76、屋台での三者会談。会議は踊る、されどもやしは踊らず
前世の高校生活における最大の謎交渉といえば、文化祭の出店を巡るクラス会議だった。
今思うと、あの狭い教室で行われていたのは、ただの微笑ましいおままごとだったんだな思える。
そして今、わたしの目の前で始まろうとしているのは、文化祭の出店会議を国家規模まで悪化させたような、最高に面倒くさい三者会談だった。
場所は、千波領の中央広場に急ごしらえで設置された、ザキさん特製のもやしラーメン屋台。
メニューはこれ一択。会議室なんて上等なものはないので、出席者は全員、ひっくり返した木箱を椅子代わりにして座っている。
「……ふん。これが、我が神聖大八洲魔導帝国の軍隊を一瞬で無力化したという、噂の不適合集落の長官か。随分と小柄な少女ではないか」
最初に不満を隠そうともせずに口を開いたのは、帝国の観測班を率いる技術主任、ライブラ・ヨーゼフだった。
寝不足の極致にあるような深い隈を目の下に刻んだ彼は、差し出された割り箸をまるで未知の危険物質でも見るかのような目で見つめている。白衣の袖には、ダイソンのオイルと思われる黒い汚れがべっとりと付着していた。
「相変わらず、形ある知性にばかり囚われているな、ライブラ主任。それでは物事の本質を見誤るぞ」
その対面、やたらと白い法衣を泥で汚しながらも、低く静かな声で応じたのは、ネピア聖王国『六个聖――通称シックスビーン』のル・カナン枢機卿だ。車椅子に深く腰掛けたその老人は、しわくちゃの顔に冷淡な薄笑いを浮かべ、じっとわたしを観察している。
あのおじいさん、絶対に危ない。信者みたいなキラキラした目じゃなくて、新種の虫を見つけた研究者みたいな目をしてる。
「このお方は、天の摂理をその身に受け、平然とそれを鎮めてみせた御方だ。帝国の劣化科学の物差しで測れる存在ではない。無礼な言葉は慎むがいい」
わたしは、自分の前に置かれたラーメンのスープに息を吹きかけ、一口すすってから、二人の大人の顔を順番に見つめた。
「あのさ、二人とも。遠路はるばるこんな泥だらけの難民キャンプまでお勉強しにきたのは勝手だけど、まずはうちの営業妨害をしたことへの謝罪が先なんじゃない? 特に帝国の人」
「何だと?」
ライブラ主任の眉が跳ね上がる。
「何だと、じゃないよ。あの全長百二十メートルもある巨大な掃除機、あんたたちの帝都の地下に眠ってたやつでしょ? 地下の管理がズサんだったから、プログラムがバグを起こしてこっちまで暴走してきたの。こっちは危うく畑ごと吸い込まれるところだったんだからね。そっちの管理責任を問いたいレベルなんだけど、賠償金とかどうなってんの?」
わたしのフランクすぎる詰め寄りに、ライブラ主任は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「バ、バグだと!? 無知な娘が知った風な口を利くな! あれは我が帝国の地下に秘匿されていた古代の『神機』だ! それがなぜ起動し、なぜこの地を目指したのか、その物理的アルゴリズムの解析こそが我が任務であり――」
「あーそれ、ただの自律型お掃除ロボットだよ。お母さんが昔、コンセントを抜くのを忘れて放置してたやつ。名前はダイソンって言うの」
わたしが冷淡に事実を告げると、その場の空気が一瞬で凍りついた。
ライブラ主任は、まるで理解不能な言語を聞かされた宇宙人のように口を小刻みに動かしている。一方で、ル・カナン枢機卿の目の奥の光が、いよいよ看過できないほどに鋭さを増した。
「……ダイソン。それが、あの鉄のクジラの真名ですか。そして、それを動かした大いなる存在を、貴女は『お母さん』と呼ぶのですね」
枢機卿は、わたしの言葉のすべてを、彼が長年カタコンベで解読してきた「世界の真実」のパズルに当てはめているようだった。
他の神官たちなら「悪魔の呪文」と切り捨てる前世の単語を、彼は恐ろしいほどの理解力で、淡々と噛み砕いている。
