72、え‼︎ まさか⁉︎ 狂気の栽培マン
高校時代には色んな修羅場があったけど、意外と油断できなかったのが調理実習だった。
普段は教室の片隅で大人しく教科書を読んでいるような女子が、包丁を持った瞬間に板前のような鋭い目つきに変わったり、家庭科室の数少ないコンロを巡って小競り合いが起きたりする。
そして何より、班ごとの要領の良さによって、出来上がる料理のクオリティが大きく変わってくる。
絵に描いたような美しいオムライスを作っている班もあれば、炭化して正体不明となった黒い物体の前で呆然としている班があったりする。
そんな過酷な試練を乗り越えてきたわたしから言わせてもらえば、命が助かると、次は美味しいものが食べたくなる。
人間なんてそんなもんだ。
一万五千の軍隊を、管理者の暴力という名のお説教と電源プラグの引き抜きによって追い払ったあの大騒動から数日。
世界中が「女神の沈黙」だの「帝国の技術崩壊」だので大パニックに陥っているという噂を小耳に挟みつつも、当の千波領は驚くほどに平和な――
いや、別のベクトルで殺気立った空気に包まれていた。
理由はすごく単純。
そう、芋にも肉にも、みんな完全に飽きていた。
「……ねえ、エルサちゃん。今日のメニューは何かな」
わたしは、村の中央広場に設営された臨時の炊き出し所の前で、巨大な木べらを抱えて仁王立ちしている初代財務監査官の少女に、恐る恐る尋ねた。
十代前半にして、数千人の難民を完全に管理下に置く冷徹な支配者となったエルサちゃんは、わたしの顔を見るなり、帳簿から目を離さずに冷淡な声で告げた。
「領主様。聞くまでもないことですわ。お昼は『塩茹で芋とキメラ肉の塩焼き』。そして夜の予定は『キメラ肉のスープと干し芋』です。これ以上の合理的な配給計画はありません」
わたしは、天を仰いだ。
言葉の響きだけならば、すごく贅沢な食事に見えるかもしれない。あの巨大な怪獣を解体して得た肉は、極上の旨味を持っていたのだ。
最初の三日間は、村人たち全員が口の周りを脂だらけにして歓喜の声を上げていた。
でも、どんなに高級な肉でも、毎日毎日、朝昼晩とそればかりを食べさせられ、しかも主食が相変わらず泥臭い芋となれば、話は変わってくる。
コンビニの棚に並ぶ無数のジャンクフードやお菓子に囲まれて育ったわたしの舌と胃袋は、すでに悲鳴を上げていた。
複雑な旨味が恋しい。
具体的に言えば、化学調味料の塊のような、身体に悪いと分かっていながらも深夜に食べてしまう、あの黄色い縮れ麺と濁ったスープが飲みたい。ラーメンという名の、現代文明の最高傑作が恋しくてたまらないのである。
「エルサちゃん、贅沢を言うようだけどさ。わたし、そろそろ炭水化物と、もっとこう、ジャンクな塩気を摂取しないと、領主としての精神の均衡が保てない気がするんだよね」
「却下しますわ、領主様」
エルサちゃんは、冷たい目でわたしを射抜いた。
「現在、我が千波領の備蓄物資は、キメラ肉というイレギュラーな供給によって辛うじて保たれている状態です。ガメッチの交易ルートで手に入る小麦粉は、怪我人のための保存食や、最低限の物資交換用に凍結されています。領主個人の我儘のために麺を打つなど、財務監査官として断固として認められませんわ」
貴族の令嬢だったはずの彼女が、今や一粒の麦の無駄遣いすら許さない鉄の女に変貌している。
この村は人間を逞しく育てすぎる変な呪いでもかかっているのかしら。
諦めきれないわたしは、トボトボと歩きながら、広場の隅でチハたんの装甲に寄りかかって泥のついた芋をかじっている元・聖女の元へと向かった。
「セシール、聞いてよ。エルサちゃんが冷たいの。わたしにラーメンを作らせてくれないんだよ。
セシールは、もぐもぐと口を動かして芋を飲み込むと、蒼い瞳をわたしに向けた。
「千波。貴女の言う『らーめん』という構造物については、わたくしのデータベースにも記載がありません。しかし、貴女が脳内でその料理を想起する際のバイタルサインを分析するに、それは塩分と脂質の依存性薬物です。エルサの判断は、住民の健康管理の観点からも極めて論理的です」
「あんたまでそっちの味方をするわけ? 冷たいなあ。チハたんなら、わたしのこのジャンクフードへのパッションを理解してくれるよね?」
わたしが相棒の砲塔を叩くと、内部のスピーカーから、いつも通りの平坦な電子音声が響いた。
