74、世代の違い? そんな言葉で言い表せない世界一壮絶な家庭内暴力
前世の日常には、どう考えても理不尽なのに絶対に逆らえない恐怖のイベントがあった。
日曜日、まだ布団の中で泥のように眠っているわたしの部屋に、母親が「いつまで寝てるの!」と怒鳴り散らしながら、凄まじい爆音とともに掃除機を突き入れてくるあの瞬間だ。
あれは掃除なんかじゃない。母親による強制退去命令である。
ノズルの先端が容赦なくベッドの脚にコツコツとぶつかるあの音を聞くたびに、わたしは自分の人権が絨毯の上のホコリと同レベルにまで格下げされたような絶望感を味わった。
そして今、わたしの目の前で大地を震わせているのは、あの「日曜日の朝の絶望」を百二十メートルサイズに巨大化させた、お母さん特製の超巨大ルンバ。
地平線を覆い尽くすような鉄の巨体が、数十本の金属脚をせわしなく蠢かせながら突き進んでくる。
前面の巨大な吸引口からは、暴風のような勢いで周囲の空気も、魔素も、ひっくり返った帝国軍の戦車の残骸も、分け隔て無く吸い込んでいた。
奴が通り過ぎた後には、草一本どころか、凹凸すらない完璧に真っ平らな「不毛の更地」が定規で引いたように出来上がっていく。
あそこまでやられると掃除じゃない。「お前いらないから消えろ」って言われてるのと同じだ。
「ちょっとチハたん、あいつ本当にワイヤレス通信受け付けないの? 『お母さんだよ、掃除をやめなさい』ってわたしが叫んでもダメ?」
わたしはチハたんの砲塔の上で、カマヤツさんの長巻をぎゅっと握りしめながら叫んだ。風圧のせいで、立っているだけでも顔の皮が後ろに引っ張られそうになる。
『肯定します、千波。対象のシステムは現在、外部からの命令を一切遮断する「セーフモード」で駆動しています。あなたが家主の娘であろうとも、現在の奴にとっては「部屋の隅に転がっているちょっと大きめのゴミ」以上の認識はありません』
「実の娘をゴミ扱いとか、本当にお母さんのプログラムは容赦ないなあ!」
わたしは自分の魔素ボディの出力をギリギリまで跳ね上げた。身体の芯からカッと熱いものが込み上げ、全身から青白い光の粒子が吹き出す。
怖いかって?
ぶっちゃけ、めちゃくちゃ怖い。
あんな巨大な鉄の塊に正面からぶつかったら、いくら頑丈な魔素の身体でも、一瞬でペシャンコにされて吸引口の藻屑になるのは目に見えている。
でも、それ以上に腹が立つ。
せっかく一万五千の軍隊を追い払って、ザキさんが狂気とともに『超・もやし』を育てて、エルサちゃんたちがブツブツ文句を言いながらも美味しいって食べてくれた、あのラーメンの味を。
わたしたちが泥にまみれて作ったあの愛おしい難民キャンプを、ただの「部屋の汚れ」みたいに扱われて、まるごと吸い込まれてたまるかって話だ。
「みんな、行くよ! ターゲットはあの巨大な掃除機の正面! わたしが道をこじ開けるから、ついてきて!」
「おおおおお!」
タゴサックさんや獣人サンダー・ライガー兄弟の野太い咆哮が、ダイソンの立てる重低音に混ざって響く。
驚いたことに、その中にはヴィルヘルム大尉の悲痛な叫び声も混ざっていた。彼はザキさんに持たされたクワと、帝国の突撃銃を両手に構え、頭に緑色の湿布を貼ったまま、ものすごい形相で走っている。
「私の……私の誇りだった帝国の技術が、ただのお掃除ロボットの劣化コピーだったなどと、誰が認めるかァッ! 壊してやる! 壊して真実を闇に葬ってやるッ!」
うっわ。ヴィルヘルム大尉の何かが完全に壊れている。もう“無敵の人”状態だよ。
人間、本当に追い詰められるとこうなるんだなあ。
