61、難民キャンプは資本主義の夢を見るか
「世の中、金がすべてじゃない」なんていう綺麗事は、預金残高が八桁を超えている人間か、あるいは今日の夕飯の心配をしたことがない人間のどちらかしか口にしてはいけないと、わたしは前世の日常生活の時点で薄々勘付いていた。
だが、まさか剣と魔法、そして少々のポンコツ機械が入り乱れるこの異世界において、その真理を物理的な重みとともに思い知らされることになるとは夢にも思わなかった。
事の発端は、あの大仰な名前を持つ神聖大八洲魔導帝国とやらの先遣隊を、泥んこ遊びの延長戦でフルボッコにしてやったあの日に遡る。
彼らが森のど真ん中に放棄していった、暗緑色に塗られた分厚い装甲車の残骸や、無人ドローンのスクラップ、そして兵士たちが落としていった武器弾薬の山。
わたしたちからすれば「片付けるのが死ぬほど面倒くさい粗大ゴミ」でしかなかったそれらは、行商人ガメッチの濁った瞳を通すと、まばゆいばかりの金脈に見えたらしい。
「千波様、こいつは歴史的な大発見でさぁ。帝国の装甲技術の粋を集めたこの特殊合金、西の自由都市の裏ルートに流せば、教会の連中だろうが各国の王族だろうが、目の色を変えて飛びついてきますぜ」
そう言って揉み手をしながら現れたガメッチは、文字通り私財を投げ打って大量の荷馬車と人足をどこからか手配し、不眠不休で粗大ゴミの解体と搬出をやってのけた。
その見返りとして村にもたらされたのは、これまで見たこともないような大量の塩、上質な布地、各種の工具、大工道具、そして保存食の山だった。
資本主義の血も涙もない錬金術である。
だが、問題はここからだった。
ガメッチが外部の市場に大量の「帝国の遺物」を放出した結果、周辺諸国にひとつの信じがたい噂が風に乗って爆発的に広まってしまったのだ。
曰く、「教会の立ち入り禁止区域である深い森の奥に、帝国の最新鋭機甲部隊をも退ける、圧倒的な武力と富を持った亜人たちの独立国家が存在する」と。
尾ひれに背びれ、さらには胸びれまでついたその噂は、絶望的な環境で生きる人々の耳には、まるで地上の楽園が存在するかのように響いたのだろう。
結果として、わたしたちの村、通称「千波領」は、現在進行形でとんでもないことになっていた。
「……ねえ、チハたん。なんか、また村の境界線の外側にテントが増えてない?」
わたしは、村の中央広場に新設された立派な見張り台(ガメッチが持ち込んだ工具で若者たちが一日で組み上げた)の上から、遠い目をしながら呟いた。
『肯定します。昨晩の時点で、村の周囲に設営された仮設住居の数は百二十を突破しました。現在もなお、南方の街道および西の獣道から、難民とおぼしき集団が断続的に流入し続けています』
チハたんの電子音声は、いつも通り感情の起伏を感じさせない平坦なものだったが、報告してくる数字の破壊力は凄まじかった。
「百二十って……それ、もう村の人口超えてるよね?」
『はい。現状の居住区画内に収容可能な定員を二五〇パーセント超過しています。インフラストラクチャーの拡張工事が全く追いついていません』
わたしは額を押さえた。頭痛が痛い、という文法的に間違った表現をリアルに体感している。
村の周囲にひしめき合っているのは、教会の過酷な異端審問から逃げ出してきた人族の家族連れ、帝国軍の強制労働を脱走してきた元奴隷の獣人たち、さらには「ここでなら自由に商売ができる」と勘違いしてやってきた怪しげな香具師まで、まさに多国籍、多種族のるつぼと化していた。
安全で豊か。
その二つの条件が揃った場所に、弱い立場の人間が雪崩を打って押し寄せるのは、重力が上から下へ働くのと同じくらい自然の摂理なんだと思う。
でも、受け入れる側からすれば、これはもはやテロリズムに近い。
見張り台の下では、掲示板の管理を任されている元・教会の書記官であるエルドが、山のように積まれた木簡と羊皮紙の束に埋もれながら、半泣きで悲鳴を上げていた。
「千波殿! 千波殿はいらっしゃいませんか! 第三居住区の予定地で、犬耳の部族と帝国からの脱走兵が井戸の掘削権を巡って乱闘騒ぎを起こしています! さらに、昨夜到着した難民のグループで原因不明の発熱者が三名……!」
「あー、聞こえない。わたしは今、心の平穏を保つための瞑想時間に入っているの。世俗の瑣末な事象はすべて大宇宙の意志に委ねることにしたから」
わたしは両耳を塞ぎ、目を閉じて現実逃避のポーズをとった。
『千波。現実逃避は問題の先送りに過ぎず、結果として後のタスクの難易度を倍加させるだけです。至急、事態の収拾に当たることを推奨します』
「うるさいな、正論マシーン! わたしはただの高校生だったの! 都市開発シミュレーションゲームの市長じゃないんだから、下水道の配管ルートとか人口密度の調整とか、そういう高度な行政手腕を求められても困るの!」
