71、【帝国編】 皇帝と技術者の憂歌
魔法という不可解な現象を否定し、目に見える物理法則と鋼鉄の重量だけを信奉する神聖大八洲魔導帝国において、「機械が動かなくなる」という事態は、単なる兵器の故障にとどまらない。それは彼らのアイデンティティそのものの崩壊を意味する。
帝都アルム。
分厚い鋼鉄と無骨なパイプが張り巡らされた、油の匂いが漂う巨大な宮殿の謁見の間。
帝国の絶対君主である皇帝バイオガ・ドッテンマイヤーは、玉座から身を乗り出し、怒りで顔を紫色の土気色に染め上げていた。
「一万の機甲師団が! 我が帝国が誇る最新鋭の無人戦車とドローン部隊が、敵と交戦することすらなく、一斉に機能を停止しただと!? そのような戯言を、この私に信じろと言うのか!」
皇帝の怒号が、謁見の間にびりびりと反響する。
その怒りの直撃を受けているのは、冷や汗を滝のように流している帝国の宰相、アスピル・ゼーゲマンだった。
「ほ、報告によりますと、事実でございます、陛下! 通信途絶の直前、謎の少女の声が戦場全体に響き渡り、その直後に全車両の動力が完全にダウンしたと……! 乗員たちは手動での再起動を試みましたが、エンジンは一切の反応を示さず、聖王国の軍勢とともに撤退を余儀なくされたとのことで……」
「ええい、黙れ! 謎の少女の声で機械が止まるなど、聖王国の連中が信じている魔法以下のオカルトではないか!」
バイオガ皇帝は、玉座の肘掛けを力任せに殴りつけた。
彼は、自らの帝国が世界で最も進んだ科学力を持っていると信じて疑わない。天空の遺跡から授かった「神機」の残骸を解析し、独自の発展を遂げた完全な機械文明。それが、辺境の泥だらけの村で、全くの未知の力によってシャットダウンされたのだ。
「ライブラ! ライブラ・ヨーゼフはどこにいる! このふざけた事態の論理的な説明をさせろ!」
皇帝が怒鳴ると、列の最後尾から、疲労で目の下に深い隈を作った白衣の男が、ふらふらと歩み出てきた。
帝国軍の全技術を統括する天才技術者、ライブラ・ヨーゼフである。
彼の顔は、皇帝の怒りに対する恐怖よりも、自分自身の理解を超えた現象に直面した技術者特有の「底知れぬ絶望」に支配されていた。
「……陛下。回収された一部の機体の制御装置を解析いたしました。その結果は……我々の理解を完全に超えています」
ライブラは、手にした金属製のデータボードを力なく見つめながら語った。
「……解析結果は、故障ではありません」
「故障でなければなんだ!」
「我々の機械は……絶対的な命令に従ったのです。――ただし、その命令は我々が理解できる体系のものではないかと」
「絶対的な命令だと? 我が軍の通信暗号を破られたと言うのか!」
「違います、陛下。暗号を破られたのではありません。例えるなら……本来の持ち主が現れて、“それを置け”と命じたようなものです」
ライブラの言葉は、帝国の歴史観を根底から否定するものだった。
「製造主だと……? 我らの神機は、女神の遺物を我々自身の手で進化させたものだぞ! それを、辺境の小娘が制御したと言うのか!」
「信じがたいことですが、あの小娘の放った電波信号の形式は、我々が長年解読できずに放置していた、天空の超文明遺跡からの微弱な定時信号と完全に一致しています。……陛下。我々の科学技術は、おそらく彼女の持つ権限の前では、ただの『おもちゃ』に過ぎません」
「……つまり貴様は言いたいのか。我々の技術の上に、さらに“上位の技術体系”が存在すると?」
「そう捉えるのが自然かと」
「馬鹿な! そんなものがあってたまるか! 帝国の技術を侮辱する気か!」
皇帝が腰の剣に手をかけようとした、その時である。
謁見の間の照明が、ふっと明るさを失った。
次の瞬間、何かに脈打つように、明滅を繰り返し始める。
誰も触れていない。誰も命じていない。
それでも光は勝手に揺らぎ、まるで宮殿そのものが呼吸を始めたかのように、空間全体が不規則に明るさを変えていた。
「……なんだ?」
ざわめきが広がる。
その違和感は、すぐに音となって現れた。
――ゴゥン……。
腹の奥に沈み込むような、鈍く重い振動。
床石を通して伝わってくるそれは、地震に似ていながら、どこか規則的で――まるで巨大な何かが、ゆっくりと動き出したような響きだった。
――ゴゥン……。
二度目は、明らかに強く、そして近い。
「な、なんだこれは……地震か!?」
宰相アスピルが声を裏返らせる。
だが、その場でただ一人。
技術主任ライブラだけが、手元のデータボードに目を落とし、顔色を失っていた。
「……違います」
かすれた声だった。
「これは、自然現象ではありません。……帝都の地下です」
「地下だと?」
皇帝が睨みつける。
ライブラは震える指で表示を示した。
そこには、これまで沈黙していたはずの膨大な系統が、一斉に活動を開始しているログが流れていた。
「数千年にわたり停止していた、旧地下施設の中枢……メインフレームが、起動しています」
「誰が動かした!」
「……誰も、触れていません」
ライブラは、ゆっくりと首を振った。
「これは、自動です。外部からの命令でもない。……もっと上位の、起動条件が満たされた」
その言葉の意味を、誰も理解できなかった。
だが、その間にも、振動は確実に強まっていく。
帝都アルムの地下深く。
長い年月、忘れ去られていた巨大な空間で――
埃をかぶっていた無数の円筒が、ひとつ、またひとつと光を灯していく。
青白い光が、静かに、しかし確実に連鎖していく。
封じられていたのではない。
ただ、「その時」を待っていただけだったかのように。
コンソールの表面に、赤い文字列が浮かび上がる。
見たこともない古代の言語。
だが、その意味は、誰が見ても直感的に理解できるほど、露骨だった。
『管理者権限の移行を確認』
『システム管理状態:正常』
『地上インフラストラクチャーの著しい劣化を検知』
『不正な改造構造物、多数』
『環境最適化プロセスを開始します』
ほんの一拍の静寂。
そして、次の一行が表示された。
『不適合対象の強制初期化を準備中――』
その瞬間。
帝都のどこかで、金属が軋むような音が響いた。
「……なにが、起きている……?」
皇帝バイオガの声は、もはや怒りではなかった。
理解の及ばない何かを前にした、人間の本能的な恐怖だった。
ライブラは答えなかった。
いや、答えられなかった。
ただ一つ、確かなことがあった。
自分たちが「世界の最先端」だと信じていた技術は、
今、目覚めつつある何かに比べれば――あまりにも幼稚だったということ。
そしてその「何か」は、敵でも味方でもない。ただ、決められた処理を実行するだけの、無慈悲な機構だ。
人間の都合など、一切考慮しないまま。
世界の頂点にいるはずだった人間たちは、足元で始まった“処理”の気配を感じ取りながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
――その頃。
当の新任管理者は。
村で、ラーメンの麺のコシについて真剣に悩んでいた。