『千波、ダイソンがこちらの接近を感知。地表掘削用の高出力レーザーのチャージを確認しました。来ます!』
チハたんの警告と同時に、巨大な鉄のクジラの側面から、何本もの細いアームがニュッと突き出してきた。その先端が怪しく発光したかと思うと、熱線が激しい光の帯となって地表をなぞった。
激しい熱風とともに、わたしたちのすぐ数メートル横の地面がドロドロのマグマに変えられていく。
「何これ! 冷や汗が出るどころの騒ぎじゃないっての!」
わたしはチハたんの砲塔を蹴って、空中に大きく跳ね上がった。
ダイソンの巨大な吸引口の真上へと飛び込むわたしの視界に、下界で文字通り「泥んこの死闘」を繰り広げる仲間たちの姿が映る。
「おおお! 我が筋肉の前にひれ伏せ鉄クジラァ!」
「兄者、ボルトを緩めるな、引きちぎれ!」
サンダーとライガーの獣人兄弟が、ダイソンのマルチ脚の一本に文字通りの肉弾戦を挑んでいた。異常肥大化した筋肉で直径一メートルはある油まみれの金属関節を強引にホールドし、テコの原理でベキベキとへし折っていく。野生のゴリラでもあそこまで獰猛じゃない。
「ふははは! これぞ大地のホールドだ! ヴィルヘルム、手が空いているならその装甲に種を植え付けんか!」
「わ、分かっている! 死ね、死ねぇ! 私の世界を、私の頭皮をこれ以上弄ぶなァッ!」
ザキさんがマルチ脚の隙間に《超・もやし』の種子を容赦なくねじ込み、水分を得たもやしがキュルキュルと機械の歯車に絡みついて駆動を狂わせていく。
その横では、恐怖で完全にトランス状態に入ったヴィルヘルム大尉が、帝国の突撃銃を全弾フルオートで乱射しながらクワを叩きつけていた。もはや軍人のプライドはどこにもないが、その狂気じみた猛攻は確実にダイソンの足を鈍らせている。
「チハたん、主砲をあのレーザーアームの根元に叩き込んで! 視界を奪うよ!」
『了解。主砲、最大出力にて発射――』
チハたんの放った魔導砲弾が、ダイソンの側面にクリーンヒット。眩い光とともにレーザーアームを一本不格好にへし折った。
「よし、次はわたしの番だ!」
わたしは空中でカマヤツさんの長巻を両手で構え、全身の光の粒子をすべてその刃へと集中させた。太陽のように輝く刃を、ダイソンの上部装甲へと真っ直ぐに突き刺す。
長巻の刃が頑丈な超古代の金属をバターのように切り裂き、わたしはそのまま内部の暗黒へと滑り込んだ。
……と思ったら、地獄はここからだった。
一歩足を踏み入れたダイソンの内部は、外見の無機質さとは裏腹に、まるで生きた怪物の体内だった。激しい放電と、それ(・・)を守ろうとする防衛システムが牙を剥く。
「うっわ、ちょっと、何これ!?」
メインコアへ続く通路の壁から、無数の高圧電流の触手が、まるで侵入者を迎撃する防衛抗体のように一斉に伸びてきたのだ。
さらに、ダイソンの超強力な「変わらない吸引力」のベクトルが内部で反転し、今度はわたしを外へ、あるいは内部の超巨大ギヤの隙間へと強引に引きずり込もうとする。強烈なGと、肌を焼く魔素の暴風。
「千波、左です! メインコアの手前に、予備の『安全隔壁』が強制展開されています! そのままでは弾かれますわ!」
通信の向こうでセシールが叫ぶ。見れば、赤く明滅する巨大な光の壁が、目の前でガシャンと閉まろうとしていた。
「ここまで来て、ロックアウトなんてされてたまるかぁ!」
突進の風圧に押し戻されそうになりながら、わたしは空中でもう一度魔素を爆発させた。
一秒もない。たぶんコンマ何秒か遅れたら終わりだ。
激しい放電がわたしの魔素ボディを焼き、パチパチと嫌な火花が散る。痛い、熱い、でもここで止まったら村のみんながルンバのゴミになる!
