66、ダダダン、ダダダン、ダダダダダダダン
特撮映画や怪獣映画を観ていると、正義の味方が巨大な敵と市街地で戦うシーンが必ず用意されている。ビルが崩れ、道路が陥没し、車が宙を舞う。視聴者はその圧倒的な破壊のカタルシスに酔いしれるわけだが、わたしは前世でそういう映像を観るたびに、ひどく現実的な疑問を抱いていた。
あの壊されたインフラの修繕費用は、一体誰が負担するのだろうか、と。
そして今、わたしは異世界の辺境で、難民キャンプの領主という名の行政責任者として、その理不尽な破壊の真っ只中に立たされていた。
教会の暗殺者が自暴自棄になって起動した禁忌の魔道具。そこから溢れ出した瘴気が周囲の動物の骨や肉を巻き込んで形成したキメラ魔獣は、控えめに言って悪夢の具現化だった。
見上げるほどの巨体。狼の頭部に熊の胴体、そして巨大な蛇の尾。それぞれのパーツがドス黒い瘴気で強引に接着されており、生物としての美しさや合理性は一切存在しない。ただ純粋に、周囲のものを破壊することだけを目的に生まれた歩く暴力だ。
その巨体が村の広場で暴れ回るたびに、せっかくエルサちゃんたちが区画整理した居住区のテントが吹き飛び、木柵が粉砕されていく。
わたしの中で、怒りという名の損害賠償請求書が猛烈な勢いで印字されていくのを感じた。
だが、その請求書を物理的に叩きつける前に、予想外の助っ人が魔獣の前に立ちはだかっていた。
帝国軍の鉱山から逃げ出してきた獣人の兄弟、サンダーとライガーである。
「それ以上暴れさせん! ここは俺たちの家だ!」
兄のサンダーが、空気を震わせる咆哮とともに魔獣の右前脚に組み付いた。
彼の全身の筋肉は限界まで隆起し、体表からは紫色の稲妻のような魔力の光が網目のように走っている。雷獣の血を引く彼らの固有魔法であり、肉体の限界を強制的に引き上げる身体強化の極致だ。
「兄貴、左は俺が抑える! 絶対にこの広場から先には行かせねえ!」
弟のライガーが、身軽な跳躍とともに魔獣の死角へ回り込み、その強靭な牙と爪で獣の左側面に深々と食らいついた。
彼らの戦いぶりは、騎士のような洗練されたものではなく、ただひたすらに泥臭く、命を削るような必死さに満ちていた。
帝国の採掘場で、来る日も来る日も鞭で打たれながら石を砕かされていた彼らにとって、国家への忠誠や高い理想などというものは存在しない。あるのは、ただ「今日を生き延び、明日も腹一杯の飯を食う」という極めて根源的で切実な欲求だけだ。
この千波領は、彼らにとって初めて「労働の対価として、温かい塩茹で芋を腹一杯食べさせてくれる場所」だった。
そのささやかな、けれど彼らにとっては絶対的な尊厳を脅かす存在を、彼らは決して許さない。
魔獣が忌々しそうに巨体を揺らし、二人を振り払おうとする。
瘴気の塊である魔獣の外皮は異常に硬く、兄弟の渾身の力をもってしても、表面の肉をわずかに削り取るのが精一杯のようだった。しかも、傷ついた端から紫色の瘴気が集まり、瞬時に肉体を再生させていく。
「くそっ、キリがねえ! 削っても削っても元通りになりやがる!」
サンダーが毒気にあてられたのか、苦しそうに顔を歪める。
「体力勝負に持ち込まれたら、あの子たちが不利だね。チハたん、主砲で一気に……」
わたしが背後に控える相棒に指示を出そうとしたが、すぐに自分の愚かさに気づいて言葉を飲み込んだ。
現在の戦闘位置は、村の中央広場だ。ここでチハたんの規格外の主砲を放てば、魔獣を消し飛ばすことはできるかもしれないが、その後方に密集している難民のテント群や、苦労して整備した貯水池まで完全に巻き込んでしまう。文字通り、村を更地にする最悪の手段だ。
