★1:幕間 人身事故
無限ループ。
その日、私はどうかしていた。
まず、朝から調子が悪かった。
ボーッとしていた。
疲れが溜まっていたのだろう、なんて言われれば、そりゃそのとおりなんだけど、当然のことながら疲労はその日にかぎった話ではない。
この国の労働者は例外なく全員、疲労という名の病気にかかっているのだ。
私の場合、そこに加えて、最近赴任してきた要領の悪い上司から無意味なサービス残業とセクハラワードをたっぷりサービスされ、イライラという名の装飾過多なデコレーションに連日うんざりしていた。
まあ、要領の悪い上司なんてそれこそ世界中で大量生産され、在庫処分の大安売りでばら撒かれ、もはやどこにでも存在してるんだろうな。
頭上で、アナウンスがループしている。
夕暮れ。駅のホーム。
いつもの会社の帰り。
いつもの風景。
いつもの電車を待ち、いつもの電車に乗り、ひとり暮らしのアパートへ帰り、いつもの明日が来て、いつものように家を出て、またいつもの時間にこの場所に立つ。
無限ループだ。
早くbreakしなければ。
広告の看板が経年劣化でくすんだ色をしている。
途中で寄ったコンビニの袋がバッグから顔を覗かせている。
私はアナウンスと脳内で会話してみる。
あれ?
ひょっとして、本日初会話?
そういえば今日は会社で誰とも会話した記憶がない。
まあ今日、にかぎらず、いつものことなんだけど。
私はいつ以来人と話をしてないんだろう。
……いや、やめだ。
こんな計算に脳のメモリを使うのはやめよう。
私はスマホを取り出してアプリを起動した。
更新時間をまたいだ瞬間、本日の更新を素早くチェックする。
このソシャゲはプレイしてけっこう長い。
おそらく今では古参中の古参だし、部類としては廃課金の部類だろう。
私みたいな量産型の底辺SEの給料でも、毎月ほぼ全てをつぎ込み続ければちゃんとトップ勢に君臨できるのだ。
そこらへんの調整も、このゲームを気に入っている理由のひとつ。
ゲームは好きだ。
現実より、少しマヌケな感じがするあたりが。
誰も知らないマイナーゲームも好き。
掘れば掘るほど、おもしろいゲームはこの世にたくさんある。
私は更新板をスクロールし、そこでふと、違和感を覚えた。
中ほどにある、見憶えのないタイムイベント。
なにこれ?
更新板を何度も何度も読み返す。
やがてすべてを理解し、私は愕然とした。
うっかりしていた。
期間限定の大事なイベントを、逃してしまっていた。
これまで、絶対にこんなうっかりミスをしないよう、細心の注意を払ってスケジュール管理をし、毎日の更新は欠かさず漏らさずチェックし、トップ勢の座を死守してきたのに。
……よりによって、今回のこのうっかりは非常にマズい。
それは運営からの、サプライズ的なタイムイベントだった。
しかしこのサプライズは、予測できたはずだった。
もうすぐかなりの大金をかけた大掛かりなコラボイベントが予告されていたからだ。そして以前も同じようなイベントで、運営はその直前にサプライズを仕掛けてきた。
だから、充分予測可能だったはず。
私は思わず眉間を押さえて目を閉じた。
失敗の原因は4つ。
1)今朝、途中で忘れ物に気づいて慌てて引き返し、気が動転して、日課である朝のログインを怠ったこと。
2)その忘れ物というのは急遽イレギュラーにぶち込まれた案件で、そのおかげでいったんすべてのスケジュールが狂わされたこと。
3)そのせいで遅刻して、ここぞとばかりに上司に叩かれてマッハなストレスを鎮めるのに忙しくて昼のログインすら怠ってしまったこと。
4)それらのタイミングと、運営がサプライズを仕掛けるタイミングが、不運にも重なってしまったこと。
要は、私のミスだ。
タイムイベントはすでに終了しており、もう取り返しがつかない。
そこで手に入れられるはずのアイテムを手に入れていないので、次のコラボイベントで、今のトップの座を守るのは、もはや不可能だろう。
アナウンスがループしている。
ふいに、なぜか、懐かしいにおいを感じた。
その瞬間、すごい脱力感が襲ってきて少しよろけた。
なんだろう。
何もかも、急にバカらしくなった。
なんか、恥ずかしいな。
そう、
その日の私は、どうかしていたのだ。
たくさんの愛すべきキャラクターたち。
愛おしい幻想的な世界。
でも、なんだろう。
それはあくまで、ただのデータで、
本当はこの手には、何も持ってないや。
私は気づいてしまった。
本当は、何も、残ってないや。
周囲の人たちの言うとおりに、やってきたのにな。
真面目に生きてきたのにな。
いい塾に通って、いい大学に入って、いい企業に就職して、そして毎日毎日誰とも話さず、ソシャゲばっかりやっている。
何やってるんだろう、私。
何に囚われていたんだろう、私。
ちゃんとしないと。
しっかりしないと。
もう、おしまい。
おしまいにしよう。
アナウンスがループしている。
私はスマホを素早く操作した。
ゲームのメニュー画面の歯車マークをタップし、
「アカウント削除」
本当によろしいですか?
“YES”
データを消してしまうと、晴れやかな気分だった。
これまで膨大な資金と時間を費やして積み重ねてきたものが、跡形もなく消えた。
それは本当に、跡形もなかった。
私はスマホの電源を切って、ベンチの隅っこに丁寧に置いた。
くるっと背を向け、私は歩き出した。
掌の中の満たされた世界。
生活の隙間を、埋めてくれていたもの。
考えたくないことを、考えないでいさせてくれたもの。
決断しなきゃいけないことを、引き延ばしてくれていたもの。
引き延ばすのを、許してくれていたもの。
そうしているあいだは、幸せだった。
それに夢中になっているあいだは、幸せだった。
今までありがとう。
バイバイ。
ちら、と目をやると、ちょうどホームに快速電車が向かってくるところだった。
私は晴れ晴れとした気分で、白線の外側へ飛び出した。
※
人身事故のアナウンスがループしている。
その影響でしばらくのあいだ一部の区間に遅延が出て、うんざり感が3ミリグラムほど人びとの頭の上に降って、すぐに溶けて消えた。
こうした人身事故が起きないように、各駅にホームドアの設置が進められているが、それでもまだすべての駅に設置されているわけではないから、今なお発生している。
現場では、清掃員たちの手によって、速やかに清掃がおこなわれ、事故の痕跡はすぐに跡形もなく消え去った。
高気圧が街を覆っている。
コンビニではペットボトルの飲料が山のように売れ、IT業界では新製品が発表され、世界情勢は相変わらず激しい弁論バトルを繰り広げていた。電気街には外国人が殺到し、年老いた国民は老後の人生を謳歌していた。
その日、駅が線路ごと世界から消滅した。