「どきなさーーーい!」
閉まりかける光の隔壁のわずかな隙間に、わたしは滑り込みながら長巻を強引にねじ込んだ。
ガガガガガガッ! と、長巻の刃と光の壁が激しく衝突し、鼓膜が破れそうな金属音が狭い内部に反響する。衝撃で脳みそがシェイクされ、視界が真っ赤に染まる。
それでも無理やりこじ開けた視界の先、バチバチと青白い火花を散らす、メインコアがむき出しになっていた。
「これで、本当に、終わりだ――!」
わたしはダイソンの頭部、もっとも光り輝いていたセンサーの集中する中枢ブロックへとたどり着き、長巻を根元まで深く突き刺した。
そして、脳内のシステムリンクを通じて、ありったけの「拒否コマンド」を直接流し込んだ。
「シャットダウン! ログイン拒否! ユーザーアカウント削除! もう全部まとめて、電源プラグを引き抜いてやるー!」
わたしの叫びと同調するように、長巻を通じて強烈なシステムエラーの負荷がダイソンの内部へと駆け巡った。
一瞬の、不気味な静寂。
次の瞬間、全長百二十メートルの鉄のクジラは、すべての動きをピタリと止めた。
吸引口の恐ろしい回転刃が回転を止め、周囲を巻き込んでいた暴風が、嘘のようにフッと消え去る。
傾いた巨体が、自らの重みに耐えかねるように、ズシンと大きな音を立てて荒れ地へと頽れた。
完全に沈黙したダイソンの背中の上で、わたしは長巻を引っこ抜き、その場にへたり込んだ。
「……はぁ、死ぬかと思った。本当に、心臓が止まるかと思った……」
バクバクと激しく波打つ胸を押さえながら、わたしは空を見上げた。
星の管理者権限なんて、やっぱりわたしには荷が重すぎる。お母さんの残した遺産は、どれもこれもスケールが大きすぎて、命がいくつあっても足りない。
「領主様ーー! お見事ですなァッ!」
下から、ガメッチのこれ以上ないほど下卑た、しかし嬉しそうな歓声が響いてきた。彼はすでに、どこから持ってきたのか大量の大八車を従えて、ダイソンの足元へと群がっていた。
「見なさい、この最高級の魔導装甲板! これを切り出して売れば、周辺諸国の国家予算が数年分は吹き飛びますぞ! ザキ殿、ヴィルヘルム殿、もやしの収穫は後回しです! 今すぐこの鉄のクジラの解体ショーを始めましょう!」
「ふん、仕方のない男だ。だが、この鉄屑の成分が土壌に与える影響も調査せねばならんからな。おい、ヴィルヘルム、大八車を押せ」
「……は、はい! ザキ殿!」
さっきまで狂ったように暴れていたヴィルヘルム大尉が、すっかりいつもの従順な小作農に戻って、ザキさんの指示に従い始めている。
世界を滅ぼしかけた神の重機は、今では村人たちの「最大のボーナスステージ(スクラップ山)」になっていた。
うちの村、たくましすぎない?
「千波、お疲れ様でした」
チハたんと一緒に近づいてきたセシールが、優しく微笑みながら、冷たい水の入った水筒を差し出してくれた。
「ありがと、セシール。……ねえ、これで本当に初期化プログラムは止まったの?」
わたしが水を飲み干しながら尋ねると、セシールは少しだけ困ったような、苦笑いを浮かべた。
「ええ、この個体に関する初期化プロセスは完全にパッチが当てられ、凍結されました。ですが……千波。今回の強制起動によって、帝国の地下や聖王国の遺跡にある『他の古いシステム』も、うっすらと目を覚まし始めているようです。世界中の『真実を知ってしまった不届き者たち』が、これから貴女の元へ押し寄せてくるのは確実ですわ」
「……やっぱり、そうなるよねえ」
わたしは、チハたんの装甲に背中を預け、再び天を仰いだ。
お母さんが残したこの星のシステムは、どうやらまだまだ無数の厄介な隠しダンジョンや、バグを抱え込んでいるらしい。
わたしのスローライフ計画は、もはや遠のくとかいうレベルじゃない。とっくに海の底まで沈んでいる気がする。
「でも、まあ……」
わたしは、楽しそうに巨大な鉄の塊を解体している村人たちの姿を見つめた。
「明日もみんなで、あの美味しいもやしラーメンを食べられるなら、多少のデバッグ作業くらい、付き合ってあげてもいいかな」
『千波。当機も、あなたのその非論理的で頑固な生存戦略を、全力でサポートすることを約束します。……ただし、次回の戦闘前には、当機の潤滑油の交換もスケジュールに組み込んでいただくよう要請します』
「わかってるよ、チハたん。ガメッチに一番高い油を買わせるからね」
わたしは相棒の砲塔をぽんぽんと叩き、泥にまみれた仲間たちの元へと歩き出した。
お母さんの残した世界一やかましい家庭内暴力をどうにか力技で制した夜。
もっと厄介なトラブルが待っている気しかしなかったけれど、とりあえず明日のもやしラーメンは確保できた。
今はそれで十分だった。