『千波。当機は燃料として魔素、および最低限の潤滑油のみを要求するため、有機物の味覚的嗜好に対する理解は不可能です。ただし、あなたの脳内における『ラーメンへの渇望』が、領主としての業務効率を通常のパーセンテージから著しく低下させていることは事実です。精神的な不具合を解消するため、何らかの代替手段を講じることを推奨します』
「ほら見なさい! チハたんも代替手段を講じろって言ってるよ!」
わたしは、我が意を得たりとばかりに胸を張った。
要するに、エルサちゃんが文句を言えないような、圧倒的な低コストかつ大量生産が可能な「具材」を自前で用意すればいいのだ。
ラーメンのスープは、幸いにもキメラの骨から極上の出汁が取れる。麺に関しては、リクーさんの闇市ルートを少し突っついて、規格外の安価な小麦粉を少しだけ横流ししてもらえばいい。
問題は、具材だ。チャーシューはキメラ肉がある。しかし、野菜っ気が足りない。それも、ラーメンのスープに絶妙に絡み合い、かつ圧倒的なスピードで大量栽培できるような、都合の良い野菜。
「……そうだ。もやしだ」
わたしは、節約生活における最強の味方、そして某有名ラーメンチェーンのスープの海にそびえ立つ、あの白い巨塔の正体を思い出した。
もやし。
日光を必要とせず、水さえあれば数日で勝手に育つ、究極のコスパ野菜。これなら、この泥だらけの難民キャンプの片隅でも、エルサちゃんの目を盗んで秘密裏に量産できるはずだ。
「そうと決まれば、あの人に相談するしかないね」
わたしは不敵な笑みを浮かべ、村の第一農区へと足を向けた。
千波領の第一農区は、かつてはただの荒れ地だった場所だが、今やこの村で最も神聖で、かつ最も近づいてはならない危険地帯と化していた。
そこには、元・異端審問官という教会の最高エリートとしてのプライドを完全にドブに捨て、農業という名の真理に魂を売った男、ザキが支配する帝国があった。
わたしが畑の入り口にたどり着いた時、最初に出迎えてくれたのは、上半身裸で泥にまみれ、死んだような目で一心不乱に雑草を抜いている男の人だった。
神聖大八洲魔導帝国の元エリート大尉、ヴィルヘルムさん。
「あ、ヴィルヘルム大尉。お疲れ様。腰、入ってるね」
わたしが声をかけると、彼は弾かれたようにビクリと身体を震わせ、虚ろな目をこちらに向けた。
「……りょ、領主様。どうか、私を助けてください。あの男は、あのザキという男は、悪魔です。教会の尋問官などという生易しいものではありません。今朝、私がほんの少しだけ大根の芽を間引く位置を間違えただけで、彼は私を三時間にわたって『土への感謝の言葉』を唱えさせながら、裸足で畑を歩かせたのです……」
帝国の最新鋭機甲部隊を率いていた誇り高き軍人が、ザキのスパルタ農業指導によって、今や一本の雑草の抜き方に命を懸ける奴隷のようになっていた。
「まあまあ、美味しい野菜を食べるための修行だと思って頑張ってよ。ところで、ザキさんはどこ?」
「……あそこです。あの、怪しげな緑色の光が漏れている小屋の中に、もう丸一日、引きこもったまま出てきません」
ヴィルヘルムさんが指差したのは、畑の隅に建てられた不格好な木造の小屋だった。
隙間から、緑色の魔力の光が不規則にチラチラと漏れ出している。
わたしは少しだけ警戒しながら、その小屋の扉を叩いた。
「ザキさーん? ちょっと相談したいことがあるんだけど……」
返事はなかった。代わりに、扉が自然と内側からゆっくりと開き、内部の熱気と、強烈な青臭い匂いが一気に溢れ出してきた。
部屋の中央には、魔素を異常なまでに活性化させる触媒(えんやこらさんズを捕まえて瓶に詰めたものらしい)が置かれ、その周囲に、無数の木箱が並べられていた。
そして、その木箱の前に立ち、ボサボサの髪を振り乱しながら、血走った目で植物の成長を凝視している男がいた。
「ザキさん?」
「……領主様か。静かにしてくれ。今、この大地の祝福と、空からの光の粒子が、もっとも完璧な比率で交わろうとしているところだ」
彼の声は、悩める人にオカルトグッズを売りつける教祖のような狂気を帯びていた。
「ザキさん、ちょっと聞きたいんだけど。水だけで育って、数日でアホみたいに大量に増える、白くて細長い野菜って作れない? 前世の言葉で『もやし』って言うんだけどさ」
わたしの唐突な要求に、ザキはゆっくりと首を回し、その金色の瞳をぎらりと輝かせた。
「水だけで育ち、数日で大量に増える……だと? それは、大地の恵みを無視した、冒涜的なまでの高効率栽培という意味か」