『市長ではなく領主です。あなたがご自身の口で「この村を守る」と宣言した以上、付随する統治責任から逃れることは論理的矛盾を生じさせます』
チハたんの冷徹なツッコミに、わたしは反論の言葉を見つけられず、深いため息とともに見張り台の階段を降りた。
言ったさ。確かに言った。この泥臭い日常を守るって、かっこつけて言っちゃった。
でも、まさかその日常が、スライムの分裂みたいな速度で増殖して、巨大な難民キャンプへと変貌するなんて、誰も予測できないわよ。
村の広場を歩いているだけで、次から次へと人がすがりついてくる。
「精霊様! どうか我々にお慈悲を!」
「千波領主様、西の森を少し切り拓く許可をいただきたく……」
「おらが村から持ってきたこの秘伝の漬物をぜひご賞味を……!」
わたしはそのすべてに曖昧な笑顔で頷き、「あとで掲示板に書いておいてね」という魔法の言葉でなんとかその場を切り抜けていった。
もはや、誰が昔からの村人で、誰が昨日来たばかりの難民なのか、顔と名前を一致させることすら不可能な規模になっている。
そんな大混乱の村の中を、頭痛と戦いながら歩いていた時だった。
村の境界線、急造の木柵の近くで、タゴサックさん率いる警備隊の獣人たちが、何やら一人の男を囲んで物々しい雰囲気になっているのを発見した。
「おい、千波様を呼んでこい! 妙な奴が森から這い出てきやがった!」
タゴサックさんの怒鳴り声に、わたしは嫌な予感を抱えながら小走りで近づいた。
「どうしたの、タゴサックさん。また面倒なお客さん?」
「千波様。こいつ、どう見ても普通の難民じゃありませんぜ。身なりはボロボロですが……」
タゴサックさんが指差した先にいたのは、泥と落ち葉にまみれ、全身に無数の擦り傷を作った男だった。
身に纏っているのは、かろうじて原形を留めている、泥だらけの褌のような布切れ一枚。ほぼ全裸に近い状態である。
髪はボサボサに伸び放題で、目は落ち窪み、まるで三日三晩、森の中をあてどなく彷徨い歩いた亡霊のような風体だった。
だが、その男の顔には、見覚えがあった。
つい先日、わたしが長巻を突きつけて降伏させ、「自力で国に帰れ」とパンツ一丁で森に放り出した、あの帝国軍のエリート将校。
「……ヴィルヘルムさん?」
わたしがその名前を口にすると、男はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
濁った瞳がわたしを捉えた瞬間、彼の目から滝のような涙が溢れ出した。
「た、助けてくれぇぇぇっ!!」
かつてのプライドも、軍人としての威厳も、すべてをかなぐり捨てた、魂からの絶叫だった。
彼は地面に這いつくばり、わたしの足元にすがりつこうと手を伸ばしてくる。タゴサックさんが慌てて槍の柄でその手を払いのけたが、ヴィルヘルムは構わず土下座の姿勢で地面に額を擦り付けた。
「なんだって、あんたがここに戻ってくるのよ。国に帰れって言ったでしょ」
わたしが冷ややかに見下ろすと、彼はしゃくり上げながら必死に弁明を始めた。
「む、無理だ……! あんな森、丸腰の人間が生きて抜けられるわけがない! 夜になれば見たこともない巨大な獣がうろつき、昼間は毒を持った虫が飛び交う……三回死にかけた。いや、五回だ……!」
まあ、そうだろうなとは思う。
このファンタジー世界の森は、現代の登山道のような生易しいものではない。完全武装の軍隊ですら苦労する魔境を、下着姿のおっさんが一人で踏破できる確率など、限りなくゼロに近い。
「それに……」
ヴィルヘルムは、さらに絶望的な声を出した。
「仮に……奇跡的に国へ帰り着けたとしても、私は終わりだ。最新鋭の機甲部隊を率いておきながら、旧式の戦車一台と未開の村の亜人どもに敗北し、部隊を全滅させて、自分一人だけが下着姿で逃げ帰ったなどと報告すれば……軍法会議にかけられるまでもなく、その場で銃殺刑は免れない……!」
彼の言葉には、圧倒的なリアリティがあった。
軍国主義国家において、無能と敗北は死を意味する。最新鋭の兵器をスクラップにして帰ってきた将校を、温かく迎え入れてくれるほど帝国は甘くないのだろう。
「私はもう、帝国には戻れない。戻る場所がないのだ……! 頼む、この通りだ! 奴隷でも、下働きでもなんでもする! だから、どうかこの村の片隅に置いてくれ! 森に放り出されるくらいなら、泥水を啜ってでもここで生きたい!」
わたしたちの村を「一晩で更地にしてやる」と豪語し、獣人たちを「泥水すする労働資源」と蔑んでいた男が、今、自ら進んでその泥水を啜らせてくれと懇願している。
因果応報といえばそれまでだが、あまりにも情けない姿に、怒りよりも先に呆れが勝ってしまった。
