赤いスカート
店へ入る前から、マリエルの声が聞こえていた。
「六反って書いてあるでしょう!」
リゼットは扉を開けた。
中では、布を抱えた男とマリエルが帳面を挟んで向かい合っている。
「だから六反お持ちしました」
「五反と半分よ」
「半分?」
「これ」
マリエルが布の端を持ち上げる。
「途中で切ってある」
「うちを出たときは」
「今、うちにあるものを話してるの」
男が困った顔をした。
リゼットは扉の脇に立ったまま待った。
マリエルは一度こちらを見た。
「来たのね」
「来た」
「そこにいて」
「どこ」
「邪魔じゃないところ」
「難しい」
「じゃあ壁」
客への扱いではない。
リゼットは壁際へ移った。
今日は、前にマリエルが作った上衣を着てきた。
前回来たとき、「持っているなら着ろ」と叱られたものだ。
仕事着より柔らかい布で、色もいつもの私服ほど暗くない。
髪は下ろしている。
眼鏡も細い金属枠ではなく、濃い茶色の私用のものだった。
「それで」
マリエルが布屋の男へ戻る。
「不足分は明日の午前中」
「明日は」
「困る?」
「午後なら」
「午前」
「昼前で」
「午前」
男が諦めた。
「分かりました」
「伝票も直して」
「はい」
ようやく男が出ていった。
マリエルは帳面へ何か書き込む。
「大変そう」
「誰のせいでもない大変さならまだいいの」
「今のは誰かのせい?」
「分からないから余計に腹が立つ」
店の奥から声が飛んだ。
「マリエルさん、青の裏地、こっちでいいですか?」
「見せて!」
一人の職人が布を持ってくる。
マリエルは触って、光に透かして、首を振った。
「薄い。もう一つの方」
「でもあっちは足りません」
「じゃあ袖だけこっち。身頃は向こう」
「左右で色、変わりません?」
「裏だから。見えるところは揃える」
職人が奥へ戻る。
「私、帰ろうか?」
「何しに来たの」
「呼ばれたから」
「なら帰らないで」
「忙しいでしょう」
「忙しくない日を待ったら一生来られない」
前にも似たことを聞いた気がする。
リゼットは椅子を探した。
今日は布が載っていなかった。
座る。
マリエルがようやく帳面を閉じた。
「それ」
リゼットを指す。
「着たのね」
「何を」
「私が作った上衣」
「言われたから」
「どう?」
リゼットは袖を見る。
「普通」
「それ、褒めてる?」
「悪くない」
「じゃあ褒めてるのね」
勝手に決めた。
「で、今日は?」
「裾」
「また?」
リゼットは持参した包みを開き、畳んできたスカートを広げた。
「ここ」
縫い目の一部が緩んでいる。
マリエルはしゃがまず、立ったまま見た。
「これはすぐ直せる」
「いつ?」
「待ってれば」
「珍しい」
「本当にすぐだから」
マリエルが近くの職人へ声を掛けた。
「これ、お願い。裾だけ。ほか触らないで」
「はい」
「急ぎ?」
職人が聞く。
「今」
「今?」
「友達だから」
「前の急ぎも友達じゃなかったですか」
「あれは客」
「客の方を先にした方が」
「あなた正しいわね」
結局、リゼットのスカートは机の端へ置かれた。
「今じゃないの?」
「正論を言われた」
「帰る」
「待って」
マリエルが腕を掴んだ。
「何」
「ちょうどいいから」
「嫌な予感する」
「こっち」
店の奥へ連れていかれた。
壁際に、仕立て途中の服がいくつか掛かっている。
その中からマリエルが一着を抜いた。
深い赤だった。
明るい赤ではない。
黒を少し混ぜたような落ち着いた色。
スカートだった。
「嫌」
「まだ何も言ってない」
「着ろって言うでしょう」
「よく分かったわね」
「着ない」
「どうして」
「赤い」
「見れば分かる」
「目立つ」
「白い仕事着の方がよほど目立つでしょう」
「仕事着は別」
「これは仕事着じゃない」
「勤務には向かない」
マリエルが黙った。
それから、ゆっくりリゼットを見る。
「何」
「今、自分で言ったの分かってる?」
「何を」
「勤務には向かない」
「向かないでしょう」
「だから?」
リゼットも黙った。
「今、勤務中?」
「違う」
「明日これで葬送院へ行けって言った?」
「言ってない」
「じゃあ着て」
「話が飛んだ」
「飛んでない」
