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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第五章「生者のための死」

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一人でいる身体

 帰ってから、リゼットは遅い夕食を取った。

 パンと、昨日の残りの肉。林檎を半分。

 温め直す気にならず、肉は冷たいまま食べた。

 一人なら、それで困らない。

 皿を洗い、残った林檎を布で包む。明日の朝に食べればいい。

 服を脱いで寝間着へ替えた。眼鏡は机へ置いた。

 寝台へ入る前に、身体がまだ静まっていないことへ気づいた。


「また」

 理由を探す必要はなかった。

 昼間、狭い机で隣にいたセドリック。紙の上を動いた手。濡れた髪を避けるため、髪ではなく紙をずらした指。

 思い浮かべるまでが早くなっている。

 リゼットは寝台の縁へ腰を下ろし、寝間着の裾を上げた。

 指先で触れる。身体はすぐに応えた。

 もう、そこに驚く段階ではないらしい。

 前の二度より、ためらいは短かった。誰を思い浮かべているのか、自分に隠す必要もない。

 セドリックの手を考えた。自分より大きく、紙を押さえるときには迷いがない。

 その手が仕事とは違う目的で、手首から肩へ、腰へ触れる。知らない感触は想像でしか作れない。それでも嫌ではなかった。


 むしろ、知らないから先を作りたくなる。

 襟元へ触れる指。背中へ回る腕。間近で名前を呼ぶ、いつもより低い声。

 仕事中のように『確認します』と言うのだろうか。

「それは嫌」

 思わず声が出た。

 想像の中のセドリックまで愛想がない。そこだけは妙に正確だった。

 呼吸が深くなる。指を動かす。腿に力が入り、寝間着の布が邪魔になった。

 片手で布を避け、同じ場所へ戻る。

 腰がわずかに動く。自分の指なのに、別の手を重ねて考えるだけで、触れ方まで違って感じた。


 肩へ力が入り、すぐ抜ける。もう一度。

 腹の奥が強く縮んだ。肩が揺れ、短い息が漏れた。

 力が抜けるまで、そのまま座っていた。

「終わり」

 身体はそれで納得したようだった。さっきまでの熱が引いていく。

 触れたい。触れられたい。

 そこまでは、もう分かる。

 けれど、目を閉じると、セドリックは身体から離れたあともいなくならなかった。

 隣で眠る姿ではない。朝の部屋にいる。

 椅子の背には濃い色の上着。机には彼が途中まで読んだ書類。洗い場には二人分の皿。


「朝から紙を広げないで」

 想像の中でも、たぶん聞かない。

 彼は食事を後回しにする。茶が冷めても気づかない。使った物は元の位置へ戻すくせに、調べている途中の紙だけは机を占領する。

 リゼットが林檎を切っても、礼を言いながら書類から目を上げないかもしれない。

 それなら紙を取り上げる。

 そこまで考えて、リゼットは顔をしかめた。

 朝食を出すことも、取り上げる紙があることも、彼が朝までいることを先に決めている。

 一人なら、朝食を抜いても、昨日の残りを食べても、自分だけの問題だった。

 誰かがいれば、そうはいかない。


「面倒」

 そう言いながら、追い出すところは想像しなかった。

 そこが、身体を欲しがることより扱いにくかった。

 身体だけなら、今のように自分で終えられる。相手がいても、終わればそれぞれの場所へ戻ればいい。

 朝は別だった。

 自分の部屋で、自分とは違う順番で動く人間がいる。何を食べるか聞き、出る時刻を確かめ、帰ってきたときにもその人の物が残っている。

 考えるほど、手間が増えた。

 一人で困ったことはない。働き、食べ、眠り、欲しいときには自分で済ませられる。友人も、妹も、姪もいる。

 足りないから誰かを入れたいわけではなかった。

 足りている場所に、それでもセドリックが残ることを、嫌だと思えない。


「困る」

 今度の方が、さっきより本当に困っていた。

 リゼットは立ち上がった。

 椅子に、帰宅して脱いだ上着が掛かっている。片づけようと手を伸ばした。

 その上へ、もう一着が重なる朝を想像した。

 濃い色の男物の上着。

 セドリックなら、そんな雑な掛け方はしないだろう。自分の上着の上へ無造作に重ねるとも思えない。

 それでも、なぜかそう浮かんだ。

 二人分。


 リゼットは伸ばした手を下ろした。

 上着は椅子に残した。


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