『千波。状況を分析しました。当機の主砲による面制圧は、自陣への被害が甚大につき使用を凍結します。物理的かつ局所的な破壊による無力化が、唯一の現実的解法です』
チハたんの冷静な判断に、わたしは大きく頷いた。
要するに、飛び道具は禁止。自分の手と足を使って、あの巨大なバケモノを物理的に黙らせるしかないということだ。
わたしは、カマヤツさんから譲り受けた(むしり取ったともいう)大鎌を加工して作った愛用の長巻を、両手でしっかりと握り直した。
そこに、横から極めて平坦で、事務的な声が割り込んできた。
「物理的な破壊を試みるのは結構ですが、当てずっぽうに攻撃しても体力を消耗するだけです。あの魔獣は、瘴気を接着剤にして複数の死骸を強制的につなぎ合わせています。その構造的欠陥を突かなければ、完全な沈黙はあり得ません」
声の主は、先ほど暗殺者たちを徹底的な論理で追い詰めた元・聖女のセシールだった。
泥だらけのオーバーオール姿のまま、彼女は恐怖の欠片も感じさせない冷めた目で、暴れ狂う巨獣を観察している。
「欠陥って、具体的にどこよ。教えてくれるなら大歓迎なんだけど」
わたしが尋ねると、セシールは自らの頭を指で軽く叩きながら即答した。
「わたくしの記憶領域にある禁書目録のデータによれば、ああいった急造のキメラ型魔獣は、異なる生物の関節を繋ぎ合わせる際、魔力の伝達に微小なラグが生じます。特にあの個体は、狼の骨格と熊の骨格を接続している右前肢の第二関節部に、瘴気の結合遅延が明確に見られます」
彼女は、まるで数学の証明問題を解くような淀みない口調で続けた。
「遅延時間は〇・五秒。魔獣が右前肢に体重を乗せ、次の動作へ移行する瞬間にのみ、その関節部の防御力は著しく低下します。そこを正確に切断すれば、全身の魔力循環ネットワークが崩壊し、自重を支えきれずに倒れるはずです」
〇・五秒の隙。
普通の人間からすれば一瞬の出来事だが、魔素の身体で極限まで思考を加速できるわたしと、雷の魔法で神経伝達を底上げしている獣人兄弟からすれば、十分に捉えられる時間だ。
「最高のナビゲートだね。やっぱりあんたの頭脳、ポンコツにしとくには惜しいよ」
「わたくしはポンコツではありません。現在環境へ最適化中の、極めて優秀な労働力です」
不満げに口を尖らせる元・聖女を背後に残し、わたしは限界まで魔素の出力を引き上げた。
視界が少しだけ青白く染まり、周囲の時間の流れが遅くなる。
わたしは深く息を吸い込み、前線で奮闘している兄弟に向かって叫んだ。
「サンダー! ライガー! ちょっとだけ力を貸して!」
わたしの声に、巨大な前脚と格闘していたサンダーが視線だけをこちらに向けた。
「領主の嬢ちゃんか! なんだ、手伝ってくれるのか!」
「あいつの右前脚の関節を狙う! 二人はあいつの注意を引いて、右側に体重をかけさせて! タイミングはわたしが合わせるから!」
「右に体重をかけさせるんだな。……上等だ、やってやるぜ!」
サンダーとライガーの兄弟は、言葉を交わすことなく完璧な連携を見せた。
弟のライガーが魔獣の左側面へ執拗な爪の攻撃を仕掛け、わざと隙を見せて後退する。魔獣の意識が左へ向いた瞬間、兄のサンダーが残る全魔力を解放し、魔獣の左半身に向かって全力の体当たりを敢行した。
重量級の獣人が決死の覚悟で放った突進。
たまらず、魔獣の巨体が大きく右側へと傾いた。その巨大な質量を支えるため、キメラは無意識のうちに右前脚を大きく踏み出し、大地に爪を食い込ませる。
右前脚に、全体重が乗った瞬間。
セシールの言った「〇・五秒の結合遅延」が発生する、その絶対的な隙。
わたしは、地を蹴った。
ただの跳躍ではない。魔素を爆発的に噴射し、大気を蹴りつけるような空中機動。
瞬きをするよりも速く、わたしは魔獣の右前脚の真横に到達していた。