マリエルはスカートを押しつけた。
「試着だけ」
「買わないよ」
「似合わなかったら私も売らない」
「売るでしょう」
「似合わない服を友達に売ったって、あとで私が腹立つもの」
仕切りの向こうへ押し込まれた。
仕方なく着替える。
腰を留める。
思っていたより重くない。
布は柔らかかった。
丈も極端ではない。
「出て」
「待って」
「何してるの」
「留め具」
「それ前」
「分かってる」
出る。
マリエルはすぐ近づかなかった。
一歩離れたところから見る。
「やっぱり」
「何」
「いい」
「それだけ?」
「鏡」
姿見の前へ立たされた。
リゼットは自分を見る。
赤が最初に目に入った。
普段の服なら、上から下まで見て色を意識することはほとんどない。
今日は違った。
「派手」
「あなたにはね」
「やっぱり」
「世間ではそこまで派手じゃない」
腰のあたりは細く作られている。
そこから下へ布が広がる。
普段の細身のものより、歩いたときに裾が動きそうだった。
「後ろ向いて」
マリエルが言う。
「どうして」
「見るから」
「何を」
「服」
リゼットは振り返った。
マリエルが腰の横を少し摘む。
「ここ、余る」
「太った方がいい?」
「詰める方が早い」
「そう」
「あと裾、一寸だけ上げてもいい」
「短くしなくていい」
「じゃあそのまま」
また鏡を見る。
赤い。
要らない。
それで終わったと思う。
今日は腰の収まりを見た。
横を向いた。
裾がどこまで落ちるかも確認した。
「どう?」
マリエルが聞く。
「別に」
「長く見てるわりに?」
「見ちゃだめ?」
「いいわよ」
マリエルは笑わなかった。
そこでからかわれると思っていたので、リゼットは少し拍子抜けした。
「これ、誰かの?」
「見本。売ってもいいし、店に残してもいい」
「注文品じゃない?」
「違う」
「いくら?」
聞いてから、自分で少し意外だった。
マリエルは値段を言った。
「高い」
「布がいいもの」
「少し下げて」
「友達価格はない」
「さっき友達だから急いでた」
「急いでないでしょう、結局」
「そうだった」
もう一度鏡を見る。
買ってどこへ着ていくのか。
考えてみた。
妹の家。
買い物。
マリエルの店。
食事に出るとき。
特別な場所でなくてもいい。
「これ、洗うの面倒?」
「普通」
「色落ちする?」
「最初だけ気をつけて」
「裾、汚れやすい?」
「あなたはそこから離れなさい」
「大事でしょう」
「じゃあ膝まで切る?」
「嫌」
「なら諦めて」
店の奥から、また呼ばれた。
「マリエルさん!」
「今度は何!」
「さっきの裏地、身頃分も足りません!」
「嘘でしょう!」
マリエルが顔をしかめた。
「脱いで待ってて」
「買うって言ってない」
「聞いてる暇なくなった」
奥へ走っていく。
「それ、こっち持ってきて! 残り全部!」
返事が飛ぶ。
リゼットはもう一度だけ鏡を見た。
深い赤。
やはり、自分の服としては見慣れない。
でも、すぐ脱ぎたいほどでもなかった。
仕切りの向こうへ戻り、元の服へ着替える。
赤いスカートを腕に掛けて出ると、マリエルは三人の職人と布を広げていた。
「これ」
声を掛ける。
「そこ置いて!」
「買うなら?」
「印つけて置いといて!」
「買わないなら?」
「それでも置いといて!」
「同じじゃない」
「今無理!」
リゼットはスカートを掛け直した。
裾の修理はまだ終わっていなかった。
「私のは?」
「できたら知らせる!」
奥から答えだけが来る。
「いつ?」
「分かったら!」
「曖昧」
「今はそれで我慢して!」
リゼットは笑った。
返事はなかった。
マリエルはもう、職人と布の取り方を相談している。
入口へ向かう。
扉を開ける直前、後ろから声が飛んだ。
「赤いのも、取りに来るまで置いとくから!」
「勝手にして」
「返事になってない!」
リゼットは店を出た。
扉が閉まる。
中からすぐ別の声が聞こえた。
「そこじゃない! 先に身頃取って!」
リゼットは濃い茶色の眼鏡を押し上げた。
裾直しが終われば、マリエルから連絡が来る。
赤いスカートをどうするかは、そのとき決めればよかった。
店の中では、もう別の服が裁断台へ広げられていた。