「まあ、そうとも言うけど。要するに、手っ取り早く大量の具材が欲しいわけ。ラーメンっていう神の料理を作るために」
ザキは数秒間、沈黙した。彼の脳内で、異端審問官としての論理と、農民としての狂気が激しく火花を散らしているのが分かった。
やがて、彼は不敵な笑みを漏らし、背後の木箱をバッと指差した。
「面白い。この領地が難民で溢れ返り、食糧の絶対量が不足していることは理解している。農民として、飢えを放置することは最大の敗北だ。……領主様、貴女の言うその『もやし』の概念、この私が魔素の強制活性化技術を用いて、さらに進化させてみせよう」
「え、進化?」
「そう、ただの白い細長野菜ではない。いかなる過酷な環境でも一晩で成熟し、通常の十倍の栄養価を誇る、究極の『超・もやし』だ!」
ザキがマッドサイエンティストさながらの不敵な笑みを浮かべ、触媒の瓶を強く振る。閉じ込められていたえんやこらさんズが、未知の恐怖を感じたのか怒りのあまり強烈な緑色の光を放ち、木箱の中に敷き詰められた謎の種子へと降り注いだ。
その直後だった。
木箱の泥の中から、白い無数の触手のような物体が、生物としての倫理観を完全に無視したスピードでニョキニョキと這い出てきた。
それは成長って言葉で表現できる生やさしいものじゃなかった。
ものの数秒で木箱の容量を限界突破した白い茎は、蛇行しながら床を埋め尽くし、恐ろしい勢いで木造の壁を登り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってザキさん! これ、成長の方向性、間違ってない!?」
「フハハハ! 見ろ、これが大地の怒り、いや、もやしのポテンシャルだ!」
ザキが勝ち誇ったように両手を広げる間にも、壁を制圧した超・もやしの一陣はついに天井へ到達。不格好な梁の隙間をびっしりと埋め尽くし、まるで洞窟の鍾乳石のように、無数の白い触手が天井からぶら下がり始めたのだ。
部屋全体が、白くて瑞々しくて、そしてほんのりと青臭い謎のジャングルと化していく。
そして最悪なことに、天井から重力に従ってだらりと垂れ下がった、もっとも太くて元気の良い『超・もやし』の先端が、隅でガタガタと震えていたヴィルヘルムの頭頂部へと、そっと着地した。
「……ひっ」
ヴィルヘルムさんの短い悲鳴。
超・もやしは、彼の頭髪を極上の栄養素を含む未知の土壌と勘違いしたのか、あるいは単なる親愛の情の表現か、彼の頭の上でキュルキュルと不気味な音を立てながら、とぐろを巻き始めた。
元・帝国軍大尉の頭上に、一房の、しかし圧倒的な質量を持った「もやしの王冠」が形成されていく。
「お、おい、ザキ殿……! これが、これが大地の祝福というやつか? 私の頭から、何か温かい水分が吸い上げられているような感覚がするのだが……!」
「素晴らしいぞヴィルヘルム! 貴様の頭皮環境が、もやしの保水力を高める最高のアシストをしている! そのまま動くな、今、大地のエネルギーが貴様と一体化している!」
「嫌だ! 私は帝国の軍人だ! もやしの苗床になるために生まれてきたのではない!」
ヴィルヘルムさんが絶叫した次の瞬間。
彼の頭上で育ちきった超・もやしが、収穫の時を迎えた果実のように一斉に花開いた。
「おお……」
「おお、ではない!」
ザキは躊躇なく一本を引き抜き、そのまま口へ放り込む。
「……美味い!」
ヴィルヘルムさんは何も言わず白目を剥いて倒れた。
泥の中に倒れ込んだ彼の背中に、容赦なく次の超・もやしが絡みつこうとしていくのを見て、わたしは「農業って、本当に命がけの仕事なんだな」と、ひどく場違いな感心をしていた。
数日後。
エルサちゃんへの事後承諾(という名の、できあがった料理による実質的な買収)を取り付け、リクーさんの闇市場から確保した小麦粉を使い、千波領の歴史に、いやこの世界の歴史に刻まれるべき試食会が開催された。
場所は、わたしの自宅兼司令部であるチハたんの車体の上。
目の前に置かれた木製の器の中には、キメラの骨を丸二日間煮込んで作った、濁った濃厚な白湯スープ。そこに、ガメッチのルートで手に入れた謎の香辛料と塩で味を調え、手打ちの太麺を沈める。
そしてその上には、ザキが狂気とともに栽培した『超・もやし』が、これでもかとばかりに山盛りにされ、仕上げにキメラ肉の特製チャーシューが贅沢に添えられていた。
千波領特製、キメラ肉の二郎系インスパイアラーメンである。