振り上げた長巻の刀身が、二つの太陽の光を反射して青白く輝く。
「ここっ!」
渾身の力で振り下ろした刃が、魔獣の右前脚の第二関節へと吸い込まれていく。
硬い外皮を切り裂き、瘴気の接着剤で無理やり繋ぎ合わされていた骨と骨の隙間へ、長巻の刃が完璧な角度で滑り込んだ。
分厚いゴムの束を巨大な鋏で断ち切るような、極めて重たく、それでいて確かな切断の感触が両腕に伝わってくる。
次の瞬間、魔獣の右前脚が、関節の半ばから不自然な角度でへし折れた。
支えを失った数トンの巨体が、重力に従って前傾姿勢のまま崩れ落ちる。
地響きとともに、魔獣の顎が村の泥濘へと深く突き刺さった。広場の泥水が滝のように跳ね上がり、周囲に降り注ぐ。
「まだだ! 完全に動きを止める!」
わたしは魔獣の頭部に着地するなり、長巻の柄を魔獣の首の骨の隙間に強引にねじ込んだ。
そして、その柄をテコのように使い、魔素の脚力で魔獣の首を強引に反り上げ、自らの腕と脚を絡めて巨大な頸椎を完全にロックする。
前世のプロレス番組で見た関節技の応用、というよりは、力任せの巨大泥んこプロレスである。普通の人間のサイズでは絶対に不可能な芸当だが、魔素ボディの出力と、長巻という強靭な金属の棒を補助具として使えば、巨獣の首を締め上げることも不可能ではない。
「サンダー! ライガー! 脚を抑えて!」
「おうよっ!」
兄弟が魔獣の後ろ脚と胴体にのしかかり、暴れる巨体を完全に地面へ縫い付ける。
わたしは全身の魔素を腕に集中させ、テコにした長巻をさらに強く引き絞った。
魔獣の喉の奥から、空気が漏れるような情けない音が響く。
関節を切断され、魔力循環ネットワークが破壊された上に、首の骨を強烈な力で極められているのだ。いくら瘴気で動く化け物とはいえ、物理的な構造の限界を超えれば動けなくなる。
やがて、魔獣の巨体を覆っていた紫色の瘴気が、行き場を失った煙のように薄れ、霧散していった。
抵抗する力が完全に抜け、巨大な肉の塊は泥の中にだらりと横たわり、完全な沈黙を迎えた。
静寂が訪れた。
数秒後、避難していた難民たちの中から、恐る恐る顔を出した誰かが歓声を上げた。それを皮切りに、村全体を揺るがすような怒涛の歓喜の声が湧き起こる。
わたしは魔獣の頭の上から飛び降り、泥だらけになった手をポンパンと払った。
息を弾ませながら、サンダーとライガーが近づいてくる。彼らも全身泥と擦り傷だらけだが、その顔には確かな達成感が満ちていた。
「嬢ちゃん……いや、領主様。すげえ技だったな。あんなデカ物の首を極めちまうなんて、帝国の軍隊でも見たことねえぜ」
サンダーが白い歯を見せて笑う。
「二人こそ、最高のタイミングだったよ。これで安心して芋のおかわりができるね」
わたしがそう言うと、兄弟は照れくさそうに頭を掻いた。
そこへ、騒ぎを聞きつけたエルサちゃんとリクウさんが、エルドを伴って慌ただしく駆けつけてきた。
彼らは倒れ伏した巨大な魔獣の死骸を見るなり、目を見張った。だが、その驚きは恐怖によるものではなく、極めて現実的で計算高いものだった。
「これは……素晴らしい」
リクウさんが、魔獣の毛皮を撫でながら、商人の目をギラギラと輝かせる。
「瘴気が完全に抜け落ちたことで、素材としての価値が跳ね上がっています。この狼の頭部の牙、熊の胴体の強靭な毛皮、そして蛇の鱗。どれも自由都市の市場へ持ち込めば、金貨が山のように積まれる極上の特産品ですぞ」
その隣で、エルサちゃんが木板の帳簿に猛烈な勢いで何かを書き込んでいる。
「毛皮と骨格は商業長官に売却を許可します。ただし、売上の六割は村のインフラ整備費として徴収します。そして、残された膨大な肉の部位……瘴気が抜けたとはいえ念のための毒味は必要ですが、もし食用に耐えうるのであれば、これで当面の難民の食肉問題は完全に解決しますわ! 素晴らしいカロリーの塊です!」
