記録された身体
第二王子の追加記録が届いたのは、近衛兵の処置記録を書き終えて間もなくだった。
リゼットが束を受け取ったところで、記録部の職員が言った。
「監察官も来ています」
「監察官?」
「王族の事故死ですから。移送と警備の確認だそうです」
リゼットは記録の束を机へ置いた。
ほどなく、男が処置室の外へ現れた。
濃い栗色の髪。暗い色の上衣は余計な飾りがなく、王宮で働く者としても地味な部類に入る。眼鏡は掛けていない。
「王宮監察官、セドリック・ハルヴェイです」
低い声で名乗った。
「リゼット・オルディスです」
「第二王子殿下の遺体受領記録を確認したい」
「記録部にもあります」
「そちらは確認します。葬送官が受領時に作成したものも見ます」
リゼットは自分の記録を渡した。
セドリックは立ったまま読み始めた。
ページをめくるのが速い。
ただし流し読みではないらしく、ときどき前の頁へ戻る。
「死亡確認書は受領済み」
「はい」
「身元確認も済んでいる」
「そう聞いています」
セドリックの視線が紙から上がった。
「聞いている?」
「私が確認したわけではありません」
「指定された者による本人確認は行われています」
「記録にはそうあります」
一拍、間があった。
「記録上、本人確認は済んでいます」
セドリックが言った。
リゼットは処置台の方を見た。
「記録にそうあることと、身体がそうであることは同じではありません」
今度は、セドリックが黙った。
不機嫌になったようには見えない。
ただ、何を根拠に言っているのか待っている顔だった。
「何かありますか」
「右肩です」
リゼットは処置記録を開いた。
幼少期の深い裂傷。
同じ位置に痕はある。
だが、長く治癒した傷として触れたときの状態が、古い身体記録の記載と微妙に噛み合わない。
そこまで説明すると、セドリックは記録を読んだ。
「同じ位置には痕がある」
「あります」
「では、違うと立証できますか」
「できません」
答えるのに時間はかからなかった。
セドリックが顔を上げる。
責めるような調子ではなかった。
「なら、現時点では、身元確認済みという記録を覆す材料にはならない」
「覆すとは言ってません」
「では、何を言っています?」
「合わないところがある、と言っています」
セドリックは少し考えた。
「違う身体だとは言わない」
「言えません」
「しかし一致しているとも書かない」
「合っていないから」
「その差が記録の問題だった場合は?」
「それを確認するために記録を見ています」
セドリックの眉がわずかに動いた。
「分かりました」
納得したというより、話を進めることにしたようだった。
追加で届いた身体記録を二人で確認する。
リゼットが最初に見た記録より古いものも含まれていた。
セドリックは年代を追い、リゼットは傷に関する記載を拾う。
しばらくすると、別の問題が出てきた。
「これは同じ傷ですか」
セドリックが一枚を差し出した。
右肩の傷について書かれている。
だが、最初に見た記録とは表現が違う。
「同じだと思います」
「こちらには深い裂傷とは書いていない」
「場所と時期は合ってる」
「では、どちらが正しい?」
「分かりません」
別の記録には長さが書かれていた。
さらに別の記録には、右肩の古傷とだけある。
記した医官も違う。
同じ身体を扱った記録なのに、情報の細かさが揃っていなかった。
「かなり違いますね」
セドリックが言った。
「医官が見たいものは、その時の診療に必要なことだから」
「葬送官とは違う?」
「私たちは後から身体を確認することがある」
「だから昔の傷も詳しく残してほしい」
「残ってる方が助かる」
「しかし当時の医官は、二十年後の葬送官のために診療記録を書いているわけではない」
「そうね」
言われると、そのとおりだった。
リゼットは一枚ずつ並べ直した。
肩の傷は存在した。
そこは複数の記録が一致している。
深さについては揺れる。
形についても詳しいものと曖昧なものがある。
この記録群だけを見るなら、目の前の痕との違いを、古い記録の不正確さで説明することもできた。
それは、リゼットにとって都合のよい結果ではない。
だが、都合は関係なかった。
「この記録なら」
リゼットは一枚を指した。
「今の肩でも説明はできる」
「では問題はない?」
「そこまでは言ってない」
セドリックが息を吐いた。
「難しいですね、あなたの答えは」
「身体は書類みたいに欄が揃ってないから」
「書類も今、揃っていないと確認したところですが」
リゼットは彼を見た。
セドリックもこちらを見ていた。
冗談なのかどうか判断しにくい顔だった。
「それはそうね」
先に記録へ目を戻した。
セドリックは次に、受領までの流れを確認した。
死亡確認から身元確認、移送、葬送院への引き渡しまで、一つずつ誰がどこで確認したかを追っていく。
リゼットには、そこまでの書類を細かく読む必要は普段ない。
遺体が正式に引き渡されれば、自分は身体を見る。
セドリックは逆だった。
彼は遺体へほとんど近づかず、誰が何時にどの書類へ署名したかを見る。
同じ死者を確認しているのに、見ている場所が違う。
「手についても記録があります」
リゼットが言った。
「異常ですか」
「異常とは書いてない。よく使っていたように見える」
「それだけでは?」
「何とも言えない」
「では、今は肩ですね」
「今は」
セドリックは手の所見も読んだ。
それ以上は言わなかった。
王子なら手が荒れているはずがない、とも、そんなものは意味がない、とも言わない。
書かれているものとして確認しただけだった。
リゼットにとっては、その方がやりやすい。
否定されれば説明しなければならない。
肯定されても困る。
まだ、どちらでもないのだから。
記録の確認が終わる頃には、机の上に何枚もの紙が広がっていた。
セドリックが古い身体記録を順番に揃える。
「現時点では、肩の差だけで身元確認を否定することはできない」
「同意します」
「あなたの記録は?」
「残します」
「相違あり、と」
「そう」
彼は少しだけ考えたあと、頷いた。
「そのまま残してください」
「消すつもりはないけど」
「でしょうね」
初めて、わずかに表情が動いた。
それ以上の意味はなさそうだった。
セドリックは身元確認済みの書類を束へ戻す。
リゼットは右肩の相違を書いた処置記録を閉じた。
どちらも、まだ訂正されなかった。




