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王宮葬儀人 ―リゼット・オルディスの葬送記録―  作者: 高遠雪斎
第五章「生者のための死」

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彼が選んだこと

 予備馬の記録は、翌朝まで待たなかった。

 セドリックは机の上へ残したままだった。

「まだ見るの?」

 リゼットが聞く。

「あなたが見ています」

「そうだけど」

 返却欄。

 事故の知らせを受けたあと、使われないまま回収された一頭。

 エリオ自身が手配を頼んだ馬だった。


「これがなかったら?」

「何がです」

「死ぬつもりだったって考えた?」

 セドリックはすぐには答えなかった。

「証拠が減ります」

「答えになってない」

「死ぬ意思を証明する方が、そもそも難しいでしょう」

「でも危ない役だった」

「はい」


「自分からやった」

「それも確認しました」

「追われるって分かってた」

「分かっています」

「じゃあ、死ぬかもしれないことも」

「予想はできたでしょう」

 リゼットは紙を見る。

「それと、死んでもいいは違う?」

「違います」

 短かった。


「どこが」

 セドリックは予備馬の記録を指した。

「本人が事故前にした準備です」

 次に地図。

 分岐。

 予備馬。

 再集合地点。

「追跡を引き受ける」

 一つ。


「途中で車両から離脱する」

 二つ。

「この馬へ乗り換える」

 三つ。

「その後、別の場所で合流する」

 四つ。

「少なくとも、確認できる計画にはその先があります」

「事故のあとも」

「生きて行動する前提です」


 リゼットは椅子へ座り直した。

 当たり前だった。

 使うための馬。

 合流するための場所。

 死ぬ人間には必要がない。

「でも、危険を軽く見てたかもしれない」

「それはあります」

「絶対逃げられると思ってたとか」

「それも分かりません」


「死なない自信があった」

「そこも」

「何なら言えるの」

 セドリックは怒らなかった。

「エリオ・レンは、危険があることを理解した上で、自分が王子らしく見える側へ乗ると申し出た」

「うん」

「そして、その役を終えたあとも生存して行動する準備をしていた」

「うん」

「そこまでです」


 紙にすると短い。

 だが、今までよりエリオ本人に近かった。

 誰かが「彼なら」と言った話ではない。

 自分で頼んだ馬。

 自分で言った乗員変更。

 自分で扱った王族用品。

 本人がしたことだった。

「オスカーは」

 リゼットが言う。


「聞けたなら、あの人は承知したって思ってる」

「そうでしょうね」

「間違ってる?」

 セドリックは少し考えた。

「考えとしては理解できます」

 意外だった。

「認めるの?」

「オスカーはエリオを長く知っています。殿下を守るために危険な役を自ら引き受けた事実も、結果として彼の理解を補強します」

「じゃあ」

「それでも記録にはできません」

 リゼットは眉を寄せた。


「何で」

「本人へ聞いていないからです」

「でも死んでる」

「はい」

「もう聞けない」

「だから、聞けたことにはできません」

 言い方は簡単だった。


「もし生きてたら、エリオは『いい』って言ったかもしれない」

「かもしれません」

「絶対嫌だって言ったかもしれない」

「それも」

「どっちも分からない」

「そうです」

「じゃあ、何も決められない」

「本人の意思としては」

 そこだけ区切った。


「本人の意思としては?」

「別の判断をしなければならない人間はいます」

 リゼットは机を見る。

 死者本人が答えられないからといって、世界のすべてが止まるわけではない。

 葬送。

 行政。

 国葬。

 身元記録。

 誰かが決める。

 問題は、それをエリオ本人が選んだことにしていいかどうかだった。


「じゃあ、エリオが選んだのは」

「囮になること」

「危険なのも含めて」

「一定の危険を引き受けること」

「死ぬことは?」

「確認できません」

「死んだあと、ルシアンになること」

「確認できません」

「肩を作られること」


「確認できません」

「自分の名前を使われなくなること」

「確認できません」

「国葬は?」

「同じです」

 全部、「嫌だった」ではなかった。

 それが大事だった。

 リゼットにも、エリオが絶対に拒否したとは言えない。

 ルシアンを守るためなら、それくらい構わないと言ったかもしれない。