「千波様。こいつは帝国軍の将校ですぜ。村に置いておくのは危険すぎます。スパイとして送り込まれた可能性も……」
タゴサックさんが警戒心を露わにするが、わたしは首を横に振った。
「スパイがパンツ一丁で三日も森をさまよって、栄養失調寸前で現れるわけないでしょ。ガチの脱走兵だよ、これ」
わたしはため息をつき、頭を掻いた。
放り出せば、彼は間違いなく森で魔獣の餌になる。それはそれで寝覚めが悪い。
かといって、こんな男を村の治安維持や建設作業に回せば、村人たちとの間でトラブルが起きるのは火を見るより明らかだ。
『千波。当機からの提案です』
チハたんの音声が脳内に響く。
『対象のプライドを根底から解体し、かつ村の生産性に寄与させるための、最適な配属先が存在します』
「……どこ?」
わたしは、チハたんの提示した解に、思わず口元を引きつらせた。
なるほど、悪魔の所業である。だが、これ以上に完璧な配置転換は存在しない。
「ヴィルヘルムさん」
わたしは、地面にひれ伏している男を見下ろして言った。
「下働きでもなんでもするって、言ったよね?」
「あ、ああ! 誓う! 帝国軍人の名誉にかけて!」
「その名誉はもう捨てたんでしょ。まあいいや。タゴサックさん、この人を第一農区の責任者のところへ連れて行って」
タゴサックさんが怪訝な顔をする。第一農区の責任者といえば、あそこしかない。
「あそこへ、ですか? しかし、あの畑の主は……」
「いいの。あそこの人手は常に不足してるみたいだし、ちょうどいい『指導者』がいるからね」
数十分後。
村の端に広がる、異常なまでに整然と耕された広大な畑。
そこに、ヴィルヘルムは連行された。
彼は渡された粗末な麻布の服を身に纏い、手には使い込まれた重い鍬を握らされていた。
そして、彼の目の前に立っているのは、泥だらけの作業着姿でありながら、なぜか近寄り難い荘厳な空気を放っている男――元・教会の異端審問官、ザキであった。
ザキは、連れてこられたヴィルヘルムを上から下まで、品定めするように冷ややかに見下ろした。
「……なんだ、この軟弱な身体は。土を舐めているのか」
ザキの第一声は、相変わらず容赦がなかった。
ヴィルヘルムは、目の前にいる男のただならぬ気配に圧倒され、思わず後ずさった。
「き、貴様……どこかで……。その金色の瞳……まさか、教会の『魂を裁く者』……異端審問官か!?」
帝国のエリート将校であれば、教会の高位役職者の特徴くらいは知識として頭に入っているのだろう。ヴィルヘルムの顔色が、恐怖でさらに白く色抜けた。
「過去の肩書きなど、この畑では無意味だ」
ザキは鍬を軽々と持ち上げ、肩に担いだ。
「ここでは、俺が法だ。土の呼吸を乱す者は、容赦なく排除する。お前が帝国の将校だろうが、王族だろうが関係ない。鍬を持ったからには、命を懸けて土と向き合え」
ザキの背後から立ち昇る、農業に対する異常なまでの執念と殺気。
ヴィルヘルムは、自分がとんでもない場所に放り込まれたことを悟り、膝を震わせた。
「さあ、始めろ。まずはあの畝の雑草を根から抜け。葉だけを千切るような怠慢を見せたら、その手を切り落とす」
「ひぃぃぃっ! や、やりやす! やらせていただきます!」
帝国のエリート将校が、教会の元異端審問官の下で、怯えながら土下座の勢いで雑草を抜き始める。
イデオロギーも、国家の誇りも、宗教的対立も、すべてが「農作業」という絶対的な物理法則の前に平伏した瞬間だった。
わたしは、少し離れた場所からその光景を眺め、深く長いため息をついた。
「……なんというか、カオス極まれり、だね」
『千波。これで労働力の確保と、危険分子の監視が同時に行えます。極めて合理的な人事配置です』
チハたんは満足げに言うが、わたしの頭痛は全く治まっていなかった。
村の人口は増え続け、教会と帝国の元エリートたちが畑で一緒に泥まみれになっている。
ガメッチはさらに怪しげな商売のルートを開拓しようとしているし、えんやこらさんズは相変わらず意味不明な光の乱舞を続けている。
「これ、本当にどうなっちゃうんだろうね、わたしたちの村」
見上げれば、二つの太陽が、この混沌とした小さな領地を平等に照らしている。
資本主義と、農業と、元女子高生の適当さが入り混じったこの難民キャンプは、果たしてどこへ向かうのか。
一つだけ確かなことは、明日の朝もまた、山のようなトラブルが掲示板に書き込まれているということだけだ。
「まあ、いっか。とりあえず、今日のご飯が美味しければ」
わたしは伸びをして、騒がしい村の中心へと歩き出した。
泥沼の三国志の火種を抱えながら、わたしたちのやかましい日常は、まだしばらくの間、ブレーキを壊したまま転がり続けていきそうだった。