「千波様。我がネピア聖王国は、貴女の持つその正当な『権限』を、極めて高く評価したい。どうだろう、この千波領を教会の直轄領とする代わりに、周辺すべての関税を永年免除し、我々がその安全を完全に保障するというのは。貴女のような存在は、このような泥の中ではなく、もっとふさわしい場所で管理されるべきだ」
出たよ、大人の囲い込み戦略。
条件だけ聞けば美味しそうだけど、たぶんこれ、最後は全部教会管理になるやつだ。なんかスマホ契約の小さい文字を読んだ時みたいな嫌な予感がする。
学校の生徒会が、勢いのある非公認サークルを無理やり委員会の下部組織に組み込もうとするときのやり方にそっくりで、胸がムカムカする。
「お嬢、ちょっと耳を貸してくれ」
屋台の影で、腕を組んで成り行きを見守っていたリクーさんが、パイプをくわえたまま低い声で囁いてきた。その隣には、そろばんを握りしめたガメッチが、いつでも交渉の場に乱入できるような構えで控えている。
「あの二国、口では大層なことを言ってるが、要するにあの鉄クジラの『素材』が欲しくてたまらねえのさ。ガメッチが調べたが、あの外殻の超古代メタルは、お嬢の許可がなきゃまともに削ることすらできねえ。つまり、あいつらは喉から手が出るほどあの鉄が欲しいが、お嬢の機嫌を損ねたら、ただの巨大な置物を眺めることしかできねえってわけだ」
「なるほどね」
わたしは、リクーさんの言葉に小さく頷いた。
つまり今のわたしは、向こうがどうしても欲しいレアアイテムを握ってる状態ってことだ。だったら、この泥だらけの難民キャンプの真ん中で、最高に強欲な取引を成立させてやればいい。
「ライブラ主任、それからル・カナン枢機卿」
わたしは箸を置き、木箱の上で背筋を伸ばした。
「あのダイソンの残骸、あれは現在、わたしの所有物になってるの。加工するのも、バラして使うのも、わたしの許可がないと一ミリもできない仕様になってるんだよね」
わたしの言葉に、ライブラ主任がデータボードを握る手を激しく震わせた。
「あの超硬度装甲を加工する術を持っているというのか……! 信じられん、あれは現在のいかなる魔導溶鉱炉でも融解不可能なはずだぞ!」
「できるよ、わたしなら。だから、条件を提示するね。あの鉄クジラの素材や内部のパーツが欲しければ、帝国も聖王国も、まずは我が『千波領』の完全な独立と、永年免税を認めなさい。それと、村の難民たちのための小麦粉と燃料、それからチハたんのための最高級の潤滑油を、毎月決まった量だけ安定して供給すること。これが最低条件。拒否するなら、あの鉄クジラは一生、うちの畑の肥やしにしておくから」
「な……っ! それは事実上、我が帝国に対する資源供給協定の強要ではないか!」
ライブラ主任が椅子代わりにしていた木箱を蹴立てて立ち上がった。
しかし、その背後に、いつの間にか一本の巨大な鍬を担いだザキさんが、静かに、しかし圧倒的な威圧感とともに立っていた。さらに、その横では、頭に緑色の湿布を貼ったヴィルヘルム大尉が、無言のまま突撃銃を抱えて立っている。
「静かにしろ、帝国の技術屋。我が農区の神聖なるラーメンの湯気を、貴様の安っぽい怒声で汚すな。もやしが驚いて、保水力を失うだろうが」
「ヴィ、ヴィルヘルム大尉……! 貴様、帝国の軍人でありながら、なぜそのような落ちぶれた姿で……!」
ライブラ主任が絶句する。かつての同僚の変わり果てた姿(完全に洗脳された小作農)を見て、帝国側の護衛たちも怯えたように一歩退がった。
「……素晴らしい」
屋台の周囲が静まり返る中、車椅子のル・カナン枢機卿が、低く乾いた笑い声を漏らした。
彼はわたしたちの様子を見て、あざ笑うでもなく、ただ純粋な歓喜に震えるように、自身のしわくちゃの手を見つめている。
「神のシステムの残骸を、ただの野菜の肥料として消費するか。やはり、私の仮説は正しかった。既存の教会が説く『愛と慈悲のおとぎ話』など、この少女の前では何の意味も持たない。彼女こそが、天の箱庭の仕様を正しく引き継いだ、真の神子だ……ますます興味深い」
