ええ。帝都アルムの地下構造は、我が帝国の軍事機密の最深部。通常の手段で潜入、およびマッピングを行うのは不可能です。成功率が三割であろうとも、帝国に探知されぬ『未知の生体反応』を用いてルートを切り開くという戦略は、戦術的に大いに検討に値します」


 ヴィルヘルム大尉は、実にもっともらしい口調で潜入作戦の難易度を分析してみせた。

 髪からもやしが生えていても、こういう時はやっぱり軍人っぽい。正直、帝国に潜るなら頼れる人材なのは間違いなかった。


「……ただ、その」


 大尉は不意に言葉を濁し、自身の頭に貼られた緑色の湿布を、そっと指先で押さえた。


「ザキ殿の実験室を手伝っていた際、先ほど、私の頭皮の奥に残っていたもやしの根が、彼の言う『誘導性の獲得』に呼応するかのように、うっすらと帝都の方角を向いてピクピクと動き始めましてな。この生体レーダーの感覚からしても、彼の理論は正しいかと」


「……大尉、やっぱりあんた、頭皮は完全に侵食されてるままだね」


 どうやら彼の頭部は、すでに帝都潜入のための物理的なコンパスと化してしまっているらしい。本当にこの村の人間は、どいつもこいつも一筋縄ではいかない。


「わかった、ザキさん。地盤陥没のリスクはセシールとチハたんで監視するから、大至急その『サイレント・スプラウト』の確率を上げて完成させて。大尉も、その頭のレーダー、大切にしてね」


「ハッ、我が頭皮の導くままに、帝都の闇を照らしてみせましょう」


 ヴィルヘルム大尉は、完璧な帝国式の敬礼をピシッと決めてみせた。その頭頂部から、一本の白いもやしの髭が、かすかに西の方角へと向かって傾いた。


「千波様、ますます面白くなってきましたわね」


 セシールが、クスクスと喉を鳴らして笑った。


「元・聖女のわたくしがシステムの裏をかき、帝国の元・大尉がもやしを頭に植えて古巣へと潜入する。これ以上の不届きなデバッグチームは、世界中を探してもどこにもいませんわ」


「侵入経路ねえ……。結局、わたし、帝都に行くことになるんだ」


 前世では、学校の遠足で京都に行くのすら「移動時間が長くて疲れるから嫌だ」と文句を言っていたわたしが、現世では戦車に転生した挙げ句、世界を滅ぼす三十六機のルンバを止めるために、敵国の首都の地下へ不法侵入する弾丸ツアーを企画している。人生、どこでどう転がるか本当に分からない。




「お嬢、ラーメンが伸びちまうぞ。早く降りてきて食いな」


 広場の中央、屋台の暖簾の向こうから、リクーさんが新着の小麦粉で作った麺を茹で上げながら、わたしに向かって声をかけてきた。

 漂ってくるスープの香りは、昨日よりも一段と濃厚で、大国の利権(小麦粉)のおかげで明らかにクオリティが上がっているのが遠目からでも分かった。


「はーい、今行く!」


 わたしはチハたんの砲塔から飛び降り、泥の地面にしっかりと足をついた。

 半年後に世界が滅びるかもしれないとか、地下三千メートルに潜らなきゃいけないとか、地盤陥没のリスクとか、問題は山積みの赤点だらけだけれど、とりあえず今のわたしには、目の前の一杯の美味しいラーメンをすする権利がある。


「明日から本気出す」


 前世の夏休みの最終日に、毎年必ず唱えていたあの無意味な呪文を、わたしは心の中でそっと呟いた。


 どうやらわたしのスローライフは、また延期らしい。

 しかも次の行き先は敵国の首都である。


 どんなに大がかりなバグが待ち受けていようとも、この一杯のラーメンの平和がある限り、わたしとチハたんは、とことんその仕様システムに付き合ってあげるつもりだった。




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