「……何ですの、この暴力的な見た目の料理は」
エルサちゃんが、器から漂う強烈な脂とニンニクの匂いに、眉をひそめながらも、その視線は器から逸らせずにいた。
「まあまあ、食べてみてよ。これは、身体の奥底にある野生を呼び覚ますための、聖なるジャンクフードだから」
わたしは箸(前世の記憶を頼りに木を削って作ったもの)を構え、まずはスープを一口啜った。
その瞬間、わたしの脳内で、部活でのランニング中、漂ってくる豚骨の匂いや、国道沿いのラーメン屋の黄色い暖簾が、走馬灯のように駆け巡った。
濃厚。すっごい濃厚。キメラの肉から出た複雑な脂が、麺の小麦の甘みと完璧に絡み合っている。
そして、ザキの作った『超・もやし』のシャキシャキとした食感が、強烈なスープの脂っぽさを絶妙に中和し、次のひと口を無限に要求してくる。
これこれ。わたしが求めていたのは、この、健康という概念を真っ向から否定するような、邪悪なまでの旨味なのだ。
「……っ、これは……!」
隣で器を抱えていたセシールが、目を見開いた。
彼女は、フォークのような不格好な道具で麺ともやしを大量に掴むと、普段の清廉なイメージを完全にかなぐり捨てて、凄まじい勢いで口の中へと流し込み始めた。
「セ、セシール? あんた、完璧なシステムの一部じゃなかったの?」
「……静かにしてください、千波。現在、いわゆる『らーめん』に含まれる未知の成分が、わたくしの脳内の幸福報酬系ネットワークを物理的にジャックしています。論理的な思考が不可能です。ただ、この白い細長野菜と、濃厚なスープの組み合わせが、生存戦略において最高の選択であることだけは分かります」
元・聖女が、ラーメンのスープまで一滴残らず飲み干し、器を机に叩きつけた。彼女の顔は、完全にジャンクフードの信徒のそれへと堕ちていた。
厳格だったエルサちゃんは無言で三杯完食した。
きっと彼女の脳内では次の計画が練られているんだろう。
どんな高い理想や宗教的教義も、一杯の特製ラーメンの前には、ただの調味料以下の存在でしかないのだ。
満足感に包まれ、お腹を膨らませてチハたんの装甲の上に寝転がっていると、夜風が心地よく頬を撫でていった。
世界中がわたしたちの領地を巡ってどんな陰謀を巡らせていようとも、とりあえず、この村の人間たちは、明日も美味しいもやしラーメンを食べて、力強く生きていける。それだけで、領主としての仕事は十分に果たせている気がする。
『千波。あなたの幸福度が限界値に達しているところを恐縮ですが、一つ、警告すべきログを検知しました』
チハたんの冷たい電子音声が、わたしの脳内に割り込んできた。
「何だよ、チハたん。せっかくいい気分で満腹感に浸ってるのに。また教会が攻めてきたの?」
『いいえ。地上の物理的な軍勢の動きはありません。しかし、先日のマザーシップEVEからの降下ポッドを介して譲渡された、地表環境制御システムの最深部ネットワークにおいて、妙な同期エラーが発生しています』
チハたんは一拍の間を置き、光の粒子で小さなシステムログを表示した。
『帝国の首都、アルムの地下深くに存在する、旧時代のブラックボックス(自動保守システム)が、当機のマスター権限の確立に呼応して、自動的に起動した形跡があります。現在、何らかの、地上の構造物を消去するための【強制初期化プログラム】が、バックグラウンドで進行中であると推測されます』
「……強制初期化って、何それ。パソコンを工場出荷時の状態に戻す、みたいなやつ?」
『肯定します。ただし、この場合の工場出荷時とは、地上の全ての都市、国家、そして人類の建造物を物理的に撤去し、更地に戻すことを意味します』
わたしは、チハたんの装甲の上で、ゆっくりと身体を起こした。
夜空を見上げると、二つの月の間で、お母さんの意識と同化したあの星が、いつも通り冷たく輝いている。
「お母さん……。あんた、また余計な残業プログラムを設定したまま寝落ちしたでしょ……」
わたしは、深く、深い溜息を吐き出した。
どうやら、せっかく開発したもやしラーメンをのんびり楽しむ時間は、思ったよりも短くなりそうだった。世界のバグをデバッグする作業は、まだ始まったばかりらしい。
ごめんなさい。
投稿、少し間が空いちゃいました。
作中、
千波がラーメンの麺にカンスイが必要と知らなかったので、色々試した結果、コシのある細うどんのような無カンスイ麺になってしまいました。
まぁ姫路名物の駅そばの逆みたいな感じですね。