 死んだ自分より、生きている王子を優先したかもしれない。

 オスカーの考えは、そう馬鹿げてはいなかった。

 だからこそ、それをエリオ本人の言葉にはできなかった。

 リゼットは事故後の順序を、机上の記録で確かめた。

 死亡確認のあとに、偽の身元確認、機密移送、右肩の工作、国葬準備が続いている。

「全部、エリオに聞けなくなったあと」

「はい。事故前から死後の偽装まで決まっていた証拠もありません」

「でも、誰がどこまで決めたかは、まだ別」

「そこを追います」


 その言葉に反発するより、先に確かめる方が早い。

 リゼットは資料を閉じた。

「処置室行く」

「今から?」

「今日の最後の確認してない」

「朝に」

「朝と夜は違う」

「私も行きます」

「どうして」

「儀礼部への回答期限について相談があります」


 思い出した。

 朝から何度も届いている。

 棺封鎖。

 装束。

 国葬準備。

 いつまで保留できるか。

 二人で葬送院へ戻った。

 夜の処置室は静かだった。

 ネリスはもう別の仕事へ移っている。


 リゼットは仕事用眼鏡へ替えた。

 髪をまとめる。

 処置衣へ替え、前掛けと袖覆いを着ける。

 手袋をつける。

 覆いを開いた。

 エリオの顔を見る。

 大きな変化はない。

 大きな変化がないことと、同じ状態であることは違う。

 口元。


 頬。

 手指。

 状態を確認する。

「ここ」

 独り言のように言った。

 頬の一部。

 昨日よりわずかに乾いている。

 記録する。

「保存処置を増やせますか」

 セドリックが聞いた。


「増やすなら、今まで止めてた処置へ近づく」

「不可逆?」

「ものによる」

「どのくらい持ちます?」

「日数で約束できない」

 リゼットは手を止めなかった。

「本格保存に進めば、できることは増える。でも、それは誰として処置するか決めることにも近くなる」

「現在は最低限」

「うん」

「それにも限界が来る」

「来てる」


 言ってから、少し訂正した。

「もう始まってる」

 セドリックは黙った。

 リゼットは頬の処置を終えた。

「儀礼部は?」

「明日中に一定の回答を求めています」

「明日」

「少なくとも、棺封鎖準備をどこまで進めてよいか」

「だめ」

 すぐ言った。


「現時点では?」

「今閉じられたら困る」

「理由は記録できますか」

「身元再確認未完了」

「それはすでに提出済みです」

「遺体処置上も」

「具体的には」

 リゼットは手袋を外した。


「まだ名前が決まってない」

「それは制度側の表現では」

「分かってる」

 少し考える。

「身元疑義が継続していて、不可逆的な最終処置と棺封鎖に進めない」

「それなら」

「でも、いつまでもは無理」

「はい」


 その「はい」が重かった。

 今までは調べればよかった。

 分からないなら止めた。

 身体を保ち、記録を集めた。

 けれど、止めることにも時間がある。

「考え続けるのも」

 リゼットが言った。

「何です?」

「何もしないことじゃないね」

 セドリックは返事を急がなかった。


「身体については、そうでしょう」

「国葬も」

「準備は進んでいます」

「姉は?」

「招致中です。まだ王都には着いていません」

「全部待てない」

「全部を同じ時刻までに決める必要もありません」

 リゼットは彼を見る。


「どういう意味?」

「遺体処置について明日決めることと、真相をどこまで公表するかを明日決めることは別です」

 少し楽になった。

 全部を一度に選ぶ必要はない。

「じゃあ、明日は身体」

「まずは」

「名前も?」

「そこは切り離せないでしょう」


 リゼットは処置台を見る。

 自分で囮を選んだ男。

 帰るための馬まで用意していた男。

 死んだあとのことについては、何も残していない。

 残せなかった。

「エリオが選んだって書けるのは」

 リゼットが言った。


「追われる方へ乗ったところまで」

「はい」

「その先を、私たちが勝手に足さない」

「そうです」

「でも、私たちは何か決める」

「そうなります」

 矛盾しているようで、違った。

 本人の代わりに意思を作ることと。

 本人が答えられない中で、責任を持って処理を決めること。


 同じではない。

 リゼットは覆いを戻した。

 処置記録を開く。

 次の確認時刻を書こうとして、手を止めた。

 明日。

 いつものように時刻だけを書いた。

 その横に、儀礼部への回答期限が置かれていた。


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