ル・カナンは、車椅子を引かせながら、わたしに向かって深く、奇妙な敬意を込めて一礼してみせた。
「「いいでしょう、千波様。聖王国としては、その条件を前向きに検討する価値があると判断します。小麦粉でも燃料でも、いくらでも用意いたします。その代わり、あのダイソンの装甲板を、最初に三十枚ほど切り分けていただきたい。それで、この交渉は成立です」
「ちょっと待て、聖王国! 抜け駆けは許さんぞ!」
ライブラ主任が慌てて交渉に飛び込んでくる。
「我が帝国も条件を飲む! 万全な物資の供給ラインをすぐにでも構築する。その代わり、内部の駆動ギヤのサンプルを優先的に引き渡すことを要求する!」
気が付けば、最後は教会も帝国も必死に牽制し合い、交渉はうちのペースのまま終わっていた。リクーさんとガメッチが裏で何をしたのかは知らないけど、たぶん知りたくもない。
「まいどあり、ですなァ」
ガメッチが、暗闇の中でこれ以上ないほど下卑た笑みを浮かべ、リクーさんと共に固い握手を交わしていた。
その結果、うちはよく分からない危険地帯扱いされる代わりに、かなり美味しい条件を引っ張り出せた。
まあ、この流れがいつまで続くかわからないけど、小麦粉が大量に入ってくるなら文句はない。
明日からは、タダ同然で仕入れた大量の小麦粉で、よりクオリティの高いラーメンが作れるようになるはずだ。
――と、誰もが胸を撫で下ろした、その日の深夜。
わたしは、静まり返った広場で、チハたんの砲塔に寄りかかって夜風を浴びていた。
手元には、お腹いっぱいラーメンを食べた後の、心地よい満足感。
「千波様、少しよろしいですか」
ハッチから身を乗り出したセシールが、いつになく真剣な、配置転換を言い渡された時のような青ざめた顔で、一枚のデータスクリーンの残像をわたしに見せてきた。
「どうしたの、セシール。まさか教会の小麦粉に毒でも入ってた?」
「いえ、そういう物質的な問題ではありません。……先ほど、チハたんと共に、稼働を停止したダイソンのメインコアから、内部のシステムログの最終同期データを抽出したのです。そうしたところ、信じがたい記述が見つかりました」
「記述って?」
セシールは、細い指先でスクリーンの文字をなぞった。その声が、夜の静寂の中に、不穏な冷たさを持って響く。
「旧時代の開拓プラントにおいて、最終処置『一斉清掃シークエンス』のロックが解除されている形跡があります。そして……」
セシールは言葉を一度切り、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。
「アルムの地下には、これと同型に加え、大型の環境開拓重機【ON-G】が、計三十六機、スリープモードで待機していますわ。それらが、次の起動シグナルを今も待ち続けている状態です」
「……は?」
わたしは、持っていた空のコップを落としそうになった。
百二十メートルの掃除機が、あと三十六機。
お母さん、あんた一体、どれだけ広い部屋を掃除するつもりでそのプログラムを組んだわけ?
『千波。当機の予測では、今回のダイソン撃破のログがマザーシップに送信された場合、システムは「ゴミの抵抗が予想より激しい」と判断し、次回は複数機による同時巡回ルートを設定する可能性が極めて高いと愚考します』
チハたんの平坦な音声が、容赦なくわたしの脳みそを現実へと引き戻した。
「ちょっと待てよ……。せっかく外交交渉で小麦粉とタダ飯の権利を勝ち取ったのに、次は何? お掃除ロボットの集団と戦わなきゃいけないの?」
わたしは天を仰ぎ、深夜の千波領の空に向かって、声にならない絶叫をあげた。
どうやら、お母さんの残した星のバグ取り作業は、始まったばかりのようだった。
わたしの夢見る穏やかなスローライフ領主生活は、またしても巨大掃除機の吸引口に吸い込まれるホコリのように、遥か彼方へと消えていった。