貴族令嬢と豪商が、巨大な死骸の前でがっちりと握手を交わしている。
暗殺者が放った最悪の恐怖の象徴すらも、この村のたくましい行政官と商人の手にかかれば、数分後にはただの「臨時ボーナス」として解体されてしまうのだ。
資本主義と社会主義が、肉の塊の上で奇跡の融合を果たしている。
わたしは、その逞しすぎる光景に呆れ果てながら、大きく息を吐き出した。
「……たくましいね、うちの村の幹部たちは」
『千波。彼らの合理的判断は賞賛に値します。廃棄物を資源に転換する能力こそ、持続可能な社会の絶対条件です』
チハたんも、どうやらこの強欲な展開がお気に召したらしい。
わたしは視線を転じ、騒動の元凶となった三人の工作員の元へと歩み寄った。
彼らは自ら起動した魔道具の副作用で体力を奪われ、地面に転がったまま苦悶の表情を浮かべていた。
その前には、泥だらけのオーバーオールを着たセシールが、仁王立ちになって彼らを見下ろしている。
「ですから、初めから言ったはずです。貴方たちの計画は前提から破綻していると。大惨事を引き起こして村を更地にしようとしたようですが、結果として村に莫大な物資と食肉を提供しただけでしたね。これほどまでに費用対効果の悪い破壊工作は、歴史の教科書に反面教師として載せるべきレベルです」
セシールの淡々とした、しかし殺傷能力の極めて高い言葉の刃が、工作員たちのプライドを最後の一片までズタズタに切り裂いていく。
彼らは顔を真っ赤にして何か言い返そうとしたが、そこにサンダーとライガーが立ちはだかり、指の関節をポキポキと鳴らした。
「こいつらはどうする、領主様。俺たちで少しばかり『教育』してやろうか?」
獣人兄弟の凶悪な笑みに、工作員たちは今度こそ完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げて抱き合った。
「教育はお任せするよ。命までは取らない程度にね。終わったら、村の境界線の外に放り出しておいて。……ああ、持ってる金目のお金と装備は全部置いていってもらってね。エルサちゃんとリクウさんが黙ってないから」
わたしの無慈悲な宣告に、工作員たちは涙を流して絶望した。
教会の誇る特務工作員たちも、この泥だらけの資本主義キャンプの前では、ただの迷惑な不用品提供者でしかなかったのだ。
騒動が終わり、村人たちが魔獣の解体作業に向けて活気づく中、わたしは大きく背伸びをして、夕暮れの空を見上げた。
二つの太陽が、西の森の向こうへと沈んでいく。
人口が増え、内政が対立し、暗殺者がやってきて、怪獣が暴れる。
普通ならとっくに崩壊していてもおかしくない状況なのに、この村は奇妙なバランスを保ったまま、以前よりもさらにしぶとく、逞しく成長している。
エルサちゃんが秩序を守り、リクウさんが経済を回し、獣人たちが力仕事を引き受け、セシールが冷徹な論理で穴を塞ぐ。
そしてわたしとチハたんが、どうしようもない暴力から彼らを守る。
なんだか、いよいよ本格的な独立国家みたいになってきたじゃないか。
「……お腹空いた。今日の夕飯は、魔獣の焼肉かな」
わたしはポケットの中で潰れかけていた塩茹で芋を取り出し、一口かじった。
土の匂いが混じったその味は、トラブルまみれの一日を締めくくるには、最高に相応しい味がした。
星の運命だの、女神のシステムだの、難しい話はまだ空の上にある。
とりあえず今は、このやかましくて愛おしい日常を、お腹いっぱい噛み締めることだけを考えよう。
わたしは、笑い声の絶えない村の中央広場へと、軽い足取りで戻っていった。




